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しょうゆ味
生暖かなじれったい雨が、ビニール傘の破れた穴から肩に入り込んでくる。どうやら台風は過ぎ去ったようだった。
どんよりとした空と同じ顔の労働者達が出勤する中、俺の足だけは軽やかに前に進んでいる気がする。
結局上手い話に乗せられる形となり、バイトを休んで治験を受ける事にした。
なにせバイトの約四カ月分の給料が一日で手に入るのだ。人生をやり直す為には資金も必要だと自分を納得させた。
スマホを確認すると目的地である『ESP研究所』とやらまであと少しのところまで来ている。
ふとメッセージアプリを見ると、相澤からのメッセージが通知されていた。
『金持ちになる準備できてます?』
軽薄な顔が目に浮かぶ文章だった。それでも、今回の話を持ってきたのは他でもないこいつの功績だ。
普段使いもしないスタンプだけを返して先を急ぐことにした。
「結構立派だな…」
しばらくしてついた場所は天高く伸びる高層ビルで、ピシッとしたスーツ姿のサラリーマン達が出入りしている。
想像していた怪しげな場所とは違った外観に尻込みしながらも、恐る恐る大きな自動ドアから中へ入ることにした。
研究所とやらは何階にあるのだろうかと案内板で確認する。
「どちらをお探しですか?」
なかなか見つからずに立ち尽くしていると、コンシェルジュらしき身なりの女性が俺に声をかけてきた。
「すみません。ESP研究所という場所に行きたくて」
「あぁ、やはりそうですか。そちらは三十階に上がっていただければありますよ」
和かに笑みを送る女性に「どうも」とだけ礼を言って足早にエレベーターへと向かう。
やはりというのは俺以外に何人か尋ねた人間がいるのだろうか。だとすれば、くたびれたジーパンにシャツ姿の冴えない奴らなのだろう。
言われた通りエレベーターで三十階へと向かうと、ドアが開いてすぐ正面に目的地があった。
ガラス張りのドアの奥には受付がすでに見えている。
表札には確かに『ESP研究所』とだけあり、一見すると綺麗なクリニックか何かのようだ。
指定された時間より二十分ほど早いが、ガラスドアを押して入った。
病院のあの独特な薬品の匂いがする。俺以外に人がいないようで、とにかく人がいる受付へと向かう事にした。
「お越しいただきありがとうございます。ご予約のお客様でしょうか?」
「知り合いの紹介で来ました。菅 文太と申します」
そう告げるとマスクをした白衣の女性は、淡々とした手付きで手元の名簿を確認する。
「確認できましたので、そちらのソファーで問診票にご記入お願いいたします」
バインダーを受付越しに手渡され、言われた通りソファーに腰掛けた。バインダーの内容は喫煙歴や婚姻歴、服用している薬など事細かに三ページほどの解答欄がある。
そういえば既婚者は参加できないと、相沢が言っていた事を思い出した。
我ながら面白味のない人生だと自嘲しながら、問診票にペンを走らせた。
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