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洗濯物を取り込むユメトを見ながら、思考はユメトのことに移っていく。
そういえばユメトが僕を「ゴシュジン」と呼ぶのも、僕の中途半端さゆえだ。
彼が最初に目覚めて僕に挨拶した時のことだ。
「ゴシュジンサマ、初めまして。CA-YH0712号です。これからあなたのお世話をいたします。よろしくお願いします」
「えっ?ご主人様?いや、いや僕はゴシュジンサマなんて呼ばれるような偉い人間じゃなくて…」
「でも、僕のゴシュジンサマでしょう?」
「じゃあ!せめて!サマだけでも!!サマだけでも外して!!」
「わかりました。じゃあサマはなくして“ゴシュジン”と呼びますね。改めて、よろしくお願いします、ゴシュジン」
そう言って、花のように笑ったのだ…
あ れ … ?
急に動悸が早くなり、無意識のうちに椅子から立ち上がっていた。
忘れるはずもない、ユメトとの初めての邂逅。あの時、あの時のユメトは…
「ユメトは普通に言葉を話していた」
あれ?じゃあなんで?何故今の彼はたどたどしい言葉遣いでしゃべっているんだ?
いつからだ?…だめだ、はっきりと思い出せない。だからきっとかなり最初の頃から今の話し方に変わっていったのだろう。
突然ではなく、きっと自然にいつの間にか。僕に気づかれないように。
どうして?何のために?
あの話し方を聞くと、知らず知らず小さい子供を相手にしているような感覚になった。
実際ユメトが生まれてからの年数は二年に満たない。
あの言葉遣いを聞いていると、その位の子供を相手にしているような気分になったものだ。
僕が守らなければいけないような…大事にしなければいけないような…。
しかしそれが実はわざとだとすると、話は別だ。
何が目的なんだろう。まるで僕を油断させるためみたいじゃないか……
さっきまで、この世界で一番大切で一番いとおしい存在だったユメトが、何か得体の知れないものになってしまった感覚に陥った。
そしてふと、先日浮かんだ疑問が再び蘇った。
「なぜ農場の人たちはユメトを普通に受け入れたんだろう?」
妙なしゃべり方のままなら、きっと警戒されたはず。それがなかったのは、きっとあの時のように普通に喋っていたのだろう。
僕の前とは違って。僕の前でだけ“普通に話せない演技”をしていた。
僕は ユメトに だまされて …いた?
体中の血液がすぅっと冷たく下がっていくような気がした。
立ち上がりかけていた体が平衡感覚をなくし、グラリと揺れる。とっさに椅子の背につかまったが、支えきれず ズルズルと座り込んでしまった。
「ゴシュジン!」
重い頭で振り返ると、取り込んだばかりの洗濯物を放り出して血相を変えたユメトが駆け寄ってきた。
「どうしました?具合が悪いんですか?僕の肩につかまってください!」
僕の片腕を自分の肩に引き上げて、ゆっくりとベッドに運ぶ。
そっと頭を枕にのせ、掛け布団をかけてくれる。
いつもならその優しいしぐさに安心したのだけど。
自然に「ありがとう」と言葉が出たのだけど。
今日は冷たくぎこちない声しか出せなかった。
「君は慌てると、普通の言葉遣いに戻るんだね」
「……ゴシュジン?」
「どうして?なぜ、普通にしゃべれないフリをしたの?僕をだましていたの?なぜ!」
「ゴシュジン、お願いです。興奮しないで。体にさわります」
「誰が興奮させてるんだよ!!」
だんだん語気が荒くなる。
僕を心配して悲し気に顔を歪ませるユメトは、いつも通りの彼だ。そのことが益々僕を苦しくさせる。
いつかの、あの朝。あの幸福だった朝も偽物だったのだろうか。だとしたら絶望しかない。
あの日初めて僕は、生まれてきて良かったと、心からそう思えたのに。
大人になって初めて、誰かの前で泣いてしまった。
恥ずかしいとかみっともないとか、何も考えられなかった。
ユメトはしばらくの間何も言わず、そっとかすかに触れるように僕の背中をなでていた。
僕の嗚咽が収まるのを見計らって、ユメトが口を開いた。
「確かに僕は言葉遣いがたどたどしいフリをしていました。演技をしていました。でも、だましているつもりではありませんでした。ごめんなさい」
「どうして普通にしゃべれないフリをしていたの?」
「…その方が、ゴシュジンが、……えーっと、アンシン?しているような色になっていたから」
「色?」
「タマシイの、色」
「いや、僕は別に君のしゃべり方で安心とか………あ…」
安心、していた。以前は確かに。
その方がユメトがアンドロイドだと再認識出来るから。
今となっては人間だろうがアンドロイドだろうが関係ないと、ユメトはユメトだとそう考えるようになっていたために忘れていた。
ゆっくりとユメトの目を見る。いつものユメトの目の色。彼の瞳もまた濡れていた。
「僕の、ため?」
「はい。…でも、嘘ついてごめんなさい」
「……いいよ、あやまらなくて。僕の方こそ、ごめん」
人間の魂が見えると言っていた。
その話を聞いた時はにわかには信じられなかったけど、感情の動きが色でわかると言っていたユメトは、確かに僕の心の機微を読み取っていた。
そして僕の心に寄り添い、僕を安心させるために演技してくれていた。
これは人間だったら“思いやり”と呼ばれるもの、“優しさ”と言われるものだ。
人間とアンドロイドにどれほどの違いがある?
人間の優しさが《心》に起因するものならば、アンドロイドが思いやりを持つ時は同じようにきっと《心》があるはずだ。
ユメトには《心》がある。魂もきっと。僕は信じる。
優しいユメト。誰よりも僕のことを思ってくれるユメト。
……だからこそ、僕は君を残して逝くわけにはいかない。
誰よりも大切に思う相手を、大切に思うからこそ自分の手で永遠に眠らせようというこの思いは“邪悪”だろうか?
ユメトを僕の死で泣かせたくない。僕なんかのために、ユメトが泣くのは耐え難い。
その思いからだとしても、やはり“思いやり”とは呼べないように思う。
確かに人間は矛盾に満ちた存在だ。
本当は大事にしていたい相手なのに、それとは反対の行為をしようとしている。
それがユメトのためだからと、ユメトの意思も聞かずに、彼を殺そうとしている。こんなのは僕のエゴだ。
わかってる………
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