世話焼きのアンドロイド

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世話焼きのアンドロイド

「もーう!すぐ戻るのいいって言ったのに、ずっと外にいるしたからですよ!」  長い時間ガーデンハウスにいたために体を冷やし、連続でくしゃみをした僕に気付いたユメトは、バスタブに盛大に湯を入れて僕を放り込んだ後、庭で()れたドライハーブをぐいっと差し出して「これ入れて、肩までお湯に浸かるして下さい。ゆーっくり10数えるまで外出るだめです!」  いつもはふんわりと微笑んでいることが多いユメトが今は怒っていた。  もちろんアンドロイドに感情はない。怒っているかのようにふるまうだけだ。 「また熱が出たらどうするですか。僕心配するます!」  もちろん心配しているかのようにふるまうだけだ。  ロボットにもAIが組み込まれているが、アンドロイドにはAIの他に更にAP(人工的に造られた人格 ーArtificial Personalityー)が組み込まれている。  その人格は、作成者(もしくはオーナー)の希望に沿ったタイプの性格や個性の《芽》のようなものを植え付けられ、稼働し始めた時からの経験を通して、更に少しずつ育っていく。  小さい子供が親から言葉や習慣を教わり、学校で挫折や成功を経験し、知能が育ち、人格が(みが)かれたり傷つけられたりして、一人の人間になっていくように、アンドロイドもまた経験値を重ねて大人へと成長するのだ。  とはいえ、これも結局はプログラムによるもので、生きた人間の人格とははっきりと線引きがされている。  法律上も生きた人間の人格は尊重されるが、アンドロイドのそれは無視される。  またアンドロイドと人間との大きな違いとして、人間の体は赤ん坊で生まれ、子供から大人へと大きくなるのに対し、アンドロイドは最初から大人の体で作られることがある。  だから生まれてすぐのアンドロイドは大人の見た目でありながら中身や話し方が子供っぽいことが時々あり、時間が経つにつれてそのギャップが小さくなっていく。 「そういえば、アンドロイドの成長はどの位かかるのだろう」  ユメトが生まれてからもう1年以上経つが、未だに彼の言葉遣いには違和感が残っている。彼が見た目通りの“大人”(正確にはハイスクール時代のユメノがモデルなので、ユメトも高校生くらいの見た目だが)になるまで、何年掛かるんだろう。  後もう一年?三年?僕の命は多分もうそんなに長くは()たない。  この一年の間にも何度か発作を起こし、その間隔はだんだん(せば)まってきているうえ、発作の後は体力が衰え、以前には普通に出来ていたことが出来なくなってきている。  朝ベッドからなかなか起き上がれない時、一人では階段を登れない時、畑で収穫した野菜のカゴを持ち上げられなかった時、水を飲もうと持ち上げたグラスを落としてしまった時、ユメトは急いで僕に駆け寄り助けてくれた。  泣きそうな顔で心配そうな表情で僕を支えてくれるユメトを見るたびに、僕も泣きそうになる。  今までこんなに親身に僕を心配してくれた人はいない。両親や兄弟でさえ。  そんな相手を僕は自分の運命に巻き込んでしまった。自分の命が短いことは仕方がないと思えるけれど、それをユメトにまで押し付けることになったのは僕のせいだ。  罪悪感で押しつぶされそうになることもあったが、でもユメトがしゃべりだすと、ふと少しだけ我に返る。 「ゴシュジン、大丈夫ですか?自分で立てる出来ますか?」  このユメト独特なしゃべり方を聞くと、「そうだ、彼は人間じゃないんだ。アンドロイドなんだ」とハッとして、少し寂しさを感じ、そして同時にとてもホッとする。  これほどまでに僕を心配してくれるのが、人間ではなく作り物のアンドロイドである悲しさ。  そんな(みじ)めな僕の人生につきあわせてしまうのが、生きた人間ではないことの安堵(あんど)。  どんなに本当に心配そうな顔をしていても、泣きそうな顔をしても、時には本当に涙を流すこともあるけど、彼の人格は作り物だ。すべては状況に合わせて“それっぽく”見せているだけだ。  僕の生活を助けるためだけに、僕とともに消えゆく運命のユメトを生み出してしまった罪悪感が消えるわけではなかったが、それでもアンドロイドだと再認識するたびに、その分だけ心は救われた。 「いっそのこと、このまま変な言葉づかいで、大人になりきらないうちに全部終わった方が、少しだけ気が楽かな?」 なんて自分勝手なことさえ考える。  ひどい奴だ。  こんなだから、人と深く交わることが出来なかったんだ。当たり前だ。
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