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子供の頃から両親には出来の良い兄弟と比べられてきた。
自信がないまま学校に上がったところで集団生活に溶け込めるわけもなく、当然のようにスクールカーストの中から下辺りをウロウロする日々だった。
他人の顔色を伺い自己主張せず、大人しげな顔をして日々をやり過ごす。他人に逆らわない僕を時々「優しいんだね」なんて言ってくれる人もいたが、そんなのは本当の優しさではない。
自分が一番わかっている。
誰からも傷つけられない代わりに、大した喜びもない毎日。
だから自分の命が当初の予想より大幅に短いものになると告げられた時も、さほどのショックは受けず、どこか白けた気分で受け止めたものだ。
「僕の人生、こんなものか」
なのに…
なのに、今ここにきて、この命の瀬戸際にきて、僕はユメトと出会ってしまった。
僕はいつだって中途半端だ。家族とも友人ともちゃんとした繋がりを持とうとしてこなかった今、何よりも心残りなのが、心を持たないユメトだ。
未練なんてなかったはずの僕の、たった一つの未練。
僕の人生の中で一番僕に優しくしてくれたのはユメトだった。
例えそれがプログラミングによるものだとしても。
僕に一番沢山笑顔をくれたのもユメトだった。
例えそれが作りものだったとしても。
所詮相手は人間ではなくアンドロイドだと自分に言い聞かせるその一方で、心のほとんどを占めているのは僕がいなくなった後のユメトの処遇だった。
そろそろ僕が死んだ後のユメトの“処理方法”を決めて、自治体の管理局に申請しなければならない。
病院や施設に入院していない僕は、体内チップにより24時間体制で呼吸や脈拍の状態、体温、血圧などのデータが主治医の元にリアルタイムで送られるようになっている。
当然発作の回数や症状の重さも把握されているわけで、管理局から申請の督促が来たということは、そろそろ僕に万一のことが起きてもおかしくない状態まで来ているということだ。
その時が来たら、ユメトはどうするだろう?どうなるだろう?
………僕はユメトをどうするべきなのか?
ユメトは僕の死をどこまで理解するだろうか。例えば庭先で発作を起こして死んだとして、彼はどうする?
「ゴシュジン、こんなとこで寝るだめです」と言って遺体をベッドに運ぶだろう。そして枕元で僕が目を覚ますのを待つだろう。
二度と目覚めるはずもないのに。
その時、僕が処理方法を申請しないままだったら、データで僕の死に気付いた医師から連絡がいき、アンドロイド処理班が派遣され、ユメトを法令に則って“処理”するだろう。
昔アンドロイドの処理方法として小耳に挟んだことがあるのは「焼却」とか「圧壊」とかいう物騒な単語だった。そんな処理施設に連れていかれようとするユメトが、嫌がる姿が容易に想像出来た。
いやだ!そんなの耐えられない。
しかしかといって、今更僕の死後に彼を処分するのを取りやめたいと言っても、認められる可能性はほぼない。
アンドロイドを所持していた人間が他界した場合、その遺産を相続した者は、アンドロイドもまた遺産として受け取らなければいけないことになっているが、不動産や資産などの財産は受け取っても、アンドロイドだけは処分に回すことが多いと聞いている。
前の所有者の記憶を消去するのに手間と費用が掛かりすぎるし、更に生かしておけばおいたで維持費が掛かるからで、多少の廃棄処理費用が掛かったとしても、その方がずっと安く済むのだそうだ。
今更兄弟や親戚にユメトを受け取ってもらえるよう頼んだところで、廃棄にまわされるだろうことは確実だ。
ユメトの行き場所はどこにもない。…やはり、僕の死ぬ時に、いや死ぬ前にユメトの稼働を止めるしかない。僕が自分で。自分の、手で。
僕の心臓の鼓動が止まるのと同時に、ユメトの電源が自動的に切れるようプログラムを組むことも可能だ。
でもそれだと僕の死の瞬間をユメトがどういった状況で迎えるかわからない。
一番考えられるのは僕の枕元に座っていることだが、どちらにしろ死んだ僕と動かなくなったユメトと、それぞれが事務的に処理されるだけになってしまう。
誰より僕に優しくしてくれたユメト。ユメトの最後はそんな、無機質で寂しいものであってはいけない。
僕が考えうる一番美しく穏やかな形で眠りについて欲しい………
こうして僕は密かに計画を練った。
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