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魂の色
あれ以来、朝は早く起きて一日に三回の食事を摂る生活をすべきだとユメトが強硬に主張するようになり、一回だけのつもりだった早寝早起きを毎日続けている。
規則正しいリズムの生活は同時にまちまちだった食欲も改善し、少しずつ体力が回復するのを実感してユメトを喜ばせた。
夕方頃に二人で一緒に散策をし、帰りがけにハウスガーデンに寄ってその日の夕食に使う野菜を採るのが日課になっていた。
まだあちらこちらに雪が残っているためあまり遠くまでは行けなかったが、久しぶりに外を歩くのは体のため以上に精神的にいいな、と感じた。
外を歩きながら呼吸すると、肺の中の淀んだ空気を澄んだ冷たい空気と入れ替えるような感覚があったし、同じように頭の中の淀んだ思いを自然の景色(日が沈みかけた黄昏時の空の色や、針葉樹の枝の濃い緑、遠い山の稜線、ユメトが作って少し溶けかけた雪だるま)と入れ替えているような感じがした。
もちろん僕が体調を崩し、散歩に行けない日もなくはなかったが、以前に比べればその頻度はかなり少なくなっていた。
お陰で計画の(3)の「体調が思わしくない主張をする」のが難しくなり、ユメトがいない時を見計らって家の回りをダッシュしたりした。突然血圧と心拍数が上がって驚いた主治医が連絡を寄越してきて、「寝ていたら急に苦しくなって…でも今は落ち着いています」と涙ぐましい仮病を装ったり、時にはその後本当に体調を崩したりした。
ゆったりと過ごす日々はあまりに幸せで、物騒な計画をこのまま本当に実行してもいいものかどうか、迷うこともある。
特にユメトを眠らせることに関しては、大きく逡巡することも多かった。
出来れば僕の死後、こっそりどこかに逃がして生き延びさせてあげられないか、と何度も考えたが、ユメトがそれを了承するとも思えなかった。
僕のうぬぼれでなければ、きっと僕の死は彼を悲しませてしまうだろう。
出来れば彼にはその《死》の瞬間まで笑っていて欲しかった。ふんわりとした笑顔のままで、最後まで過ごして欲しかった。
その日もユメトと一緒に夕方の散歩を楽しんでいた。とても体調の良い日で、いつもより遠くまで足を伸ばしていた。
季節は春へと移りかけている。夕暮れ時の薄闇の中、森の木々が途切れ、まだ少し雪が残っている辺りに、まるで灯りをともすように黄色い花が咲いていた。
「あれ、なんでしょう?」早速見に行ったユメトが水仙の花を摘んで戻ってきた。
「お花でしたよ。可愛い花です。今夜の食卓に飾るです」
「家に飾るのはいいけど、食卓は止めた方がいいよ」
「なんでです?」
「確かその花、毒があるんだよ」
「えっ!毒?」
一瞬で血相を変えたユメトが、花を落とす。
「だめだよ、捨てたりしたら可哀想じゃないか」
「捨ててください!ゴシュジン、捨ててください!毒捨ててください!毒拾ったらだめです!!」
拾い上げた僕の手から慌てて花を取り上げようとするユメトを笑って制する。
「触ったくらいなら大丈夫。食べたりしない限りね」
「本当ですか?」
「うん、庭なんかに観賞用として普通に植えられてるものだからね」
「…大丈夫、です?」
「家に帰ったユメトが食事を作る前にちゃんと手を洗わなかったら、どうなるかわからないけどね」
「!!」
その日家に帰ったユメトは、いつもの倍の時間をかけて手を洗った。僕も一緒に付き合わされた。
説得して持ち帰った水仙の花は玄関に飾られた。ユメトにとっては毒を持つ以上、食卓だけでなくリビングにも飾るわけにはいかないようだった。
夕食後、ふと思い出して
「あの花は、元は人間の男の子だったんだ」
と呟いた。
「あの花?さっきの毒の花ですか」
「水仙だよ。ギリシャ神話の話だけど、ナルキッソスっていう美少年が水に映った自分の姿に恋をして、もっとよく見ようとして体をのりだして水に落ちて死んでしまったんだ。その跡にあの水仙の花が咲いた。ナルキッソスが死んで水仙になったんだって」
「ナルキッソス…男の子が…水仙のお花に、なる…?」
軽く眉根を寄せて瞳を上に向けて考え込んだユメト。人間が花になる、という理屈に合わない発想を納得するのはアンドロイドには難しかったかと思っていたが、すぐに何かに思い至ったのかぱっと表情が変わった。
「それってテンソーですね?」
「テンソー?」
「ゴシュジンのコレクションにあったです。大昔のアニメっていう作品に沢山そういう話あったです。死んだ人が他の人や他の生き物になるです」
「…ああー…テンソーじゃなくてテンセイ。“転生”だね」
「テンセイ?」
「生まれ変わり。21世紀前半頃のサブカルチャーでは日本という国で作られた『転生もの』というジャンルが流行って、他の国にも『テンセイ』という言葉が広がったそうだよ」
「生まれ…変わり…」
ユメトはキョトンとした表情でつぶやいた。やはりアンドロイドの彼には理解しにくいのだろう。
「うーん、輪廻転生っていう宗教用語なんだけど…生きている人間には肉体に魂が宿っていると言われていて、体が死ぬと魂が体から抜け出して他の体に宿り、別の人間として再び生まれてくる…」
「タマシイ…人間にあるもの?アンドロイドにないもの?」
「あー…っと………」
うっかり、残酷なことを言ってしまった。
なんと説明すればいいか返事に窮していると、ユメトはふわっと明るい表情になり、とんでもないことを言いだした。
「わかるました!僕、わかるました!だって僕ゴシュジンのタマシイ見えます!」
今度は僕が呆然となった。え…何を言い出したんだ?この子は……。
「ゴシュジンの周りにいつも見えるです。あと、農場の人たちにも。…僕はないです。鏡を見ても僕のタマシイ見えるないです」
彼の話の内容に理解が追い付かないまま、恐る恐る尋ねる。
「ユメト、何が、見えるって?」
「ゴシュジンの周りにあるフワフワです。体の周りに、えーと、火みたいにゆらゆらフワフワしたものがあるます。他の人の周りもフワフワあるます。人によって色違います」
「フワフワ」
「はい、あとユラユラです」
「ユラユラ」
「はい!」
「………」
どうしよう。まさか今更ユメトのAIに不良箇所が見つかっちゃったとか?
僕が混乱していると、ユメトからだんだん笑顔が消えていき
「僕、変ですか?タマシイ見える、変ですか?」と聞いた。
「え、いや……」
「………」
「……えっと……」
気まずい沈黙の後、ふいにユメトが言った。
「わかるました。バグです」
「え?ばぐ?」
「アンドロイドはAIの中のあるAP、わざとバグ仕込むです。人間の脳は元々バグ入ってます。人間の考え、時々“はい”と“いいえ”が一緒してます。“いいえ”言おうとして“はい”言ったり、“はい”言うつもりで“いいえ”言ったりします。えーっと…」
「…あー…なんとなくわかるよ」
「アンドロイドのAP、大きい事故起きないだけ、少しずつバグ仕込むです。人間っぽくするです。バグの場所、個体で違うます」
へえ、そんな仕様になっているのか。なるほど、この独特な話し方も、もしかしたらバグのせいなのでは?と、違うところで感心していると
「そうです!きっとバグです。あっ、もしかもしたら眼が不良かもです。きっと僕、あちこちらがコショウです」
ユメトの話が自分を否定するような不穏な方向に行きかけていたので、慌てて遮った。
「違うよ!変じゃないよ!……えーっと」
いつになく大きな声を出した僕を、ユメトが不思議そうな顔で見つめる。
「人間にも、そういうものが見える人と見えない人がいるんだ」
「タマシイ見える人間いるですか」
「うん、魂というか“霊”って呼んでるけど、人間の体から出てきた魂…?で、いいのかな?そういうのが見える人がいるんだよ」
「すごい!」
「よく聞くのは死んだ人の霊でね、“幽霊”って呼んでる。死んで体が無くなった後も、この世に未練を残していると、死んだ後の世界に行けなくて、魂だけこの世に留まるんだ。それが幽霊」
「幽霊、思い出すしました。前に読んだ『ハムレット』に出ました」
「ユメト、シェイクスピアも読んでるんだ」
「ゴシュジンの記録に出てきたで読んだます」
「ああ……」
学生時代、グループごとに別れてシェイクスピアの作品についてレポート作成した時のことを思い出した。
まずグループを作る時に例によって非社交性を発揮してしまった僕は、どこのグループにも属せずモジモジしていたのだが、そこにユメノが「こっちにおいでよ」と声をかけてくれたのだ。
呼んでくれたお礼をモゴモゴとつぶやく以外に、結局そのレポート作成の間、ろくにユメノと話など出来はしなかったが、それ以来「ハムレット」は僕にとって特別なものになった。
昔の淡い思い出に浸っていると、ユメトが声をあげた。
「ゴシュジン!タマシイがいつもと違う色出るです!」
「え?魂の色って一定じゃないの?」
「はい。その時の気持ちで変わるです。ゴシュジン今何考えるでしたか?」
「いや…別に……きっとハムレットの色なんじゃない?」
適当に胡麻化すと、素直に受け止めたユメトは小さく頷きながら
「これがハムレットの色ですか」とつぶやいた。
「あー、それより魂の色って、いつもは決まっているの?」
「はい。人によるって違います。ゴシュジンの色はねえ…」
ふふふっと嬉しそうに笑う。
「後で教えるます!すごくきれいな色ですよ!」
きれいな、色。僕の魂の色が?なんだか魂がきれいだと言われたみたいで、くすぐったかった。
「ねえ、ユメトが魂の色を見ることが出来るのって、神様からの贈り物なんじゃないかな」
「贈り物?」
「うん」
だってこんなに僕を幸せな気分にしてくれる能力が、バグなんかであっていいはずがない。
「神様から…贈り物…」
両手を胸に当てて微笑むユメトは、その存在自体が僕への贈り物だと思った。
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