物語のプロローグ、そして命のエピローグ

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物語のプロローグ、そして命のエピローグ

 昼寝から目が覚めると、既に外は暗くなっていた。この家のもう一人の住人が、一度閉めかけたカーテンを開けてくれる。 「もう、夜…なんだ…ぐっす、り…寝て、しま…たな…」 「はい」  ベッドは寝たきりの僕からでも外の景色が見えやすいよう、窓際近くに設置されている。  手が届く位置にはコンソールテーブル。その上には、一人の時でも好きなようにカーテンの開閉をするためのリモコンと、起き上がれない時に外の景色を見るためのミラーモニターがある。  全部、彼 ーもう一人の住人ー の気遣(きづか)いによるものだ。  高校生くらいの、ほんの少年にしか見えないが、優しさと思いやりの(かたまり)なのだ。  そんな彼に応えたい僕は、ここ数日頑張って食事や睡眠を積極的にとっていたのだが、その甲斐あっていつもよりも体調を戻していた。自呼吸で会話が出来ているのが、何よりの証拠だ。  彼 ーユメトー も嬉しそうだ。 「お星様がきれいですよ」 「風が、いつ、もより、やわら、かいね。春、だね」 「はい。あ、おおぐま座が見えますよ」  そう言いながら、僕の話が長くなりそうだと察したユメトが、何も言わないのにサッと会話用筆記サウンダーを用意してくれる。  ほんのわずかな指の動きで文字を指定し、言いたい内容を音声に変換してくれるものだ。  そして体を起こしてくれた。 『おおぐま座か。ユメト、ギリシャ神話のおおぐま座の話、したことあったっけ?』 「はい、カリストーさんのお話ですね。カリストーさんが可哀想だって、僕怒りました」 『そっか、もう話してたんだっけ。忘れっぽくなって嫌だな』 「もう一回お話してもいいですよ?何回でも聞きますよ?」 『いや。そうだな。じゃあ、………おおぐまのしっぽの辺りにミザールとアルコルっていう二重星があるんだよ。見える?』 「どこですか?」 『しっぽの先から二番目の辺り』 少し目を凝らしたユメトはすぐに「見えました!」と叫んだ。 「大きい星と、横に小さい星があります」 『まだ空が暗くなりきっていないのにアルコルまで見えるなんて、ユメトは目がいいね』 「えっへん!」 『大きい方がミザール、小さい方がアルコルだよ』 「へえーえ」  そこでふと、アルコルにまつわる話を更に思い出した。 『アルコルは光が弱くて見えにくいことから、昔アラブでは視力を計るのに利用されていたんだ。あと東洋では、アルコルが見えなくなった人は一年以内に死ぬって言われていたって…』  そこまできて、ユメトの顔が強張(こわば)っているのに気がついた。 「ゴシュジン、アルコル見えますか?見えませんか?見えますか?見えますよね?」  既に涙ぐんでいる。ああ、しまったな。(あわ)てて(と言っても動きはスローだが)顔を空の方に向ける。 『だいぶ空も暗くなってきたし、見えるんじゃないかな。………あ、見えた。見えたよ、アルコル』 「本当ですか?アルコル、見えましたか?」 『見えたよ。ちゃんと見えた』  大嘘だ。  もうしばらく前から、目はボンヤリと焦点が合わなくなってきている。アルコルどころか、シリウスだっておぼろげにしか見えない。 「本当ですね?……良かったです」 ユメトももちろん嘘だと知っている。  知っていてこれ以上僕を困らせてはいけないと判断し、話を合わせてくれたのだろう。  ユメトは高校生くらいにしか見えないけど、実際は生まれてから五年くらいしか()っていないけど、中身は結構大人なのだ。  ごめんね、ユメト。僕の命は、あと一年どころか夏まで()つかどうかわからない。  でも、僕も君と出来るだけ長く、出来るだけ一緒にいたいと思っているんだよ。一月でも一日でも、一分、一秒でも長く。  それは偽りのない本当の気持ちだ。 『ユメト、アルコルが見えないと、死ぬなんて迷信だよ』 「ゴシュジン…」 「………星、の…ひか、りは……希望…。そう、でしょ…?」  この言葉だけは、機械を使わず自分の声で伝えたかった。 「はい」  ユメトは小さく(うなず)いた。
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