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こんなことになったのは、航太の身長を測りすぎたせいだろう。私は毎日のように家中の柱に航太の身長を油性マジックで記録して、そのほとんどを真っ黒に染めてしまっていた。私の中で、航太は成長を止めなかった。日に日に伸びる身長を記録したいのは親として当然のことのような気がするけれど、柱に黒い線を引く私を見る夫の目にはいつも悲哀が込められていたし、時にはいらだちを顕にすることもあった。
「ぼくの身長書いてよ!」
最初に柱に航太の身長を記録したのは、全国的に大雨警報が出された、まだ寒い冬の終わりの夜だった。航太にせがまれた私は、柱にマジックで航太の身長を書き込んだ。新築の家なのに、と愚痴をこぼしながら夫は笑って許してくれた。そのあとに、春になれば小学生になる航太は、買ってもらったばかりのランドセルを嬉しそうにからって見せては家中を走り回っていたのだけれど、夫と私が少し目を離してしまった隙に忽然と姿を消してしまったのだった。閉めていたはずの玄関のドア鍵が開いていた。
私たちは慌てふためいてすぐに警察に電話をかけ、雨の降りしきる中、必死で暗闇を懐中電灯で照らしながら航太を探した。大声で名前を呼んでも返事はなく、到着した警察も加わっての捜索は朝まで続いた。
日が昇り、懐中電灯が要らなくなると、やっと航太は見つかった。航太は用水路に浮かんでいた。ランドセルをからったまま、水面にうつ伏せになって浮かんでいた。朝日が、濁った水面を煌めかせ、真新しいランドセルを艶やかに黒光りさせていた。男たちが総出で航太を引き上げる。真っ青になって膨れた顔で目を閉じたままの航太は、私が呼んでもやっぱり返事をしなかった。航太の新品のランドセルの蓋には、〈雨にも強い!撥水加工!〉と書かれた金色のシールが貼られたままだった。好奇心旺盛の航太は、本当に雨にも強いのかどうか、雨の中でランドセルを試してみたのかもしれなかった。
その後の捜査や検死の結果、航太の死について事件性はなく、事故死とされた。
でも、私の中で航太は生き続け、成長するばかりだった。だから、どうしたっていつも食事は家族3人分作らなければならなかった。航太が大きくなるにつれて、ご飯を炊く量を増やした。身長の伸び続ける航太のために、服を買いに行かなければならなかった。増える残飯や、クローゼットを埋め尽くす航太の服、柱に書き続けられる航太の身長。夫は、そんな私と航太の居る生活にとうとう疲れ果ててしまったのだろう。
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