山道に地蔵があった

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 旅行の帰り道だった。  日帰りの温泉旅行で、遠出というほど遠出でもなかったので、私達三人はレンタカーを借りて、目的の温泉宿まで移動した。  行きは高速道路を使った。事前の調べで、その方が早く着くと判っていたし、高速から降りた道そのままを走り続けていれば、スムーズに温泉宿へと着く。道は車で通れないほど入り組んでなどおらず、傾斜もきつくはない。実際、店で借りた普通車で問題なく辿り着くことができた。  温泉を満喫して、料理を食べて、私達は大変満足して宿を出た。 来て良かったね、楽しかったね、また来ようね、なんて和気藹々と話をして、浮かれていた。  ここまでは良かった。  問題は帰り道に起きた。  帰りも高速に乗ろうとしたら、丁度、私達が利用しようとしていた高速乗り口で玉突き事故が起きていた。事故規模の大きさに対して、幸いにも死者は出なかったらしいが、乗り口にも突っ込む形で交通事故現場が形成されてしまったため、高速に入ることができなかった。  そこで、助手席にいた私の友人かつ元恋人の彼女が、下道で帰るルートを提案した。  彼女は私よりも頻繁に、レンタカーや自分の車を運転して日帰り旅行をすることが多かったので、こちらの方面には、高速を降りてからの下道にも詳しかった。  私は彼女の提案に従い、帰路として下道を選択した。  彼女が指示してきたのは、峠を越え、山道と呼んで差し支えないようなルートで、ドライブ趣味ならともかく、単に長距離を移動する際には選ばないようなものであった。  それでも、高速に乗った場合とあまり変わらない時間で、私達の住まう街まで帰られること、後部座席にいる私のもう一人の友人であり、私の元恋人である彼女が明日も仕事であったため、私達は特に反対することもなく、ごく自然な流れで、その道を使うことに決めた。  スマートフォンに表示した地図を頼りに、助手席から元カノがルートを指示してくれる。  私はアクセルを踏みながら、それに従ってハンドルを切るだけ。  知らない道とはいえ、やることは単純で簡単。来た時とは異なる景色の中を走っていることもあり、アクシデントから生じた現状が楽しくすらあった。  峠に入ると、私はふざけて、アクセルとブレーキを駆使し、ドリフトの真似事のような運転をした。  助手席の元カノも、後部座席の元カノも、黄色い悲鳴を上げ、たまに笑い、交互に私を軽くなじり、そして褒めてくれた。元々、私のこういう面が好きだと言ってくれていたふたりなので、好意的なリアクションが返ってくるだろうと見越したうえで、私はこのようなおふざけをしていた。つまり、予想通りであり、素直に喜んでくれたこと、一緒に笑ってくれることが嬉しかった。  そうして峠を越えたら、今度は比較的穏やかな下り坂が続き、次いで再び、上り坂が目の前に現れた。事前に元カノから聞いていた山道、その入口である。 「えっ、何あれ」 「なに? どれ?」  助手席の元カノが発した疑問の声と指した片手に反応して、私は走行速度を落としながら聞く。 「ほら、あれ。すぐ目の前のやつ」  彼女がフロントガラスに人差し指を押し付けるようにして左前方を強調。  おかげで私も、それを認識することができた。  山道への入口に地蔵があった。  初めに気づき、指していた彼女は、それ以降、沈黙してしまう。  私も、車を徐行まで減速させつつ、静かにその地蔵を見つめる。  後部座席の元カノも身を乗り出し、私と元カノの間へ挟まるように顔を覗かせる。 「なあに、あれ。とっても気持ち悪い」  後部座席から身を乗り出していた彼女が、そう漏らした。  どうしてかといえば、眼前の地蔵を認識したからだろう。  私と助手席の元カノが沈黙していたのも、同じ理由から。  その地蔵の外見が、異様であったためだ。  まず目についたのは、その顔面の特異性。  阿修羅像のように顔面が円状に複数付いており、おそらく一周するような造りをしている。  次いで眉をひそめてしまう点は胴体で、その身体には太い麻縄がぐるぐると巻かれていた。  極めつけは、その地蔵の足元、すなわち地面に、赤い風車がいくつも刺さり、回っていた。  おかしい。  離れよう。  異常だ。  危険だ。  そんな警告感情が、私の頭の中で並んだ。 「ねえ、早く通り過ぎましょう。恐いわ」  後部座席の彼女が言うのと、私がアクセルを踏み込むのが同時だった。  車が加速する。  その加速度のせいで、不安定な体勢で身を乗り出していた元カノが、どすん、という音と共に、後部座席へ倒れ込んだ。 「ちょっと、痛いじゃない。急加速しないで」 「ああ、ごめん」  後方からの抗議の声に、私は謝る。 「いや、今のはあんたが悪いでしょ。身体乗り出してるからだよ。後ろの窓からでも見えたじゃん」  助手席の元カノが、後部座席の元カノへ向けて言った。 「あら、なに? 喧嘩を売っているの?」 「理由付けて運転席に近づきたかっただけでしょ? 見え見えなんだよね。やらしいよ」 「そもそも、貴女が気味の悪い地蔵見つけたりしなかったら良かった、騒いだのが原因、とは考えられない?」 「はぁ? 私のせい? 喧嘩売ってきてんのはそっちじゃん。そんなちっさいことでさ」 「初めにその、ちっさいこと、で私に噛みついてきたのも貴女からじゃない。もう忘れたの? 頭大丈夫?」 「あんたさぁ、ちょっと、言っていい事とそうじゃない事くらい分かんない?」 「誰にものを言っているの?」 「何様なわけ? 馬鹿じゃない?」 「ちょっと、二人共、落ち着きなよ。どうしたの。急にそんな、喧嘩なんて」  私は狭い山道のルートを外れないよう気をつけながら、片手でハンドルを操作しつつ、もう片方の手で、まず助手席の元カノの頭に軽く触れ、撫でてから、後方の元カノへと伸ばし、手を繋いであげた。これは、付き合っていた当時からよくやっていた、相手の機嫌が悪くなった際の諫め方だった。頭を撫でてあげる。手を繋いであげる。この二人の場合は、こうすることで落ち着きを取り戻してくれて、どうして怒っているのか、何か嫌なことがあったのかを、正直に話してくれていた。故に私は反射的に、この動作をしていた。おそらく、これもいけなかったのだろう。 「ていうかさ、そもそも、あんたが悪くない?」  唐突に、怒りの矛先が私へと向いた。 「どうして私には軽く触るだけで、そっちには手伸ばして甘やかしてやるわけ? もう別れたんでしょ? なんで別れた後でも特別扱いしてあげてんの? 私と付き合ってる時からそういうとこあったよね。私のことが一番好き、だから付き合ってる、そんなふうに口では言うけど、私以外の子にも良い恰好して見せてさ。それで色々無下にはできないとか、相手に悪いからとか言い訳してさ。結局、モテてる自分に酔ってるだけ、満足感に浸ってるだけじゃないの? 私のこと一番に考えてくれてるなら、そういう普段の振る舞いから見直してくれるべきだったんじゃないの? なんでいつも良い恰好したがるの? あんたがいつまでもそんなだから、こういう喧嘩が起きるんじゃん」 「えっ? あの……」  突然の口撃にたじろぐ私の後ろから、元カノが口を挟む。 「ねえ、前から貴女に言いたかったのだけど、その自分勝手で妄想的でヒステリックな性格、直した方が良いわよ。そんなだから捨てられたんだって、不幸の原因が自分にあるって、分かっていないでしょう?」 「はぁ? なによ、それ。私、捨てられてないから。この子には私の方から、別れよう、って言ったの。その後に、あんたが泥棒みたいに盗ったの。この子がフリーになった途端に、鼻息荒く、はしたないくらいに分かりやすく。そうだったでしょ? 都合の良い勘違いしないでね」 「ああ、やっぱり、知らないままなのね」彼女が笑う。 「何を?」  助手席の彼女が身をよじり、後方へ身体ごと顔を向ける。  後部座席の彼女は、私へ向けて、まあ、今更言えないわよね、修羅場になるだけだものね、と追撃をしながら笑う。  その言葉に、私は背筋が冷えた。  これ以上はマズイ。それを今ここでバラされるのはマズイ。  焦りから、待った、と告げようとして。  それよりも先に、助手席の彼女が、へらへら笑ってないで答えなよ、と大きめの声を出す方が早かった。  私はその声に驚いて、隣に座る彼女へ目を向けた。  その時。  その瞬間。  気づいた。  走る車の側面に、先程の地蔵が見えた。  は? と固まって。  気のせいだと考えた。  一瞬のことだったから。  でも、見間違うだろうか?  あの異様な外見と、その辺りの別の物体とで、勘違いなどするだろうか?  目に焼き付いてしまっているから、そう見えただけ?  車内の状況が混沌としているから、幻覚のような錯覚に襲われた? 「貴女の性格にうんざりして、貴女と別れ話になる前から、その子、私と付き合っていたのよ」  数秒の硬直、その体感的タイムラグの間に、手遅れとなった。  しまった、と思った時には、私は助手席の元カノから横髪を鷲掴みにされた。 「ちょっと、今の本当の話? あんた、私と交際解消する前から、他の女に手出してたわけ?」 「やめなさい。貴女、本当に考え無しの馬鹿なのね。事故に遭いたいの?」  私の髪を掴む元カノの手を元カノが掴み、これ以上の暴力が行使されないよう制止する。  私は隣で喚き続ける元カノを言葉で宥めながら、ちらとバックミラーを見て。  凍り付いた。  嘘でしょう……?  あり得ないものが映っていた。  どうにか運転を続けながら、三度確認。  見間違いじゃない。 「ねえ、お願いがあるんだけど……」  私は震える声で、そう言葉を発した。  私の声色の変化に気づいてか、二人の元カノは言い争うのを止めて、静かになった。 「後部座席に、地蔵いない……?」  私がそう聞いた一秒後、車内は悲鳴で満たされた。  元カノは両者共、車内のドア側へ、勢いよく身体を逃したため、車体が左側へともっていかれそうになる。  私はハンドルを操作して、車が細い道から逸れないよう調整する。  目だけでバックミラーを再確認。  駄目だ。  まだいる。  車は加速していく。  加速している?  おかしい。私はアクセルを踏み込んではいない。  道は細く、車内は地獄絵図。加速するのは危険。  ちらと座席の足元を覗く。アクセルに異常があるのかと考えて。  瞬間、私は息が吸えなくなった。  そこには、あの地蔵があった。  外見はそのままの、ミニチュアサイズに縮小された地蔵が、アクセルに乗っていた。  マズイ。  これはマズイ。  このままでは本当にマズイ。  私は前方を確認してから、ブレーキを踏んで減速をかけつつ、座席の足元へ屈み込んで、地蔵をどかそうとした。  けれど、地蔵はぴったりとアクセルと上部の溝にはまり込んでいて、とても片手では外せそうにない。  途端、車が急加速した。  隣から大きな悲鳴が上がる。  私は顔を上げて。  そして、見た。  目の前に迫るもの。  この車よりも大きな、あの地蔵の姿を。                ※  本日、午前9時頃、M県の山道で、事故を起こした乗用車が発見されました。乗用車は正面衝突を起した後のようなフロント大破状態であり、車内にいた二十代と思しき女性三人が病院に搬送されましたが、全員死亡が確認されました。車体同士または電柱へ速度を出した状態でぶつかったような状況が想定されますが、山道は細く、一本道で、他に大破した車両なども見当たらず、不明な点が多いとして、M県警が事故の詳しい原因を調べています。
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