二人だけの千人針

1/1
前へ
/1ページ
次へ

二人だけの千人針

・ ・【二人だけの千人針】 ・ 「また千人針が立ってる。やらないとね、サオリ」 「そうだね! イヨ!」  千人針という風習がどこからやって来たかは分からないけども、誰かの夫や息子さんに戦争への召集令状が送られてくると、女性たちが街角に立ち、千人の女性から晒し木綿に、ひと針ずつ、赤い糸で縫い玉を作ってもらい、お守りの千人針を作るのだ。  私とサオリはまだ子供だけども、元気な女性たちも少なくなってきているので、市民総出で千人針を完成させるのだ。  ただ今日は、多かった。  ただひと針、縫い玉を作るだけだけども、その晒し木綿の数が尋常ではなくて。  まるで流れ作業の工場にいるみたいだった。  千人針も終えて、私とサオリはちょっとした空き地に育てられているカボチャを見に行った。  畑とは到底言えないデコボコしている空き地。  そこに当たり前の顔をしてカボチャの花が乱立されている。  私は溜息をついてから、口を開いた。 「千人針、多いね」  サオリは拳を握って、こう言った。 「みんな戦争へ頑張っていくんだ! 応援しないと!」 「応援か……」  その場にしゃがみ込んだ私。  するとサオリも私と同じ目線になって、 「日本軍がアメリカ軍に勝つため! 私たちは勝つまで闘う! 千人針は女性たちの気負いでもあるんだ!」 「相変わらずサオリは元気だね、でも私は本当に勝てるのかどうか不安だよ……」 「そんな顔しないで! イヨは笑っている顔が一番合ってるから!」 「だって食べるモノは勿論、衣料品まで配給制になって」  黙ってしまったサオリ。  でも私の愚痴は止まらない。 「挙句の果てにどこもかしこもカボチャ畑にして。学校の校庭も全部カボチャ畑。それ以外は秋に備えてサツマイモ畑で」  ここでサオリが割って入ってきた。 「でも美味しいからいいじゃない!」 「まあカボチャもサツマイモも美味しいけども、私はお米が食べたいよ」 「贅沢言っちゃダメ! もう少しの辛抱だから! きっと! そう!」  そう言って、語尾の強さとは裏腹に、私の肩を優しく叩いたサオリ。  今までサオリの明るさに助けられてきたけども、今日の千人針の多さには正直辟易としてしまった。  こんなに男性が長岡市からいなくなって大丈夫なのだろうか。  いや大丈夫じゃない。  防空訓練も今や女性ばかりで、赤ちゃんの世話は子供がやっている。  私とサオリの家には赤ちゃんがいないから、まだ安心だけども、って、赤ちゃんがいないというか、もうお父さんがいないんだ。  とっくの昔に召集令状が来て、私もサオリもお父さんは家にいない。  一体、今、どこで何をしているのだろうか。  こんなことを考えていたら、段々不安になってきた、ような、顔をしたのだろう。  サオリがニカッと笑って、こう言った。 「私とイヨのお守りを作ろう! そう! 二人だけで千人針を作ろう!」 「二人だけの、千人針……?」 「そう! 交換日記のように私とイヨが会う度に千人針をするための晒し木綿を交換しよう!」  二人だけの千人針、何だかちょっとだけ温かい感じがした。  だから、 「うん、やってみる……」  そう呟くと、すぐさまサオリは立ち上がり、 「思い立ったが吉日! 善は急げ! 気が付いた時が大安!」 「何それ、最後のヤツ知らないよ」 「私が今作った! それくらいの気持ち!」  そう言って私のほうへ手を伸ばしたサオリ。  私はそのサオリの手を握って立ち上がった。  その勢いのまま、私はサオリの家へ行った。 ・ ・【防空壕】 ・  サオリの家へ行くと、サオリの祖父がすぐに私たちを手招いて、こう言った。 「いいところに来た。今ちょうど防空壕を作っているところだから手伝ってくれ。やっぱり若い衆の手を借りんとできん」  サオリは手を前に出し、制止の型をしてから、 「ちょっと待って! やることやったらすぐ手伝うから!」  と言って、サオリはそのまま私の手を引いて、一緒に家の中に入った。  サオリは箪笥から余った布を取り出し、裁断し、手際良く、最初の縫い玉を作り、 「はい! イヨ! これ持ってて! 私と会った時に交換しよう!」  そう言って笑ったサオリ。  私もつられて口角が上がり、 「ありがとう!」  と答えた。  千人針なんだから最低サオリとは千回会わないと、そんなことを思いながら、私とサオリは、サオリの祖父が作っている防空壕作りを手伝うことにした。  軍手はボロボロの軍手しかないけども、無いよりはマシだと思って付けさせてもらった。  一組しかなかったので、サオリがすればいいのに、と言ったんだけども、サオリもサオリの祖父も、お客さんが付けるべきだと譲らなかった。  でも本当はサオリが軍手を付けてほしかった。  何故ならサオリの手は綺麗だから。  そりゃ毎日竹槍を持って訓練しているので、手の皮が分厚くなっているけども、サオリの指が長く、スラッとしている。  さっきの縫う作業も華麗で、憧れてしまった。  そんな綺麗なサオリの手が、どんどん土で汚れていく様を見たくないんだけどもな。  それにしても、と思った、私は口を開いた。 「防空壕って、これで合ってるんですか?」  するとサオリの祖父は首を横に振ってから、こう言った。 「知らん。誰も知らん。でも日本軍は防空壕を各家庭に一個作れと言っている。だから作るしかないんだ」  サオリは声を張り上げ、 「分からないモノを一から作るなんて、やりがいがある作業だね!」  いや 「見本の無いモノを作るなんて、ずっと闇の中だよ」  サオリの祖父はうんうんと頷きながら、 「確かにそうだな。でもその闇を作れれば完成といったところだな、防空壕は。よしっ、もっと大きな穴を掘るぞ!」  サオリもサオリの祖父も前向きだなぁ、と思いながら三人で防空壕を作っていった。  そこそこの大きさの穴になったところで、早速三人でその中に入ってみることにした。  でも子供二人と成人男性一人だけでも、ギュウギュウで、正直サオリのお母さんと祖母の入る隙間はあるのだろうか、と思った。  私もサオリも一旦出ようとすると、サオリの祖父が私たちの肩を両手で抱き寄せて、こう言った。 「ここからは秘密の話だ。門外不出にしてほしい」  その声は今までの元気溌剌とは違う、明らかに何かに怯えているような声だった。  サオリも何かを感じ取ったのか、笑顔が消えた。  一体何を言うんだろうと胸が高鳴っていると、サオリの祖父がゆっくりと口を開いた。 「アメリカ軍が時折、戦闘機からビラを配っていることは知っているな」  私とサオリは顔を見合わせて、頷いた。  サオリの祖父は話を続ける。 「そのビラのことは口外せず、すぐさま日本軍に渡すことになっているのだが、噂によると、この長岡市に空襲をするというビラが落ちてきたらしいのだ」  サオリはサオリの祖父のほうを睨むように見てから、 「おじいちゃん、そんなのはただの噂だよ。だって長岡には軍事施設が無いじゃない。そんなところが空襲されるはずないよ。そんなイヨを不安にさせるようなことを言わないで」  イヨ、と、真っ先に私のことを気に掛けてくれたサオリの言葉に何だか鼓動が高鳴った。  いやそれだけではないけども。  心音が激しいのはそれだけじゃなくて、えっ、長岡にも空襲が来るの? って。  サオリの祖父は唇を噛んでから、また口を開いた。 「もし空襲が起きたら、一心不乱に川へ行きなさい。水があれば助かる可能性があるから」  サオリは小首を傾げながら、 「えっ、せっかく防空壕を作ったのに」 「こんな防空壕はきっと気休めだ。そもそもこの大きさでは私や私の妻しか入れない。これ以上掘ろうにも今にも崩れそうじゃないか。足の悪い私たちが入ってこの防空壕は終わりだ。走る元気のあるサオリやイヨちゃんは走って川まで行くんだぞ」  私は気になった箇所があったので、聞いてみることにした。 「防空壕が気休めってどういうことですか?」 「最初に言っただろう。見本の無い、正解の分からない防空壕だ。本来素人が作るようなモノではないんだ。だから素人が作ったような防空壕には絶対に近寄ってはいけない」 「じゃあ何で作ったんですか!」  つい声を荒らげてしまった私と口元が震えているサオリを優しく防空壕から押し出したサオリの祖父は、 「日本軍が作れと言ったからだ。日本が作れと言ったら作らなければならない。我々は日本軍を信頼しているからな!」  まるでさっきまでの秘密の話をかき消すように、サオリの祖父は毅然として声を張った。  でも、この時に私はちょっと安心してしまったのだ。  いや実際空襲があるかもしれないと戦々恐々しているのだが、大人にも日本軍に対して懐疑的な人がいることにホッとしてしまった。  ただそれはきっと公言してはいけないこと。  抑圧され続けなければならない。 「いつまで続くんだろう」  ふと口をついた私の言葉に、サオリは笑いながら、 「私とイヨの仲は永遠だよ!」  と言って、つい、私も吹き出してしまった。  分かってる、サオリは今、無理して笑っていたことを。  でも私の笑顔は本当の笑顔だからね、って、言わなくても通じ合っているよね。 ・ ・【千人針の交換】 ・  この日以降、私とサオリは千人針を持ち歩き、会う度に交換していった。  千人針の赤い縫い玉が増える度に、まだ生きてる、まだ生きてる、と思った。  縫い玉の数だけ絆が濃くなっていくんだなんて、ちょっと思ったり。  ううん、そんなことはないか。  私とサオリの絆は常に百点満点で、それが永遠続くわけだから。  でも、というか、こうやって可視化されることは何だか心が躍って。  会うことが今まで以上に嬉しくなった。  学校が早く終わって、お隣さんの農作業を手伝う時は一旦そこから抜け出して、サオリの元へ会いに行くようにもなった。  サオリはサオリで他の人の農作業を手伝っていて、私を見たサオリはビックリしながらも、すぐに 「イヨ! ちょうど私も会いたかったとこ!」 「それは良かったぁ」  私はサオリと挨拶の握手していると、大人の一人が、 「おっ、新しい手伝いさんが来たな! こっちの草むしりは二人で頼む!」  と言って。  まあそう思うだろうなと思いつつ、私はサオリと肩を寄せ合って草むしりを始めた。  やっぱり同じ農作業でもサオリがいる・いないは大違いで、サオリといると喋っていなくても捗る。  その場にいてくれるだけでいいんだ。  サオリの息遣いが感じられれば、それだけでいいんだ。  サオリが生きていてくれることを実感できれば、それだけでいいんだ。  この千人針はサオリと私が生きている証、と思ったところで、私はサオリに千人針を渡した。  するとサオリは千人針を見ながら、 「結構増えたね! この縫い玉は幸せの呼吸の数だ!」 「何それ、同じようなこと考えていたかも」 「やった! イヨと同じことを考えられるなんて一心同体だ!」 「ちょっと、はっきり言葉にしないでよ」 「いいや! 私は思ったことを全て口にしたい! だって伝えたいじゃないか! 想いを全部!」  私はちょっと呆れ笑いをしてから、 「言わなくても伝わるとかでもいいんだよっ」 「ううん! 私は言いたい! だって人間は感謝を伝えたいから喋れるようになったんだ!」 「そっか、そうかもね、ありがとう、サオリ」 「イヨ! こちらこそありがとう!」  そう言って笑い合っていると、大人が、 「喋ってないで働く!」  と叫んだので、私とサオリは顔を見合わせて、軽く会釈をして、また作業に没頭した。  農作業の手伝いが終わった夕暮れ、またサイレンが鳴り始めた。  最近夜が近付くと、毎日のようにサイレンが響く。  それでも眠れるくらい疲れている私、サオリはどうなのかな、でもサオリもまだ肌の血色は悪くなさそうだし、きっと大丈夫なんだろう。  このまま別れて帰るのは簡単だけども、なんとなく私はサオリから離れたくなくて、肩が触れる距離で一緒に歩いていると、サオリが、 「今日はもうちょっと散歩しようか!」  と言って笑った。  私はその言葉に甘えて、遠回りし始めた。  こうやって、ずっと遠回りしていたいと思った。  遠くの遠く、どこか遠くまで一緒に歩んで、道草をして、風に揺れる木々は爽やかで。  澄み切った夕焼け、空には鳥が舞っている。  ふと、二人で上を向いたその時だった。 「ビラなんて探すな! あんなのはデタラメだ!」  知らないおじさんが私とサオリを指差しながら、一喝してきた。  私とサオリは首を横に激しく振ったのだが、おじさんは止まらない。 「日本軍を信じていればいい! というか信じられない人間は非国民だ! 通報するぞ!」  話を聞いてくれなさそうなおじさんから私とサオリは走って逃げた。  結局、すぐさまサオリの家の前まで来てしまった。  家の前まで行くと、サオリの祖父が腕を上げながら、 「イヨちゃん、そろそろ暗くなるから帰りなさい」  と声を掛けてくれた。  ふと、私が、 「あれ、サオリのお母さんは?」  と言うと、サオリの祖父が、 「今日はこの辺の婦人会だからきっとイヨちゃんのお母さんも家にはいないはずだよ」  そう言えば、そんな話をしていたような気がする。  私はサオリとサオリの祖父と挨拶をしてから、帰路に着いた。  家に戻って、後は寝るだけ。  食べ物も無いし、睡眠欲は食欲より強いので、さっさと寝てしまうことにした。  眠れるとはいえ、やっぱりサイレンで起きることもあるし、寝られる時に寝ておくことにした。  八月一日の夜。  今日も何もありませんように。 ・ ・【空襲】 ・  今日のサイレンは一段と強いと思いながら、目が覚めた。  空はまだ夕暮れで、と思っていながら窓の外をボヤっと見ていると、その違和感に気付いた瞬間に私は叫んだ。 「空襲だ!」  長岡の街は既に燃え始めていた。  まさか本当に空襲があるなんて、そんなことを思いながら私は防空頭巾を被って、外に出た。  お母さんは一旦帰って来たのか、一旦帰ってきてもう逃げ出したのか何なのか、家にはいなかった。  一瞬、祖父と祖母のことを考えたが、すぐに、もう病気で既に亡くなっていることを思い出した。  早く逃げ出さなきゃ。  そう思って私は一心不乱にサオリの祖父から言われた通り、川へ向かって走り出した。  上空にはアメリカ軍の戦闘機が低空飛行している。  それもそうだ。  長岡には軍事施設が無く、対空の武器は無い。  アメリカ軍の戦闘機が我が物顔で長岡の空をゴォンゴォンと飛び、銃弾爆撃を開始していた。  走り出してすぐに、どんどん火に囲まれていっていることに気付いた。  恐怖でその場で倒れ込みそうになる。  いや恐怖だけじゃない。  この悪臭。  焼夷弾から飛び出すどろどろの油脂の匂いには拒否反応を示してしまう、と思ったところで、焼夷弾が目と鼻の先で破裂した。  飛び散る火の付いた油脂が私へ向かって飛んできたその時だった。 「イヨ伏せて!」  その声に反応して、私はその場に伏せた。  なんとかかわせたらしく、私の体は燃えているような熱さは無かった。  だが、火に囲まれてじりじりと熱い、もう終わりかも、でもサオリのような声の幻聴で助かった、と思っていると、私の隣にはサオリがいた。 「イヨ! 一緒に川へ走るよ!」 「サオリ!」 「目が四つあればどんな焼夷弾もかわすことができるさ! 頑張ろう!」 「サオリ! 無事だったのっ?」 「勿論! そしてこれからも! イヨ! 行くよ! 千人針もある! これさえあれば大丈夫だから!」  私の手を握って走り出したサオリ。  そうだ、サオリと一緒なら大丈夫だと思った矢先、また焼夷弾の油脂がこちらに跳ねてきた。  私の顔へ、と思った時、サオリが私のことを抱きしめた。  一体どうなったか分からなかったけども、すぐに気を確かに思い、サオリの体を見ると、 「サオリ! 防空頭巾を早く脱ぎ捨てて!」 「分かった!」  サオリは防空頭巾を遠くに投げた。  防空頭巾は空中を舞っている間に燃えカスになった。 「サオリ、私を守るために防空頭巾が……」 「ううん! イヨが、私の防空頭巾に油脂が付いたこと分かってすぐ教えてくれたおかげで助かったよ!」  そう言って笑ったサオリ。  私はとにかくサオリの頭を守らないと、と思い、 「サオリ! 千人針を防空頭巾にして!」 「いやでもこれは大切なお守りだから!」 「サオリの体以上に大切なモノなんてないよ!」  するとサオリはすぐに千人針を被って、 「よしっ! これで急ごう!」 「うん!」  そう言ってまた二人で川へ向かって走り出した。  なんとか川へ着くと、なんと川は燃えていた。  焼夷弾の油脂が川に浮き、水面が燃えているのだ。  絶句したサオリがその場に倒れ込みそうになったところで、今度は私がサオリを支えるように手を繋ぎ、 「火が無いとこ探して潜ればいい! 一緒に潜り続けよう!」  するとサオリが握る手も強くなり、一緒に川の中へ入った。  手は繋いだまま。  きっとこれが命綱だ。  どっちかが大丈夫なら、引き上げることもできるし。  ずっとずっと繋がっていたい。  私はまだまだサオリと一緒に生きていたいんだ。  潜って息継ぎをして、潜って息継ぎをして、を、繰り返す。  そう、繰り返したい。  同じことの繰り返しが幸せだから。  気付いた時には夜が明けていた。  空襲も終わり、川からあがり、土手に立った。  長岡の街は焼け野原になっていた。  これからどうすればいいのだろうか。  でも、私の手を握ってくれる人が、サオリがいる。  サオリがいれば、まだまだ私は生きることができる。 「イヨ! 私は負けないよ! 私は生きる!」  そう言って私のほうへニッコリと微笑んだサオリに、 「勿論、私も負けないからね、サオリ」  と応えた。 (了)
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加