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私は走った。木々に囲まれた道路をひたすら走って、何とか車まで辿り着く為。後ろを振り返る事もなく、ひたすら走り続けた。
「私を捨てる? 馬鹿なことを考えたわね。そんな事はさせない。順君の生活を見ていたい」
私が彼女と出会ったのは、ほんの気まぐれで足を踏み入れたリサイクルショップ。この街に住んでいるけれど、こちらの地域に来ることはなかった。
それがたまたま、高校時代の友人に誘われて野球観戦をした。その帰りに寄ってみようと思ったのだった。
金曜日の夕方。店内を冷やかしながら歩いていた私の目に、1台の炊飯器が飛び込んできた。価格は何と2千円で手頃な価格と、ちょうど良い大きさなので購入した。
いま使っている炊飯器は時々、炊き加減でいらいらするので、家に到着してすぐにセッティンした。その時は、おもしろいと思って炊き上がるのが楽しみだった。
私の購入した炊飯器は特殊だった。炊飯中におみくじが出来るおみくじ炊飯器だった。
「私のおみくじをしてね」
若い女性の声がした。炊飯器のデジタル表示の下方で、大吉・中吉・小吉・末吉・吉の文字が交代で表示される。ストップボタンも表示される。
私が押すと吉だった。若い女性の声が再び聞こえてきた。
「吉ですね、おめでとうございます。そろそろ炊けますね。少々、お待ち下さい」
炊き上がりのメロディーが流れ、蓋を開けたその瞬間、思わず言ってしまった。
「えっ何で」
すかさず若い女性の声がする。
「おなかの調子が良くなさそうですので、おかゆにしましたよ」
おみくじは若い女性に操作されてるのだろうか。私は普通の白飯のつもりだったのに、炊き加減まで操作されてしまっていた。
確かに野球観戦の時に、この季節にふさわしくない暑さで水分を補給しすぎたのか、おなかの具合はあまり良くなかった。そんな私の状況を何で知っている? この炊飯器、いったいどういう商品だろう。
夜中に目が覚める事なんて殆どないのに、今日に限って奇妙な音で起きあがった。
ドアが勝手に開いて白い服が床を這ってきている。しかも、その白い服が延々と私に向かって伸びてくる。
しばらくすると掛布団の上が冷たくなってきた。服が擦る音に一瞬、ほんの一瞬だけ息を止める。でもすぐにいつもの呼吸。
「順君、順君、私よ、分かる? 」
綾奈。その声は綾奈。もう30年以上も前の高校時代に交際していた高寺綾奈。
「ごめんね驚かせて。こんな形でも順君に会えてよかった。運命の赤い糸って信じるよ私」
頭まですっぽりかぶっていた掛布団にに、白く細長い指が伸びてくる。めくらられて綾奈の顔を見て絶句。アザがあって首にも左右に伸びているアザ。かわいそうで俯いた。
「大人になったね順君。今夜はこの部屋にいていいかしら」
「別に良いですよ」
ドアを見たら白い薄い服がどれだけ伸びてきたかが分かる。開いたドアの向こうにも見える。
「その白い薄い服、かなり伸びるね」
「そうね。炊飯器のところからだから。ごめんなさい起こして。私も寝ます」
綾奈と思っていたのとは違う再会をした。でも綾奈に変わりない。
朝、起きるとそこに綾奈の姿はなかった。キッチンにもいない。炊飯器も普通。とりあえずレトルトのスープと、昨日購入したサラダと、おなかの調子も良くなってきたので冷凍の白飯を、と思っていたら炊飯器から声。
「もうすぐ炊けます。少々、お待ちください」
綾奈の声だ。冷凍御飯は昼用にしよう。
「今朝も、おみくじをしてね」
まさかの大吉。炊飯器から綾奈の声。
「すごいよ順君。朝からラッキーだね。炊けるまでもう少しお待ち下さい」
普通炊きの白米が御赤飯だった。いつの間にか小豆が入っている。怖い、何か怖い。自分の食べたい時に白飯が食べられない。家では、おみくじに従い白飯じゃない事がある。
「綾奈。1つだけ訊いて良いですか」
「何を」
「おみくじによって炊きあがりが違うので、白飯の場合は、おみくじで何になった時ですか? 」
綾奈が、おみくじを操作している。そんな気が強くなってきていたので訊いた。
「それは私にも分からない。ごめんなさい」
仕事中も晩御飯の事で頭がいっぱいだ。
「今日さ、いつものメンバーで飲みに行くけど、どうする? 」
「行くよ」
久しぶりに外食。ただ引っかかったのが綾奈の存在。お米をセットしていないし電源も切ってあるし、まさか炊いていないだろう。
飲み会は楽しかった。お酒は飲まないから食べる方に徹して烏龍茶を飲んだ。これこそストレス発散だろう。話して飲んで食べて、途中でコンビニに寄った時、綾奈をネット検索した。
絶句した。新婚夫婦の事件だった。加害者の夫は調べに対して、彼女の手料理の腕はとても素晴らしいものだった。ただ毎朝、休日は家にいれば昼も、毎夜も御飯は家で食べてと半ば強要されていた。仕事の付き合いだと事前に伝えてあっても、帰宅すれば食卓に手料理。口論でカッとなってしまったと話したと書かれていた。
まさか。私は家に帰って食卓を見る。さすがに手料理は並んでいなくてホッとした。シャワーを浴びて、そのあとなぜか足が炊飯器の場所へ。
「順君、今日は遅かったわね」
電源を切ってあるはずの炊飯器から綾奈の声。
「電源は切っていったはずですが」
綾奈と話すと、なぜか話し方がぎくしゃく。
「今夜もおみくじしてね」
怖い。なぜか指が足が震えている。結婚したわけじゃないから、たとえ外食したって怒られないはずだ。
「同僚に誘われて、仕事の話をしながら飯に」
おみくじは凶だった。まさか本当に凶が出るなんて。
慌てて炊飯器を開けた。中にはラップに包んで冷凍庫に入れてあった白米が、ぐちゃぐちゃになって入っていた。怒った証拠だ。でも夫婦でもない、恋人でもないのに、なぜ私に怒る。
「明日の夜は、ちゃんと家で私のそばで食べるって約束して」
拘束感が酷すぎる。掛布団をかぶっている私に向かって来る綾奈と白く伸びた細長い指。白い薄い服は床を這い伸びて私を包囲した。
翌朝、少し先の木々に囲まれた道路脇の、ゴミ処理場に置いて走って逃げ、車に乗ったら助手席に置いてきたはずの炊飯器が。
綾奈が言う。
「私を捨てる? 馬鹿なことを考えたわね。そんな事はさせない。順君の生活を見ていたい」
もう諦めた。綾奈はあの頃の綾奈じゃない。
仕方なく電化製品を供養してくれる寺か神社を電話して探した。そして、供養先の寺まで車を走らせた。
そのまま帰るまで何も起こらなかった。助手席も後部座席にも炊飯器はなかった。
「今度は、普通の炊飯器を買おう」
でも。綾奈がまた私の買う炊飯器にいたら? 供養してもらったし、もう寺に置いてきたし大丈夫だろうと思い直した。
数日後、リサイクルショップではなく、家電量販店で炊飯器を購入しようとやって来た。おみくじ付ではない普通の炊飯器。
おみくじ付と綾奈のせいで白飯にありつけなかった私は、さっそく炊飯器に白米をセット。
野菜炒めを作っていた私の耳に届いた声。
「順君、来ちゃった。おみくじ出来るよ。早くこっちに来て」
(了)
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