1.小さな疑惑

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1.小さな疑惑

 暖かな日差しが、左頬をじんわりと撫でている。その日差しの向こうで、ピッピッ、チューチューイッ…といった甲高い鳴き声が聞こえた。その鳴き声がひと段落すると、しわがれた声がそれに答える。 「あれからヤツは、しばらく表面化しておらぬからのう」 (これは、じーさんの声か?)  その声には聞き覚えがあった。しかし、彼の言う「ヤツ」とは一体誰のことなのか……そんなことを、なかなか働こうとしない思考回路で無理やり答えを導き出そうとしていると、先ほどまで甲高かった鳴き声が、急に艶のある女性の声音へと変わり…… 「他には何か、変わったことはありませんか?」 と、訊ねた。 「変わったこと、のう……。あぁ、それなら最近のどに異形を封じた、妙な男と出くわしたわい」 「のどに異形を封じた男?」 「そうじゃ。男の首には術師の(しゅ)がくっきりと見えておった。その男の発する言葉は、言霊(ことだま)の力を帯びておってなぁ」  そこまで話すと、暫し無言の時が流れる。その話は、俺自身にも身に覚えがあった。 (もしかしてじーさん、俺の近況を誰かに喋ってるのか? 一体誰に?)  やがて女性からお礼の言葉だけが聞こえ、バサバサという羽音がして何かがその場を立ち去る気配がした。さすがに相手が気になり、無理やり瞼をこじ開けようとするが、すぐに日の光が視界いっぱいに飛び込み、ホワイトアウトする。  眉間に皺をよせて瞼を閉じ、再びそうっと瞳を見開くと、目の前には灰色のホワホワとした毛並みと、ヒクヒク小刻みに動くピンク色の鼻が見えた。その鼻の両脇からはピンと長い数本の白い髭と、鼻下に細長く輝く立派な白い歯が二本生えている。 「おはようございます、忌一 (きいち)さん」 「へ!?」  どう見ても視界に飛び込んできたのは……一匹のネズミだった。枕で横になっている自分の頭のすぐ目の前に、一匹のネズミがこちらの顔を覗き込むようにして、大人しくその場に座っている。そしてその声は、先ほどの艶やかな女性ものではなく、中高生のような若々しい青年のもので、明らかに……人の言葉を喋っていた。 「うわっ……キスケ!? どうしてここに……っていうか、何で喋ってんの!?」  思わず飛び起きて、これが現実かどうか確かめようとする。周囲を見回すと、そこは嫌と言うほど見慣れた自室だった。寝ていた万年床の布団には、すぐそばの窓から陽光が差し込んでいる。それが先ほどまで自分の頭に降り注いで、起床を妨げていたのだとすぐにわかった。  窓を見上げると、開けた覚えもないのに三十センチほど水色のカーテンが開いており、そのカーテンの端から、花咲じじいの恰好をした小さな老人がひょっこり顔を出していた。
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