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011 老夫婦のお店
ジンジャー修道院に別れを告げたキャロルは、お店への地図を頼りに街へと向かった。お店があるのは、テッドベリー国の王都の中では庶民的なランベスという地区だった。
王都の真ん中に王宮があり、王宮から近い場所ほど高位貴族の地区となる。キャロルが向かうランベスは、王宮から遠く平民たちが住まう場所。だからと言って治安はそんなに悪くはないと聞いている。
王都で一番端に位置する場所は、最も治安も悪く極貧層の者たちが住んでいる。さすがのカロリーナでも、その場所に足を踏み入れたことはない。噂では、貴族の汚れ仕事を請け負う輩などがそこにいるらしい。そこよりは手前で、多くの平民たちが暮らしている地区だった。
キャロルは、修道院のあった森からずっと歩いていた。ドレスを売って得たお金が、今のキャロルの全財産だ。修道院で端切れを使って自分で作った財布に入れて、大切に修道院から持ってきている。宝石類は、ハンカチに包んで鞄の一番底にわからないようにしまっている。何かの機会に売ってしまいたいと考えてはいるが、今ではないと保留にしている。
とにかく今は、地道に働いて少しずつお金を貯めるのだと気合を入れる。
森を抜け、舗装された道に変わると段々と賑やかになってくる。自分がよく知る貴族街は、どこも整備されていて建っているお屋敷がどれも大きく立派なものだった。殆ど歩いている者もいなくて、家紋を入れた馬車が行きかうぐらい。
だけど平民の街は、沢山の人が道を行き交いとても賑やかだ。そんな街を歩いていると、キャロルは少しワクワクしてくる。前世のキャロルは、働くことが好きな女性だった。だから修道院での仕事も全く苦ではなくむしろ充実していた。だけどたまに、無性にイライラすることがあった。何かがあった訳ではないのだが、ただイライラするのだ。
そんな時は、カロリーナが怒っているのだと自分の中で結論付けていた。原因が分かっていれば、心を落ち着かせるしかない。だからそんな時は、ひたすら深呼吸をしたり同室のマリーとおしゃべりをしたり、意識を他のことに向けて何とか憤る気持ちを逃がしていた。
平民として働きながら生活することは、それだけがちょっと心配ではある……。修道院という閉ざされた場所とは違い、色々な人々がいる。時には、柄の悪い者に絡まれることもあるかもしれない。
そんな時に、カロリーナの感情が暴走したら怖い。そうは思うのだけど、あのまま修道院にいるべきじゃないと考えた以上、きっとなるようにしかならない。そのうちカロリーナも、慣れてくれるはずだと開き直る。死に直面したからなのか、あの時よりは今がましなはず。前世では考えられないくらい神経が図太くなっている。危険なことや失敗するおそれのあることに手を出したことなんてなかったけれど……。今は、そんなスリルも怖いと感じながら楽しんでいる。間違いなく自分は、カロリーナなのだと強く意識する。
色んなことを考えながら歩いて行くと、メモに書いてある目印らしき建物を見つけた。賑やかな商店街の真ん中に大きな時計が立っている。
手書きの地図には、その時計を右に曲がって一番奥にあると書いてある。キャロルは、時計の下にくると右手に細い路地を見つけた。賑やかな大通りとは違い、小さな店がポツポツと並んでいる。人も大通りよりはまばらに感じながら、その路地を進む。すると突き当りに、大きな煙突がある建物が見えた。黄色い看板に「食堂サティオ」と書かれている。
キャロルが修道院を出て来たのは、朝食を食べたあとすぐ。あと一時間ほどでお昼という時間帯だった。建物からは、美味しそうな匂いが漂っている。お店の入口は、大きなガラスのはまったドアで中が良く見える。中を覗き見ると、小さいながらも手の行き届いた綺麗なお店だった。
キャロルは、思い切ってお店のドアを開けた。すると、カランカランとドアのベルが鳴った。だけど、誰も出てくる様子がない。
「すみません、ジンジャー修道院から参りました」
キャロルは、大きな声で厨房に向かって声をかけた。すると、誰かがこちらに歩いてくる音が聞こえた。
「はーい。今行くよー」
おばあさんの明るい声だった。厨房の中からゆっくりと歩いてきたのは、修道院長ぐらいの年配の女性だ。三角巾とエプロンを付けていて、恰幅がよくニコニコしている。
「こんにちは。ジンジャー修道院から来ました、キャロルと申します」
キャロルは、頭を下げて挨拶をする。
「あらっ、とんでもなく綺麗なお嬢さんだこと。こんな小さな店で悪いねー」
ここの女将さんだろう女性は、申し訳なさそうな顔をする。
「とんでもないです。行く当てがなかったので、住み込みで雇って貰えるなんてとても有難いです。一生懸命働きます。よろしくお願いします」
キャロルは、元気一杯に言った。何事も第一印象が大切だ。
「私は、コニーって言うんだ。これからよろしくね。今、旦那も来るから」
そう女将さんが言ったと思ったら、彼女の後ろから今度は年配の男性がゆっくり歩いてくる。その男性は、白髪頭で白い調理用の帽子と白衣を身に着けていた。男性の方は、少し厳しそうな一見すると怖そうなおじいさんだった。
「ああ、あんたがジンジャー修道院からの。こんなに細っこくて大丈夫かい?」
この店のご主人だろう人が、訝しがっている。
「はい。大丈夫です。キャロルと申します。よろしくお願いいたします」
キャロルは、もう一度名前を名乗りご主人に挨拶をする。
「全くあんたは……。そんなこと言ったら、怖がっちまうよ」
女将さんが、旦那さんを窘める。
「キャロルか、よろしく頼む。これから昼の時間だから、お客さんがそろそろ来るんだが……。あんたどうする?」
旦那さんが、キャロルの方を見て言った。
「すぐに入ってもよろしいのでしたら、私働きます」
キャロルは、拳を握りしめる。
「じゃーまー、客が食べ終わった皿を下げるのと、皿洗いぐらいならできるか?」
旦那さんは、大丈夫か? と怪しんでいるようだった。キャロルは、それくらいなら大丈夫だとホッとする。働きますと元気に答えたのはいいが、メニューも知らないのに失礼なことをしたらどうしよう? と思わなくもなかったから。
「はい。それなら大丈夫です」
その言葉を聞いた旦那さんは、頷くと厨房の方に戻って行った。
「悪いね。愛想のない人で。荷物を部屋に持っていこう」
女将さんが、厨房の横にある階段を指さした。キャロルも「はい」と頷いて階段の方に向かう。女将さんの後について階段を上った。
「ここが、キャロルの部屋だよ。娘が使ってたんだけど、嫁いで今は使ってないから。狭くて申し訳ないけど好きに使って」
二階部分は、住居スペースになっていてリビングなどが見えた。キャロルが案内されたのは、二階よりも上の屋根裏部屋だ。
「娘さんがいらっしゃるんですね。でも、帰って来た時に困るんじゃないですか?」
「遠くに嫁いで帰って来ることがないんだよ。だから気にしないどくれ」
「そうなんですか……。では、遠慮なく使わせていただきます。ありがとうございます。荷物を置いたら、すぐにお店の方に行きますね」
キャロルは、部屋の中に入ってキョロキョロと確認した。屋根裏部屋は、天井が斜めになっていて窓も小さな天窓が一つあるだけ。部屋には、ベッドと机とクローゼットの代わりに洋服掛けがある。
カロリーナだったら発狂してしまいそう。だけど、今の自分は気に入った。前世に読んだ物語に出て来る秘密基地みたいだったから。
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