002 カロリーナの前世

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002 カロリーナの前世

 先ほど頬に傷を入れられたカロリーナは、一気に思い出した記憶と精神的疲労が重なり、ふっと意識が薄くなる。  部屋を連れ出された騎士に、腕を引かれて廊下を歩いていたが足が止まり引きずられる。もう意識を保っているのが限界だった。 「ご·····めん·····な·····さい」  引いていた腕が突然重くなり、騎士は後ろを確認した。カロリーナが、ぐったりと意識を失っていた。 「おい! しっかりしろ!」  声を掛けてもまったく応答がない。騎士は、仕方ないとばかりにカロリーナを肩に担ぐようにして歩き出した。  目を覚ましたカロリーナは、見覚えのない天井に驚く。知らない部屋で、質素なベッドに寝かされていた。カロリーナは、体を起こして意識を失う前のことを思い出した。  自分は、ウィンチェスター侯爵家の長女で名前をカロリーナ・ヴィンチェスターと言い、この国の王太子ディルク・アレン・テッドベリーの婚約者だった。  すでに過去形なのは、殺されかける前に出席していた王宮主催の夜会で、ディルクから婚約破棄を言い渡されたから。  ディルクの隣には、勝ち誇った顔をしたピンク髪の可愛らしい令嬢が寄り添っていた。彼女は、ディルクが主張する真実の愛を知ってしまった相手ララ・ヴォーカーだった。  ララは子爵家の令嬢で、自分の美貌を武器に王太子を落とすことに成功した女だ。同じ年代の令嬢の中では有名な娘で、ララに自分の婚約者を会わせてはいけない。  それが、年頃の令嬢たちが口を揃えていう言葉。会わせたが最後、わざと令息に近づき横から婚約者をかっさらっていくからだ。  そして自分のことにも思いを馳せる。自分は、悪女で有名な侯爵家の娘だ。我儘で、傲慢で自分のことが第一。地位も美貌も学力も全てが一級で、同じ年頃の令嬢たちからは恐れられ、そしてまた羨望の眼差しを向けられていた。  今ならわかる。カロリーナは、そんな自分に酔っていたのだ。  あの夜会でディルクから婚約破棄を告げられ、今まで自分がしてきたことを暴かれて罪に問われた。  その罪とは、国で禁止されている薬物の売買。又、同じように禁止されている、地下カジノの経営。第一王子の婚約者でありながら、自分好みの男性を常に横にはべらかす。  自分で言うのも何だが、かなり悪いことばかりやっていた。カロリーナは、常にスリルを求める女だった。能力的に自分よりも劣る男の婚約者に、大人しく収まっているほどお人好しではなかったのだ。  だから婚約破棄されたのは、全て自分の傲慢さが招いたこと。   婚約者だったディルクから、最後に言われた言葉。 「さっさと連行して処刑しろ。証拠はそろっている。裁判にかける必要はない!」  その時の、ディルクの顔を思い出すと怒りが沸々と沸いてくる。これは、人格が変わる前のカロリーナの怒りだった。  なぜ兵士に連行されながら、カロリーナの人格が変わっていったのか……。それは、カロリーナのもう一つの記憶を思い出したからだった。その記憶こそが、カロリーナの前世だ。前世のカロリーナは、日本という国に生まれて実に平凡な一生を送った女だった。  真面目で、目立つことを嫌い努力の人間だった。誇れることと言ったら、密かな負けず嫌いくらいだろう。  そんな前世の自分が、傲慢で我儘なカロリーナの記憶と混ざり合った。彼女は、間違いなく悪女だった。自分の為ならば、人を犠牲にすることなんてなんとも思わない女だ。  そんなカロリーナが、可愛いだけのララ・ヴォーカーに負けたのだ。相当悔しかったのだろう。きっと受け入れられない心が、前世の自分を呼び起こした。  あの時の煮えたぎるような、カロリーナの怒りを思い出すとそうとしか考えられない。  そもそも、なぜこんな悪女であるカロリーナが、ララと王太子妃の座を取り合っていたのか。それは、カロリーナが王太子妃たる素質を全て持っていたからにほかならない。  地位も、美貌も、淑女としての力も、国を支えていく知識も学力も。婚約者だったディルク・アレン・テッドベリーは、何もかも足りない王子だった。  王の一人息子として育てられたディルクは、厳しく育てられていた。だけど、能力がどうしても国を背負っていくだけのものに育たなかった。外見だけは優れていたがそれだけの王子だった。  学力も並み、運動神経も並み、人を動かす能力も並み、それを補うためにカロリーナだった。だからカロリーナは、そんなディルクに興味がなかった。興味があったのは、国の女性の中で一番である王妃の座。  ディルクに国を治める能力がなくても、自分ならできると思っていた。だからカロリーナは、ディルクを軽く扱った。今思えは、そんなだから婚約破棄されて処刑されるような目に合うのだ。  ララは、自分の能力に限界を感じるディルクの心の闇に、上手く入っていっただけ。ディルクを傷つけるだけのカロリーナが、勝てるはずはないのだ。  頭の整理がついてきたカロリーナは、きっとここはさっきの騎士が連れて来てくれたのだと推測する。死ぬのだけは嫌だったから、なんとか処刑だけは回避できたけれど……。これからどうしよう? と戸惑う。  自分の中で、ララに負けた悔しさだけが強烈に胸の中に残っている。しかし、前世を思い出したカロリーナは、今までのような生き方はできそうにない。  呆然とベッドの上に座っていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。咄嗟に、カロリーナは「はい」と返事をした。返事を聞いて扉を開けたのは、見たことのない少女だった。 「あっ、お嬢様、目が覚めて良かったです。今、兄を呼んで来ます」  少女はそう言うと、扉を閉めて駆けていった。きっと、カロリーナをあの部屋から連れ出した騎士の妹なのだろう。すぐに戻って来た少女は、やはりあの時の騎士を連れて来た。 「ヴィンチェスター侯爵令嬢様、お目覚めになられて良かったです」  騎士は、安堵の声を漏らす。 「そんな畏まらないで。もう私は、侯爵令嬢でも何でもないのだから」  カロリーナは、騎士の顔を見てはっきりと告げた。 「あの……、何か雰囲気が変わられていませんか?」  騎士は、恐る恐るといった態度だった。悪名を轟かしていた自分を、怖がっているのかもしれない。 「処刑されそうだったのよ? 少しは大人しくなるわ」  こんな屈強そうな騎士にまで、恐れられている自分が恥ずかしい。違和感を感じさせないように、当たり障りのない答えを返す。  できれば、あのカロリーナは忘れて貰いたい。真面目だった自分には、考えられない様々な描写が頭を翳めて居たたまれない。  騎士は、不思議そうにしていたが頭を切り替えたのか話を変えた。 「これからどうするおつもりですか?」  騎士が心配そうに訊ねる。その表情を見たカロリーナは、この人かなりのお人好しねと思う。騎士団長から捨ててこいって言われたのに、介抱して家に連れてきちゃうなんて……。知られたらきっと処罰ものだ。  後ろに控えている妹も、心配そうな表情を浮かべている。優しい人に拾って貰えて良かったと、カロリーナは感謝する。 「とりあえず、修道院にでも身を寄せるつもりよ。身一つで来た女性を、追い返すようなことはしないでしょう?」  カロリーナは、ベッドの上で呆然としながらも考えていたことを言った。それが一番無難な選択肢だ。  カロリーナの実家である、ヴィンチェスター侯爵家には帰れない。両親共に、私が断罪された時に助けに割って入ってこなかった。きっと切り捨てられたのだ。ディルクによって暴かれた罪状は、ほぼ真実だった。  国で禁止されていることに手を出していた娘を庇うなんて、あの人たちがするはずない。庇うような素振りを見せたら、自分たちも加担していると言っているようなものだ。我儘で傲慢な娘を育てた両親だ。血は争えない。両親は、自分の身が一番な人達なのだ。  そして何より、人格が変わってしまった今のカロリーナが屋敷の人々から違和感をもたれないか不安もある。  使用人に対してかなり酷い態度をとっていたから、同じように振舞えると思えない。それだったら、心機一転修道院にでも行って静かに暮らす方が良い気がしたのだ。 「ですが……。大丈夫ですか? 修道院は……その、お嬢様が暮らすような場所では……」  騎士は、口ごもりながら疑問を述べる。きっと、カロリーナのような生粋の貴族令嬢が暮らせる所ではないと言いたいのだろう。  自分も、カロリーナのままだったらきっと無理だと思った。でも、前世の記憶を取り戻したカロリーナなら何の問題もない。  自分のことは自分でできるし、家事も仕事も一通りのことはできる自信があった。 「問題ないわ。騎士団長にああ言ったのだもの、今までの自分は捨てないと」  騎士は、驚いた顔をしたがもうそれ以上は言うことはなかった。それからカロリーナは、その騎士の家を後にする。  その時に見送りに出てきてくれた少女から、頬の傷の心配をされた。応急処置だけしかできていないから、できれば早くきちんとした医者に見せたほうがいいと言ってくれたのだ。そのままにしていたら、間違いなく跡が残ってしまうとその少女は最後まで心配してくれた。  そんな少女になにかお礼はできないかと思い立ったカロリーナは、自分の小指に嵌るピンキーリングを外した。 「この指輪、貰ってくれないかしら? こんな物でしかお礼ができなくて申し訳ないのだけれど……」 「そんなお嬢様……、私なんかにいけません」  受け取ろうとしない少女の手に、無理やりカロリーナは指輪を握らせる。 「これくらいの宝石なら、小さな店でも換金できるから。あなたの好きにしてね」 「大切にします。あの……お嬢様もお元気で」  少女は、指輪を大事に握りしめカロリーナに笑顔を送る。横に立っていた兄は「ありがとうございます」と頭を下げた。 「では、行くわね。二人とも、ありがとう」  カロリーナは笑って別れを告げた。
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