004 王都の片隅にある修道院

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004 王都の片隅にある修道院

 古着屋でブーツを買うまで、ヒールの高い靴を履いていたのでかなり歩きやすさを感じていた。街で人の良さそうな者を見つけると、修道院への道を聞き迷いながらも広い王都を歩く。  自分の足で歩くことなんてしていなかったカロリーナだったので、既に足はパンパンだし疲労感が著しい。休み休み歩くこと半日、ようやっと無事に修道院を見つけた。  カロリーナが見つけた修道院は、貴族の娘が入るような立派な場所ではなく、王都の端にある所謂庶民の為の駆け込み施設だった。  修道院を目の当たりにして、ほんの少し面食らう。かなり古い建物は、外から見てもボロボロだ。屋根の一部は、修理する費用がないのかシートで覆われただけの部分がある。それに、窓ガラスが割れているようなところもあった。  建物の入り口に建つ看板には『ジンジャー修道院』と書かれている。カロリーナは、恐る恐る扉を開けて中に入る。するとすぐに受付らしき場所が目に入る。その場にいた者に目的を話すと、あっさりと中に通された。  自分を受け入れて貰えるか心配していたカロリーナだったが、いい意味で予想を裏切る展開に呆気に取られる。歩く度に軋む古びた木の廊下を通って修道院長の元に案内された。挨拶もそこそこに、名前と施設に入る理由を聞かれる。 「名をキャロルと申します。この修道院に入りたい理由は……。旦那に身一つで捨てられまして、家族も助けてはくれませんでした……」  カロリーナは、咄嗟にキャロルと名乗る。確か、カロリーナの愛称がキャロルだったはず。誰からも呼ばれたことなどなかったけれど……。  理由は、少しだけ嘘を混ぜてごく簡単に話す。修道院長は、カロリーナの話を黙って聞いていた。するとすぐに返事が返ってくる。 「わかりました。では、今日からあなたはこのジンジャー修道院の一員です。きちんと規則と規律を守って生活して下さい。それが守れないと、いくら他に行くあてが無くても出て行ってもらうしかありません」  修道院長は、カロリーナの祖母と同じような年代の女性だった。笑顔を溢す訳でもなく、毅然とした態度で淡々と言葉を発する。そして、カロリーナの目を真っすぐに見た。  修道院長の眼鏡越しに見る瞳は、全てを見透かすような不思議な印象を与えカロリーナでさえ怖さを感じた。それと同時に、こんなにあっけなく受け入れられていいのかと不思議だった。だって、カロリーナが話したことに何も証拠がない。いくらでも嘘が言えてしまうのに、特に何も追及してくることがなかったから。 「あのっ、なぜ受け入れてくれるんですか? 私、何も証明するものがありません」  カロリーナは、修道院長の言葉が信じられなかった。今日、突然やってきた人を、そんなにすぐに受け入れて貰えるものなのだろうか? 何も持っていないし、名前だって半分は本当だけど本名ではない。 「あなたが、助けて欲しいとここにいらした。その事実だけで充分なのでは?」  修道院長は、静かにそう返事をした。カロリーナは、これが真に神に仕える人の言葉なのかと心を打たれる。悪女だったカロリーナの心にも、衝撃を与えたのか心臓がバクバクしていた。 「ありがとうございます。ご迷惑にならないように生活します」  カロリーナは、そう言って深く深く頭を下げた。 「まずは、心をゆっくり整えなさい」  修道院長の声が、頭の上から聞こえた。頭を上げて彼女の顔を見ると、優しい瞳で微笑んでいる。カロリーナは、涙を零しそうになるのをグッと堪えた。本当は、これからどうすればいいのか不安で不安で仕方がなかったのだ。  頭の中は、意識を失ったことで記憶が整理されて状況を理解しつつある。でも、まだまだ心は動揺していたし不安に押し潰されそうだった。そんな自分にかけてくれた言葉が温かく、今自分に一番必要なことを言われ感情が激しく揺れた。  修道院長は、その後すぐにカロリーナが使う部屋に案内してくれた。部屋は四人部屋で、狭い部屋に二段ベッドが二つ置かれている。 「ここは、四人部屋なのだけど使っている子がまだ一人しかいないのよ。あなたで二人目だから仲良くね」  そう言って修道院長は、テキパキと部屋の使い方を教える。部屋のランプの場所、リネンが入っている棚、私物を入れるチェスト。カロリーナは、口を挟まずに黙って聞いた。 「あとは、同室の子に明日からの説明を頼んでおくから、それまでゆっくりしなさい。明日から、忙しい毎日が始まりますよ」  それだけ言うと、修道院長はさっさと部屋を後にした。最初から最後まで、修道院長は無駄なことが一切なかった。お年を召しているはずだけど、キリっと威厳に満ち溢れ格好良い女性だ。  一人になったカロリーナは、空いている好きなところを使っていいと言われたので、使っていない方の二段ベッドの下段に腰を降ろす。どっと疲れが押し寄せてくる。処刑されそうになったのは昨日の出来事なのに、目まぐるしく変わる事態にもう一カ月くらい経った気分だ。  意識を失くして目が覚めた時には、夜が明けて日が昇っていた。やっと落ち着いて今日一日のことを考えると、自分は幸運だったということ。  第二王子のアルベルトの気まぐれだったのかもしれないが、処刑はされずに済んだ。拾ってくれた騎士が、良い人だったから意識を失くしてもそこら辺に捨てられずに介抱してもらえた。  アルベルトがもっと非道な人物だったら、首は繋がっていなかった。騎士が、悪い人物だったらどんなことになっていたか考えるだけで怖い。  よく無事に、安全な場所に腰を降ろすことができたと何かに感謝したくなる。きっと今までのカロリーナだったら、そんなこと考えたこともないだろう。だけど今のカロリーナは、手を握り神への感謝を空に捧げる。 (この幸運に感謝いたします)  それから暫くは、何も考えずにぼんやりとしいた。すると、扉を叩く音が聞こえ同時にドアが開く。中に入って来たのは、黒い修道女の制服を着たカロリーナよりも年下に見える女性だった。 「貴方がキャロルさんですか? 修道院長から聞いてきました……」  部屋に入って来た女性は、俯きがちで視線を合わせることなく小さな声でぼそぼそとしゃべった。 「はい。今日からお世話になるキャロルと申します。よろしくお願いします」  カロリーナは、ベッドから立ち上がって挨拶をする。 「……マリーです。よろしく……」  マリーは、覇気のない声で名前を言った。そして、おずおずと言った様子で、カロリーナの顔を見る。マリーの前髪は長く、目元まで覆われていて瞳が見えづらい。  そんな状況でも、カロリーナの顔と佇まいを見て一瞬目を見開いて驚いているのがわかった。カロリーナは、その態度に心配になる。初対面で嫌われるような何かがあるだろうか? その一方で、マリーに対して苛立ちを感じる。きっと、この臆病な態度が以前のカロリーナを苛つかせているのだ。カロリーナは、落ち着け自分と心の中で唱える。 「あっあの……。私……いつも人を苛つかせてしまって……。すみません……」  マリーは、また俯きながら手を胸元でギュっと握って動揺していた。 「マリー様が悪い訳ではないです。これは、私の問題なので気になさらないで」  カロリーナは、必死で弁解する。きっと今まで出会ったことのないタイプの人間だから、カロリーナも動揺しているだけだ。それにはっきりキッパリしているカロリーナとは、相性が合わないのだろう。 「……。あ、あああの……。様なんてつけないで下さい。そんな大層な人間ではないので!」  マリーが、驚いて凄い勢いで頭を振っている。カロリーナも、貴族でもないのに様は可笑しいなと自分でも思う。自分でも抑えきれない貴族言葉が出てしまうことがある。 「えっと、ではマリー。私のことも気軽にキャロルって呼んで下さい」  カロリーナは、笑顔でそう言った。それを聞いたマリーは、拍子抜けしたようにポカンとカロリーナを見ている。 「あの……、馴れ馴れしすぎたかしら?」  カロリーナは、マリーがどう感じているのか全くわからない。さっきから、空回りばかりしている気がして心配になる。悪そうな子ではないけれど、こんなので大丈夫だろうか? と頭を抱えたくなった。
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