005 ジンジャー修道院の生活

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005 ジンジャー修道院の生活

 翌日から、ジンジャー修道院での生活が始まった。それに合わせてカロリーナは、この今の自分の人格と悪女であるカロリーナを区別することにした。  キャロルと呼ばれることに慣れるためにも、この人格はキャロルなのだと言い聞かせる。  朝起きると、修道女が着る修道服も用意されていた。それに着替えたキャロルは、見た目が幾分かマシになる。昨日は、ボロボロのワンピースを着て頬に大きなガーゼを張っていたので、きっとマリーに相当な訳アリなのだと思われたに違いない。  キャロルを見た時に、驚いたような顔をしたのもきっとそのせいなのだろう。  昨日マリーと挨拶を交わした後に、たどたどしい説明を彼女から聞いた。マリーは、人と会話をするのが苦手なのか要領を得るのに時間が掛かってしまった。  それでもジンジャー修道院の施設の案内と、一日の生活スタイルをなんとか理解することができた。朝起きてお祈りから始まり、寝る前もお祈りで終わる。神様に使える修道女の生活は、規則正しく規律が厳しいものだった。  初めて、修道院の全員と顔を合わせたのは朝ごはんの時だった。食堂で皆の用意ができた後に、修道院長から紹介があった。  新入りが入って来るのが珍しいことではないらしく、特別な何かがある訳でもなく普通に紹介され終わった。  その日の朝ごはんは、小さなロールパン一個と薄味のジャガイモのスープ。カロリーナがイライラしているのが分かったが、深呼吸をして心を落ち着かせた。きっとこんな質素な食事を、口にしたことなんてないのだ。  今の自分の状況を、受け入れるしかないのだとカロリーナの意識の底に語りかける。こうやって、少しずつ自分の心の底にある悪女を、いい形でキャロルとしての人格と馴染ませていきたい。  全員で神に祈りを捧げた後に、朝ごはんを食べ始める。隣に座るマリーはパンを口にしていた。キャロルも、真似してパンを口に運ぶ。思った通り、美味しいものではないが食べられるだけ幸せだ。  もぐもぐと、口を動かしていると、マリーとは反対に座る女性から声をかけられた。 「私、アリスって言うのよろしくね」  キャロルよりも年下だろうと思われる少女が、ニコリと笑顔で名前を教えてくれた。髪が金髪で平民とは思えないほど、容姿が整っていた。 「キャロルよ。こちらこそ、よろしくね」  キャロルも自分の名前を言って自己紹介する。アリスは、キャロルの姿を見て戸惑いを見せている。何かを言おうとしているが、言っていいのか迷っているみたいだった。 「あの……、私に何かある?」  キャロルは、思い切ってアリスに聞いて見る。 「あっ、あの……その髪……。私に切らせてもらえない? 折角綺麗な髪なのに、バラバラでもったいなくて……」  アリスが、キャロルの髪を見ながらとても残念そうな表情をしている。そう言われてキャロルは、自分の髪に手を添える。確かに……、自分で切ったままにしていた……。 「本当? お願いできるなら助かるわ。ちょっと自分では、綺麗に切れる自信がないから」  キャロルは、素直にアリスにお願いする。前世の記憶がある自分でも、流石に自分の髪を綺麗に切れる技術まで持っていない。 「良かった。じゃあ、今日の夜の自由時間にキャロルの部屋に行っていい?」  アリスが嬉しそうに、ニコリと笑顔を溢す。 「うん。大丈夫なはず。部屋は、マリーと同じ部屋なのだけどわかる?」  キャロルがそう答えると、アリスがコクンと頷づく。気になっていたことが確認できたから満足したのか、アリスはジャガイモのスープに口を付けた。  とても美味しそうに食べている。その姿を見ていると、他の子よりも所作が綺麗で何となく目立つ。きっとこの子も何かを抱えているのだろう。  年下に見えるのに、他人のことを気にしてくれてとても優しい子だなと感心した。  朝食を食べ終わった後は、修道院の掃除から始まる。それぞれ持ち場があるらしく食器を片付けると、ちりぢりに担当場所に散っていく。  キャロルは、とりあえずマリーと同じ担当場所にしてもらう。そこは礼拝堂だった。一般の人が、祈りを捧げに来ることもあるし自分たちも使う場所。  毎朝、床と座席を掃除する。マリーは、この礼拝堂が大好きなのか黙々と一人で掃除していた。  礼拝堂は、修道院の中でも一番広い部屋でマリーを含む数名で掃除をする。みな真面目に黙って掃除をしている。前世の記憶を持つキャロルでさえ、ちょっと驚くほど。  だからキャロルも、手を抜かないようにと皆に倣って掃除をした。礼拝堂を掃除する経験なんて今までなかったから、終わる頃には小さな達成感さえあった。 「掃除って、気持ちいいわね」  キャロルは、ポロッと本音を零す。聞いていた、修道女の一人がふふふと楽しそうに笑う。 「私もいつも思う。毎朝、掃除をしているからそこまで汚れている訳じゃないんだけど。それでも、毎日欠かさず掃除をすることで、自分も綺麗になっているみたいに感じるんだよね」  キャロルもわかる気がした。だからキャロルは、呟きに返事をくれた女性に向かって微笑み返した。その子と視線を交わすと、何だか一気に距離が縮まったみたいだった。  掃除の後は、自分の得意分野を生かした仕事をする時間になる。昼ごはんを作る人、洗濯をする人、バザーで売る刺繍をする人、編み物をする人、字の読み書きができる人は、希望者に教えている。  キャロルは、何ができるか問われた時に言葉に詰まってしまった。能力だけは高いので大抵のことはできるのだ。刺繍も編み物も、語学も数学などもできる。それをどこまで話していいのか、考えてしまったのだ。 「あの、逆に人が足りない場所があればそこで……」  修道院長に尋ねられた時に、咄嗟にそう言ってしまった。修道院長は、しばらく考えた後に訪ね返してきた。 「キャロルは、簡単な計算で構わないのだけど教えられますか? 計算を教えられる方は、貴重なのです」  期待している風でもなく、試しに聞いてみたといった感じだった。キャロルは、自分が役に立てればと隠すことなく素直に答える。 「はい。基本的な計算なら教えられます。でも計算を習いたいという女性がいるでしょうか?」  キャロルが知る平民の女性は、どちらかと言うと労働力としての仕事が専門な気がした。頭を使う計算が、必要となる機会があるのか疑問なのだ。 「できれば、文字と計算くらいは女性でも知っておいた方がいいと私は思っているの。外の世界に戻った時に、絶対に役に立つはずです」  修道院長は、力強くそう言った。キャロルは、この人は素晴らしい人だと改めて思う。こんな人が、この国の女性を守っているのだと尊敬の念を抱く。  カロリーナが見てきた大人は、私欲に塗れた者ばかりだった。だからこんな考えを持っている女性もいるのだと衝撃を受ける。  当分はここでお世話になるのだ。自分にできることは、出し惜しみすることなく使ってもらえたら嬉しい。 「では、希望者を募ってみます。あなたは授業ができるように、準備してもらえますか?」  キャロルは、頷いて修道院長の部屋を後にする。貴族の学園で配られたような教科書がある訳ではない。お金を使わずに、授業できるように工夫しなくてはと考えを巡らせた。
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