ご祝儀

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ご祝儀

 ご助力を賜りましょうという咲良の言葉に、久秀は江戸家老の柴田とのやり取りを話した。  もちろん抜け荷のことは触れていない。 「へぇ……お侍さんってのは薄情なもんだねぇ」 「俺は山名藩を揺さぶってやるつもりだ。柴田様の行動は理解できる。でも正晴の暴挙を見ないふりをしている藩の体質には思うところがあるんだ。ネズミ一匹で泰山を動かしてやる」 「すまんな……」  柴田が頭を下げた。  咲良とお嶋が驚いた顔で柴田を見る。 「縁を切ったとはいえ父は父だ。守るべきものを見誤っているとしか思えん。まあ……あの人はそういう人だ。家族にさえ興味無しだからね」  同じ苗字だというのに、爪の先ほども関連を考えていなかった咲良が久秀を見た。 「うん、こいつは柴田ご家老の庶子だよ。まあ、知らない人がほとんどだけれどね」  柴田がポリポリと頭を搔く。 「俺の母親は農民なんだ。山名様のお供で鷹狩に来ていた柴田が、気まぐれで手を付けたのが母だ。子が生まれたことを知った父は、無理やり俺を引き取った。捨て駒にでもしようと思ったのかもしれないね。屋敷に行ってからというもの、毎日毎日虐められたよ。正妻にも兄弟にも。殴られたり蹴られたりしながら、俺は絶対に強くなってやると誓った。そして道場に通い始めたのさ。その頃に知り合ったのが安藤だ」  久秀が続ける。 「同じ流派だが道場は違っていた。でも道場主が知り合いで交流があったんだ。合同稽古で何度か打ち合いをするうちに、なんでも話せる友になったっていう感じかな」  咲良がガバッと頭を下げた。 「知らぬこととはいえ、大変な失礼をいたしておりました。どうぞお許しくださいませ」  柴田が慌てて口を開く。 「いや、咲良さん。それは無いですよ。俺はあの家とは縁を切っています。妻とも駆け落ち同然ですし、娘が生まれたことも知らせていません。どうぞ今まで通りでお願いします」  柴田が久秀に向き直った。 「必要なら俺を利用してくれ。手段は選ぶな。必ず成し遂げろ」  久秀は頷かず笑顔だけを返した。 「今の懸念は二つ。ひとつは三河屋、もう一つは肥後屋の胡蝶太夫だ」  お嶋がぴくっと顔を上げた。 「胡蝶太夫? どういう意味だい?」 「胡蝶はただの太夫じゃないよ」  咲良が聞く。 「胡蝶太夫はともかく、旦那様は三河屋さんをご存じなのですか?」 「今回の旅で知り合った。知り合ったというよりあちらから接触してきたという方が正しい。おそらくは公儀の目付、あるいは全ての黒幕で大悪党……どちらにしても廻船問屋というのは隠れ蓑だろうぜ」  お嶋が言う。 「人の良さそうなじいさんに見えたけどねぇ。ご祝儀もたんと弾んでくれたし」 「ご祝儀?」 「そうだよ。女たち三人にそれぞれ渡してくれたんだよ。ほら、これ」  お嶋が袂から懐紙に包まれたものを出す。  咲良も同じようにした。  そこには一朱金が一枚。  一朱金といえば250文で、上酒一升の代価に相当する。  手伝いに来た女性に渡すには少し多いが、多すぎるというほどでもない。 「ちょっと見せて」  久秀が懐紙を広げると不思議な模様が薄墨で描かれていた。  よく見るとお嶋のものと咲良のものは模様が違う。  咲良のは放射線状に描かれた九つの輪、お嶋のは真ん中に大きな輪がひとつだ。 「お朝さんも貰ったのかい?」 「ええ、自分の家だからって遠慮していたけれど、疲れただろうから座頭でも呼びなさいって三人に同じように渡してくれたんだよ」 「座頭……ねえ、お嶋さん。新吉原にも座頭はいるの?」 「いるっていうか呼ぶんだよ。本所に惣禄屋敷があるだろう? あそこに文をやると来てくれるのさ」 「太夫も呼んだりするのかな」 「そりゃ久さん、座頭を呼べるのは太夫だけだし、本当に呼ぶのはその中でも一握り。てっぺんの妓くらいだろうねぇ」 「部屋まで入るの?」 「そりゃそうさ。自室で揉ませるんだよ」  顎に手を当てて考えていた久秀が、金が包まれていた懐紙を重ねてみた。  つられてそれを見た柴田が声をあげる。 「あれ? これって重ねると細川九曜紋じゃないか?」 「細川九曜……肥後か!」 「肥後屋で座頭を呼べる地位といえば……」  お嶋が口を開く。 「胡蝶太夫か柳葉太夫だね」  柴田と久秀が目を合わせた。 「もう一枚でどちらかがわかる。要するに肥後屋の太夫が座頭を呼ぶという符丁だな」  咲良が声を出した。 「明日の朝一番で私がお朝さんのところに参ります。昨日のお礼とでも言えば良いでしょう」 「そういうことならあたしも一緒に行くよ」  二人の女が頷きあっている横で久秀は渋い顔をした。 「わかったとしても太夫が座頭を呼ぶ日は決まってはいないだろう? ねえお嶋さん、座頭は呼ぶとすぐに来るの?」 「そりゃあちらも商売だからね、すぐに来いといえばすぐに来るさ」 「なるほどなぁ……三河屋のじいさんは俺に何を伝えたかったのかなぁ」  咲良がふと疑問を口にする。 「旦那様の名前などは一切出ていませんが、どうして旦那様に伝わると知れたのでしょう?」 「まあ素性は自分で言っちゃったからね。奴らが本気になれば棲み処などすぐに知れるさ。後は呼び出された座頭と肥後屋の太夫の会話だな……まさか一緒に入るわけにもいくまい?」  お嶋がポンと手を打った。 「太夫の自室に入っても、誰も文句を言わないお人がいるじゃないか」 「え?」  ニマニマと笑うお嶋の視線に久秀はたじろいだ。 「俺? 俺のこと?」 「当たり前じゃないか。ねえ? 和ませ屋の久さん」
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