敵か味方か

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敵か味方か

 柳屋では総出で弁当を運んでいる間に、とんでもないことが起きていた。  久秀と数人を残し店に戻ったお嶋達が見たのは、留守居の女中三人 が縛り上げられた姿。 「お前たち!」  お嶋が駆け寄り縄を解いてやると、一番年嵩の女が半泣きで訴える。 「いきなり男たちが入ってきて、縛り上げられたのです。奥様のお部屋を教えろと言われて。あたしたちはここで一括りにされちまって……すみません」 「命があって良かったよ。なに、とられて困るようなものなど持っちゃいない。あんた達が無事でよかった」  お嶋は丁稚を伴って部屋を確認したが、潜んでいる者もいないし、特に荒らされた様子もなかった。 「弁当が評判だから銭があるとでも思われたのかねぇ……ああ、おっかない」  知らせを聞いて駆け付けた柳屋の旦那が、用心棒を雇うと言いだした。  だったらついでに料理ができる人も探してくれと言うと、旦那は頷いて口入屋に向かった。  仕出し屋の集金は半年に一度というのが通例だ。  言わずもがな盆と暮れの二回だが、今はその時期ではない。 「何を狙ったんだろ?」  こんな時に頼りになるのは久秀だが、今日はいつもより帰りが遅い。  あの数の弁当を一人で配るわけではないだろうし、どの女に捕まっているのだろうか。 「早く帰ってくれないかねぇ……」  その頃久秀は肥後屋の胡蝶太夫の部屋にいた。 「胡蝶太夫の部屋に入るのは初めてだよね」 「お前様は人気者だからこのくらい注文しなけりゃ来てくれないだろう?」  胡蝶が久秀を手招きして、自分の膝をポンポンと打つ。  これは女たちが久秀に見せる『膝枕をしてあげる』という合図だ。  久秀は心の中で盛大に溜息を吐いてからごろっと横になる。  胡蝶が久秀の鬢を指先で撫でた。 「大盤振る舞いしたんだ。たんと尽くしておくれよ?」 「ははは! ありがたいことだ。で? 何か話でもあるのかい?」 「そういうわけでもないけれど、たまには息も抜きたくなるってものさ」 「俺は話を聞くくらいしかできねえよ?」 「ねえ、久さん」 「ん?」  胡蝶が急に顔を近づけてきた。  覗いている者が居たとしたら口吸いでもせがんでいるように見えただろう。  胡蝶が吐息のような声で久秀に言った。 「明日の座頭は罠です」  久秀が目を見開いて胡蝶を見ると、ニヤッと口角を少し上げた。 「なんだい、口吸いもダメなのかい?」  襖の向こうに気配を感じ、久秀は調子を合わせることにした。 「だめだめ。俺は女房一筋だ。それが嫌ならもう来ないぜ」 「なんだよぉ、つれないねぇ」  久秀が上半身を起こすと、気配が消え、胡蝶が小さく頷いて見せた。  胡蝶が禿を呼び、巻紙と筆を用意させる。 「しらかべに  まだこぬきみを  たずぬれど  おもいをよせつつ  よるを  しのぶる」  まったく意味が分からない詩をさらさらと書き、久秀に渡した。  眉をしかめてそれを眺めていると、よく手入れされた指先ですっと一文字目だけを横になぞってから自分を指さした。 「し……ま……た……お?……およし? 島田のおよしってあの訛ってた子?」  久秀は驚きすぎて声が掠れた。 「ふふふ」  悪戯っぽく肩を竦めて見せる胡蝶の顔をまじまじと見たが、久秀はおよしの顔を覚えていない。  胡蝶が久秀の耳元に口を寄せて囁いた。 「柳屋に明日から岩本様が入られます」 「岩本? 誰だ?」 「板場の権さん」  久秀は苦虫を嚙む潰したような顔をした。 「そういうのは苦手なんだよ。信用ならねぇ奴らだなぁ」 「あまり信用しない方が良いでしょうね。噓つきばかりだから」  久秀はフンッと鼻を鳴らして立ち上がった。  胡蝶が着物の裾を掴んで縋るような仕草をして声を戻す。 「明日も来ておくれかえ?」 「弁当の注文があれば俺は来るしかあるまいよ」 「文は出してもいいのだろう?」 「返事は書かない主義なんだ」  三河屋を名乗る三良坂弥右衛門の正体を考えながら、久秀は柳屋に戻った。  裏口から入るとお嶋が駆け寄ってくる。 「遅かったねぇ、待ってたんだよ」 「何かあった?」 「弁当を運んでいる間に賊が入ったんだ。何も盗られていないし、怪我人もいないのだけれど、旦那が泡食っちまってね。明日から用心棒が来ることになった。久さんの腕があれば大丈夫とも思ったのだけれど、あんたは中に入るとなかなか戻れないだろう? 口入れ屋から来るらしいのだけれど、大丈夫かねぇ……」 「ああ……なるほどね。多分大丈夫じゃないかな……多分」  久秀は誰が来るのかを察し、今後の対応を考えなくてはと思った。
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