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赤ままちゃと白ままちゃ
何度か盃のやり取りをしている間に診察が終わったのだろう。
お市が宇随の手を引いた。
「さあ義さまも診ていただきましょうね」
その頃咲良は久秀と共に湯殿にいた。
恥ずかしがる咲良の背中を、久秀が優しく洗っている。
「咲良、髪を洗ってやろう」
「いえ、そのようなことは」
「いいじゃない。俺が洗いたいのだ」
半刻ほどして出てきた二人は、すっかり茹で上がった蛸のような顔色になっていた。
部屋に入ると間髪を入れず柴田が声を掛ける。
「安藤、咲良さんの傷はどうだ?」
「あちこち打ち身はあるけれど、冷やしていれば痕にはならないそうだ。一番酷いのはここだね」
そう言って咲良の唇に指先を沿わせた。
「随分酷い目にあったなぁ」
そう言った宇随の足には、晒しがぐるぐると巻かれていた。
咲良が慌てて言う。
「宇随様こそ、おみ足のお加減はいかがですか?」
宇随に代わってお市が答えた。
「ひと月ほどは歩かないようにとのことでした。この際ですからゆっくり休んでいただきますよ」
にこやかな顔をしていた駒井がすっと咲良に視線を向けた。
頷いた咲良が口を開く。
「全てお話しいたします」
上座に座るのは三河屋と駒井、その右向かいに宇随と柴田が並び、反対側に久秀と新之助が座っている。
上座正面に咲良とお嶋とお市が並び、その後ろに権左が控えた。
当日の状況を知らない柴田の妻と娘は、気を利かせて台所を手伝うと言って部屋を出る。
何度か深い呼吸を繰り返した咲良が、静かな声を出した。
「あの日、お嶋さんとお市さんがお帰りになった時には、すでに正晴に掴まれて声を出せない状態でした。山本がすかさず鞘から小柄を抜き出して、私の首に当てました」
男たちが拳を握り、女たちが小さな悲鳴を漏らした。
「お朝さんが入ってこられて、私を助けようと……」
咲良は言い淀んだが、キッと顔を上げた。
「駆け寄ったお朝さんの顔を正晴が殴り飛ばし、その場で犯し始めました。私は山本に小柄を向けているので身動きが取れません。正晴は嬲るようにお朝さんの体に傷をつけ笑っていました」
全員が微動だにせず咲良を見ていた。
「誰かが訪ねてきて、私とお朝さんは、奥の部屋に移されました。五十嵐が私とお朝さんを見張っていたのです。お朝さんはわざと五十嵐を挑発して、私から気を逸らそうとしてくれて、あの男は私から視線を外しお朝さんに襲い掛かりました」
お嶋が着物の袖で涙をぬぐっている。
「油断していたのでしょう。正晴たちの声が良く聞こえました。私はなんとかして伝えなくてはと思い、自分の血で文を書きました。あの男はお朝さんを殴り犯すのに夢中で、私の行動には気付きませんでした。私は……それを止めようともせず……手紙を袂に入れて……」
咲良はその時のことを思い出したのか、言葉を止めて唇を嚙みしめた。
「正晴がやってきて私を立たせました。無理やり引っ張られたので袖が破れました。その袖を自分で引き千切り、文を入れてその場に残しました。柴田が五十嵐に『誰か来たら殺せ』と命じ、私を籠に乗せて四人で家を出ました」
ふと気づくと座っていたはずの久秀が側に来ていた。
今にも泣きそうな顔で、咲良の背を擦っている。
「場所はわかりませんが、半刻くらいは乗っていたと思います。籠は二挺で柴田と山本は徒でした。家に入ると暴行を受けた様子の女性が二人縛られていました。駆け寄ろうとした私の髪を引っ張り、正晴が『逃げられぬようにする』と言って帯に手をかけました。抵抗すると殴られましたが、柴田が『商品に傷をつけるな』と言って、私に自分で脱ぐように命じました。断ると、二人の女性を蹴り始めたので……自分で……脱ぎました」
宇随が溜まらず声を出した。
「酷すぎる……」
咲良が続ける。
「三人並んで縄で縛られ舟に乗せられました。細い川を下り海に出て佃島へ向かったのです」
言い終わった咲良を久秀がギュッと抱きしめる。
暫しの沈黙のあと、口を開いたのは駒井だった。
「女たちは保護して治療を受けさせていますから安心なさい。嫌なことを口にさせて申し訳なかった。それにしても富士屋の二人は?」
「富士屋の二人は、お嶋さんとお市さんが出るとすぐにどこかに行きました」
「ではまだ生きている?」
「さあ……それは……」
口には出さないが、全員がもう死んでいるだろうと思った。
お嶋が思いついたように言う。
「もう済んだことですよ。後はお偉い方々のお仕事だ。ねえ、久さん?」
「うん、俺たちの役目は終わった……そう思ったら、なんだか急に腹が減ってきたな」
「そうこなくちゃ。赤いままちゃも白いままちゃも、たんと炊いてありますからね。腹が膨れりゃ元気も出ますし、傷の治りも早いというものですよ」
お市が涙をぬぐいながら立ち上がった。
「姐さんの言うとおりだ。さあさあ、みんなでいただきましょうよ。お菜もたくさん用意して下さってますよ」
お嶋が手を打つと、待ってましたとばかりに料理が運ばれ、大きな皿に高々と盛られた赤飯には、かち栗まで入っている。
「さあ、咲良。まずは一番働いたお前からだ。奈良漬もあるぞ」
久秀がそう言うと、新之助が赤飯を咲良のためによそってくれた。
余程腹が減っていたのか、消えるように料理が無くなっていく。
「さあ、義さま」
お市が宇随の前に赤飯を差し出した。
「ご安心くださいまし。私のは赤ままちゃではなく黒ままちゃになったので、お歯黒ドブの鯉にあげました」
「ははは。いや、要らぬ苦労を掛けたな」
「あい。とっても苦労しましたし、お気に入りの襦袢も切られちゃいましたからねぇ。たんと可愛がって下さらないと合わないってものですよぉ」
お市が宇随にしなだれかかる。
笑っているのは大人ばかりで、新之助と彩音は真っ赤な顔で俯いていた。
思い出したように三河屋が言う。
「新之助殿、お国に戻られるおつもりですか?」
新之助が正座をして三河屋に相対した。
「山名藩はどうなりましょうか」
「十中八九お取り潰しでしょう」
「家臣たちは浪々の身となりましょうか」
「そうですなぁ……まだ決まったことではございませんが、黄金真珠が採取できるとなると、幕府直轄地になる可能性が高いでしょうな。そうしますと大名ではなく代官を置くことになりましょうから、此度のことに関わっていないものはそのままお召し抱えとなると思います」
新之助がほっと息を吐いた。
「それを聞いて安堵しました。希望する者については、どうぞ良しなにお取り計らいくださいませ。相談して決めることになりますが、今の私が戻っても……役に立つとは思えません」
「江戸に残られるか?」
新之助が久秀の顔を見た。
「長官! 大変です!」
玄関から急を知らせる声が響き、和やかだった雰囲気が霧散した。
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