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光が差し込んできて、ふと目を開けると、大きな寝台の端に寝かされていた。
シルフィリアは混乱しながら、昨夜の記憶を揺り起こす。
どうやら、洗面台の前で泣き疲れて眠ってしまったところを、寝台に運ばれたらしい。
何が現実で、何が記憶で、何が幻なのか。
記憶と知識が疲労で混ざっていくようだったが、シルフィリアはどうにかして頭を動かし、先ほどまで目の当たりにしていた光景が、すべて夢の中のできごとであったと理解した。
そして残念なことに、敵国の第四王子の閨に招かれ、その寝台で寝ている今この瞬間は現実のようである。
シルフィリアが周りを見渡すと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでおり、隣には誰もいなかった。
シルフィリアは、かの男が隣に居なかったことに安堵し、周囲をゆっくりと見渡す。
寝台の脇机にガラスの水差しとコップが二つが置いてあり、こくりと喉が鳴った。
昨夜は泣きながら寝てしまったので、彼女の体は水を欲している。
ガラスのコップのうち、一つは既に使われた跡がある。おそらく、あの第四王子が使ったのだろう。
少しの間逡巡した後、彼女はおそるおそる、水差しに手を伸ばした。
形のいい水差しから、ゆっくりとコップに水を注ぎ、それを自らの口元へと運ぶ。
一度飲み始めると、先ほどまでためらっていた気持ちが霧散した。
勢いよく一杯目を飲み干すと、さらに水を注ぎ、その半分をさらに飲み干す。そうして一息ついたところで、口の中に柑橘系の香りが広がっていることに気が付いた。
おそらく、檸檬か何かで香りづけをしてあったのだろう。
喉が潤い、気が緩んだところで、風呂へと繋がる扉が開き、シルフィリアは思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
現れたのは当然ながら、件の赤髪の第四王子である。
彼女よりも先に起きていたレイファスは、既に着替えをすませていた。
しかし、昨日の日中に見たときは一つに結ばれていたその長髪は、今は結わえることをされておらず、それがまだ、彼が私的な空間に居るのだということを想起させる。
シルフィリアは幼いころから私室を与えられ、侍女達に囲まれて生活していたので、男性のこのような姿を見ることがほぼなかった。
そのため、急に現れたレイファスに、目をさまよわせてしまう。
王族としての鎧が脱げ、ただの乙女として狼狽えているシルフィリアに、しかしレイファスはそんな彼女の様子を一顧だにしなかった。
「起きたか」
「……」
「この状況で、随分深く眠っているものだ」
煽るような言葉を聞いて思わず眉根をよせたシルフィリアに、男は炎をのように赤い髪を揺らしながら、構わず近づいてくる。
そして、近くの椅子に掛けてあった布のようなものを手に取り、寝台の脇机の引き出しから小瓶を取り出すと、シルフィリアに命じた。
「立って、こちらに来い」
「え……」
「それとも、腰が立たたないか」
カッと顔を赤らめた彼女は、すぐさま立ち上がろうと身を起こすも、薄手のナイトウェアのままであることに気が付き、小さく悲鳴を上げる。
レイファスは手に持っていた布をシルフィリアにかけ、彼女はようやく、それが女性用の白いガウンであることに気が付いた。
慌てて渡されたガウンを羽織ると、彼女は寝台から抜け出す。
そうしたところで、レイファスが毛布を寝台の端によけ、先ほど手に取った小瓶の中の白い液体を寝台に撒いた。
「手を出せ」
「……? 痛っ」
血が滴り、寝台を赤く染める。
レイファスの爪が獣のように変じ、シルフィリアの手の端に、傷をつけたのだ。
驚きを浮かべた緋色の瞳に、レイファスは表情こそ平然としているものの、それとなく目をそらしている。
「我らは鼻が効く。こればかりはお前のものでなければならぬ」
それだけ言うと、レイファスは同じく脇机の引き出しからまた別の小瓶を取り出し、中に入ったねっとりとした液体をシルフィリアの傷に塗り込んだ。
「包帯は目立つ。これで我慢しろ」
「……あの」
「礼は言わぬことだ。お前達の国を滅したのは私だ」
身をこわばらせるシルフィリアに、レイファスは何の興味もないらしく、そのまま彼女の側を離れると、鈴を鳴らして使用人を呼ぶ。
やってきたのは、昨晩シルフィリアの身支度を行なった侍女の一人であった。
ミルクティー色の髪の、可愛らしい侍女だ。
歳の頃は、シルフィリアよりも少し若いくらいだろうか。
「アリア。いつものとおりに」
「はい」
アリアが微笑むと、レイファスの顔がほのかに和らいで、それは何故だか、シルフィリアは胸の奥に靄が生じたような不快さを生んだ。
そんなシルフィリアの心を知ってか知らずか、レイファスは元の冷たい表情で、彼女に言い放つ。
「アリアはすべてを知っている。アリア以外には余計なことを話すな」
答えないシルフィリアに興味がないのか、レイファスはソファに向かう。
シルフィリアは、そんなレイファスを見て、思わず呟いた。
「……目的は、何」
その声音には、彼女が自分で思う以上に敵意が含まれていたが、レイファスはしかし動じなかった。
「……」
「何故、親切にするの」
「そのような真似はしていない」
「私の命を助けた」
「詮索は許さぬ」
男の目が細まる。
底冷えするようなその青い視線が、シルフィリアは内心恐ろしくて仕方がなかったが、何とかその場に踏みとどまった。
「昨晩、そう伝えたはずだ」
ゆっくりと近づいてくる男は、その姿が陽炎のように揺らめき、その静けさの中から、狼を体現した獣が現れる。
炎のようなその獣に見下ろされ、シルフィリアは引くことはしなかった。
けれども、それが彼女にできる精一杯の抵抗であった。
「威勢がいい割に、震えている」
「……違う」
「逆らうな」
彼女の指ほどもある長さの爪が、首筋を撫でるように掠める。
触れていればたちまち鮮血に染まったであろうそれは、しかし彼女を傷つけることはなかった。
「私には私の思惑がある。すべて理由あってのこと。そして、お前がそれを知る必要はない」
「気に食わない理由なら、従わないわ。物理的に強制されたとしても、私は」
「お前は弱い」
真っ直ぐに否定の言葉を向けられて、シルフィリアは反応できなかった。そんな彼女を、獣は嘲るように見下す。
「腕力が足りぬ。権力が足りぬ。人脈が、知識が、力が足りぬ。お前は国を守れなかった。それどころかお前は、お前一人を守ることもできぬ脆弱な存在だ」
それは、今の彼女にとって最も耐え難い言葉だった。
そして目の前の男は、それがわかっていて、シルフィリアの心を折るために、敢えて口にしている。
悔しさで震える彼女に、レイファスは静かに言葉を落とした。
「従うならば、弟達に会わせてやる」
ハッと顔を上げると、冷え切った青色と目が合った。
「精々、大人しくしていることだ」
それだけ言うと、レイファスは人の姿へと戻り、ソファに座って朝食を取り始めた。
シルフィリアは、何もできなかった。
俯いた彼女は、唇をかみしめ、アリアに連れられて浴室へと向かった。
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