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6 レイファスという男
それからシルフィリアは、意外なことに、第四王子レイファスのお気に入りとして扱われた。
レイファスは、緋色の瞳をした薄幸の奴隷姫を、ありとあらゆる場所に連れ回した。
ほぼ毎日同じ寝室を使い、執務の間も食事の時も、片時も離さない。
けれども、夜、彼女に触れることは決してしない。
詮索するなと言われたけれども、シルフィリアには現状が不思議で仕方がなかった。
何故、恋人でも寵姫でもないシルフィリアを、これほど連れ回すのか。
彼は、敵国の姫であった彼女を、仕事場に入れることをためらわない。
シルフィリアが機密事項を漏らすとは思わないのだろうか。
しかし、これについては次第に、悩む必要がないことに気が付いてきた。
彼女は確かに、レイファスと共に執務室にいることでラグナ王国に関する機密事項をいくつも知り得たけれども、レイファスによる拘束時間が長すぎて、それを誰かに漏らす暇がないのだ。
現に彼女は、一番話をしたい弟達と、挨拶を交わすことすらできない。
心配だった弟ジルクリフと従弟のセディアスは、どうやら侍従と同様の立場で働かされているようだった。
緋色の瞳について研究をしたいと言っていた割に、特殊な実験をしている様子は見受けられないらしい。
らしい、というのも、侍女アリアに詰め寄ってようやく聞き出したことで、あとは侍従の制服を纏ってたびたびレイファスの私室に現れる弟と従弟に、目配せを送り、様子を窺うことしかできないのだ。
二人の元気な姿を見て安心はしているけれども、彼女の横には常にレイファスの姿があり、話をする時間は与えられていない。
だから、シルフィリアは孤独だった。
レイファスは、必要以上のことを彼女と話そうとしない。
執務のこと、国のことに関しては、意外なことになんの躊躇もなく返事が返ってくるが、それも非常に端的なものだ。
そして、二人の間には、私的な会話は一切ない。
その結果、その日食べたものの味、起こった出来事、そういった他愛のない話をする相手がいるということが、どれだけ己にとって必要なことだったのか、シルフィリアは身をもって実感していた。
だから、無礼な謎の来訪者のことを、無碍に扱うことができなかった。
-◇-◆-◇-◆-
『意外に余裕がないな』
当然のように現れ、開いた窓の傍、レイファス用の椅子に腰かけている恰幅の言い黒髪の男を、シルフィリアはその緋色の瞳でじとりと睨めつける。
両手を胸の前で上げた男は、相変わらず無精ひげを生やし、白いシャツ素材のコートを羽織っている。最近は眼鏡をかけていることも多い。
どうやら降参のポーズをとっている割にシルフィリアに悪いとは思っていないらしく、肩をすくめたものの、くつくつと笑っていた。
『おいおい、俺は何もしていないだろう』
「王子が席を外すたびにどこの誰とも知れない不審者が現れること自体が、心労の種だわ」
『随分な言われようだ』
「名前も名乗らないくせに、もっといいように言ってもらえると思っていたの」
今も、男はレイファスが所用で部屋を後にし、シルフィリアが一人で部屋にいるところを狙ったようにして現れた。
レイファスが部屋を出ている時間は長くない。
あの第四王子が長く時間を要する用事を行う場合は、シルフィリアを同行するからだ。
金髪の奴隷姫の主はすぐにでも部屋に帰ってくるというのに、この愛嬌だけで生きてそうな恰幅のいい黒髪眼鏡は、ぶしつけな態度で、シルフィリアと会話をしようと、彼女の傍に突然、のこのこやってきたのだ。
警戒するシルフィリアに、男はにやりと笑みを浮かべる。
『ま、心配することはない。お前も気が付いているんだろう。俺を見ることができるのは、お前だけだ』
「妄想の類を見るようになったのだと思うと、さしもの私も追い詰められるわね」
『口が減らない姫君だ。そういうところが、あの赤い男も気に入っているのだろう』
「……」
レイファスのことを指すその言葉に、シルフィリアは眉根をよせる。
かの暴虐の狼王子が、何故シルフィリアを連れまわすのか。
それは、彼女が一番不思議に思っていて、現在悩みの種となっている事象だった。
そして、シルフィリアが理解できない彼の心を、人の心の機微に疎そうな目の前の黒髪眼鏡の男は知っていそうなそぶりをしている。
なんとなく、この男に出し抜かれたり、先を行かれるのは――癪に障る。
『おやおや。本当に、嫌われたもんだ』
「好かれるような話ぶりをしたことがありますか」
『俺以外に話し相手は居ないと思っていたが』
「……」
『お前の弟だったら、ここでうまい返しができただろうにな』
「ジルは私より優秀だもの」
『姉馬鹿もたいがいにしておけ』
「絶対的な評価よ。真実が見えないなんて、曇った眼をお持ちなのね」
『愛というのはやっかいなものだ』
ぷい、と横を向いたシルフィリアに、男はくつくつと笑っている。
しかし、その数瞬後、男はハッとした表情で顔を上げ、舌打ちをした。
『来る』
「えっ」
『まずいな。逃げる場所も、方法もない』
男が焦った素振りで扉の方を見ているので、シルフィリアも悟った。誰か、来訪者がいるのだろう。そしてそれは、シルフィリアにとってよくないことに違いない。黒髪眼鏡の男は、なんだかんだ、シルフィリアの側に立って話をすることが多い。
『とにかく、時間を稼げ。検討を祈る』
そう言うと、男は姿をかき消した。
同時に、部屋の外から声が聞こえる。
「なりません! レイファス殿下が、中には誰も入れるなと」
「あんな奴より、私の方が上だ! 上位者の言葉が聞けないようなら、お前も連れて行ってもいいんだぞ」
「ですが」
「――うるさい!」
その怒鳴り声と共に、獣の咆哮と、何かがぶつかったり壊れたりする音がし、次いで扉が乱暴に開いた。
シルフィリアは驚いたけれども、その気持ちを深く沈め、落ち着いた様子でソファから立ち上がり、シグネリア王国の貴族令嬢の礼を取る。
「突然のお越し、いたみいります。リチャード第二王子殿下」
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