4 閨

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4 閨

「夜伽の準備をいたします」  牢から連れ出され、豪奢な――シルフィリアにとっては――部屋に連れてこられた彼女は、迎える侍女の頭にそう告げられた。  身をこわばらせるシルフィリアに、侍女達の表情は固く、何を思っているのか読み取ることはできない。  それでも、何かを読み取ろうと、周囲や侍女達の様子に目を凝らす。  そして、鏡の前に連れてこられた彼女は、自らの有様に、羞恥で頬を赤くした。  処刑前に湯あみなどの簡易的な身支度をされたとはいえ、長く牢に入れられたことで、髪は乱れ、肌も荒れている。  心労で食事が喉を通らず、よく眠れていなかったこともあり、顔はげっそりとしていて、目の下にはクマができている。  対する侍女達は、肌艶もよく、髪も整えられていて、血色もいい。王宮勤めの侍女をしているということは、それなりの身分を有した者達なのであろう。仕草も優雅で、シルフィリアは、今の自分がそのような者達に囲まれていることに惨めさを感じずにいられなかった。  俯いたシルフィリアに、侍女長は彼女が抵抗を考えているとでも思ったのか、静かな声で苦言を呈した。 「余計なことは考えないように」 「……」 「弟達が大切でしょう」  手を固く握りしめたシルフィリアに、侍女長は息を吐く。  そのため息一つが、彼女の弱った心をえぐるけれども、それを悟られまいと必死に唇をかみしめた。  彼女が今そこに立っていられるのは、今にも折れそうな矜持が故なのだ。  それを失ってしまえば、きっと崩れ落ち、立ち上がることができなくなる。  それから、シルフィリアは湯浴みをさせられ、髪にも体にもオイルを揉み込まれ、薄手のナイトウェアを着せられた。そうして、訳の分からないまま、とある寝室に置いて行かれる。  そこは、先程シルフィリアが豪奢だと感じた先程の部屋の二倍は広い寝室だった。  調度品は上品で、派手すぎない繊細な意匠が、その価値の高さを感じさせる。  おそらく、この国の第四王子の寝室なのであろう。  シルフィリアは、広い部屋にただ一人立ちすくみ、そして、息を吐いた。  あれだけの噂の持ち主だ。  部屋には既に何人もの奴隷がいてもおかしくはないし、むしろ、シルフィリアが部屋に着いたときには、最中であることも覚悟していた。  しかし、部屋には大きな寝台やソファがあるのみで、人の気配はない。  寝室の中央でキョロキョロと周りを見渡すと、彼女の緋色の瞳に、白い花が映った。  五つの花弁を有する白く美しい花が、窓際に飾られている。シルフィリアがよく知る花だった。薔薇のように目立つわけではなく、百合のように強い香りを持つわけではないが、少ない水で生きながらえることができる、凛とした透明感のある美しさを持つ、シグネリア王国の国花――フィリアの花。  その花に吸い寄せられるように近づいたシルフィリアは、ふと、自分のあられもない姿に気が付き、少し迷いながらも、大きな寝台の片隅に潜り込んだ。  何しろ、着ているナイトウェアが、本当に薄手なのだ。  服としての機能を果たしていない。  視線にも寒さにも弱いこの服で一体、何が守れるというのだろう。  整えられた毛布をできるだけ乱さないようにして、シルフィリアは体を毛布の中に沈める。  そのふかふかな寝台に、毛布の暖かさに、つい目頭が熱くなった。  十七歳の彼女には、ここしばらくの出来事はあまりにも重すぎた。  滅びた国。  帰らぬ父と母。  亡くなったとされる妹達。  生き残った弟と従兄弟、牢での生活……。 (こんなところで安心したらだめよ。今からもっと……ひどいことになるんだから……)  彼女が己の手を握りしめ、覚悟を新たにしたところで、先ぶれのベルが鳴り、乱暴に扉が開いた。  シルフィリアは飛び上がるようにして、身を起こす。  現れたのは、処刑場で見た、燃える炎の色の髪を持つ男だ。  獣型はしておらず、人の形をとっている。  彼も湯浴みを済ませたのだろう、ローブを羽織るのみで、昼間の時とは別人のようなくつろいだ姿だった。  気位の高いさしもの亡国の王女も、頭の中が真っ白になった。  殺される覚悟はできている。  凌辱されるであろうことも、覚悟はできていないが、頭では理解している。  しかし、初心な彼女には、作法が分からない。  こういうときは、一体どのようにすべきなのだろう。  床に這いつくばるように頭を下げるべきか。  はたまた、立ち姿で出迎えるべきか。  しかし、そのどちらも、今のシルフィリアには荷が重い。  何しろこの服では、どちらを選んだとしても、全てを曝け出すことになってしまう。  動けないでいる金髪の乙女に、男はしかし、嘲るように嗤った。 「威勢よく噛みついていたが、所詮は子猫か」  カッと顔を赤らめたシルフィリアに、レイファス第四王子は冷たい視線を送る。  それがあまりにも感情のないものであったが故に、恥辱よりも恐怖が勝り、シルフィリアは青ざめた。 「私のものになるということがどういうことか、わかっているか」  そう言うと、シルフィリアの目の前で、男の姿が溶けた。  光を発するわけではないのに、揺らめくような幻想を思わせるその光景に、シルフィリアは息を呑む。  そうして現れたのは、炎の獣だった。  国が滅びたその日に見た、燃えるような鬣を持つ、狼のような獣。  それが、牙を剥き出しにして、寝台にいるシルフィリアに覆いかぶさってきたので、さしもの彼女も、その緋色の瞳が潤むのを止めることができなかった。 「この牙で、その脆弱な喉を掻き切ることもできる」 「……、私、は」 「逆らうな」  耳元で響く低い声に、肩に感じる息遣いに、シルフィリアは動けない。 「私に逆らうな。余計なことを言うな」 「……」 「分かったか」 「……は、い」  何度か試し、ようやく喉から絞り出した返事に、獣が喉の奥で満足げに嗤う。  シルフィリアが、恐怖で目を閉じていると、鎖骨に温かい感触がして、その後、チクリと痛みが走った。 「……! 何を」 「あとは自分で付けろ」  恐る恐る目を開けると、そこに野獣はおらず、赤髪の男がいた。相変わらず、何を考えているのか分からない、冷たい表情をしている。 「自分で?」 「そうだ。一つでは事足りるまい。手を煩わせるな」 「……あの」 「お前程度の女は抱かぬ」  男の言葉が理解できず、シルフィリアはその緋色の瞳で彼を見つめてしまう。  すると、男は煩わしそうな素振りで、大きな寝台の、シルフィリアのいる反対側に身を置いた。 「お前は獣の血を引かない、下賎な実験台に過ぎぬ。だが、抱いたことにせねば、奴らが面倒を起こす」 「……奴ら?」 「兄共だ。特に二番目のアレは、女奴隷を追い回す狩りを好む。我ら兄弟の手が付いた物には手は出さぬが、そうでない物は手癖悪く盗みに走る。それを望むならば、何もせずともよい」  青ざめるシルフィリアに、興味を失ったのか、レイファスは身を横たえた。  二番目のアレというのは、リチャード第二王子のことだろう。巷では、サディストで有名な第二王子は、毎日のように箱庭に奴隷を放り込み、逃げ惑うそれを獣の姿で追い回し、狩りを楽しむのだと言われている。 「寝台は明日の朝処理する。後は好きにしろ。何かしようとすればすぐに分かる故、無駄な企みは考えぬことだ」  それだけ言うと、レイファスは眠りについた。  シルフィリアは呆然と、その横たわる背中を見つめていた。  どうやら、危機を脱したらしい。  いや、実験体と言っていた。明日から、何をさせられるのか。今後の身の安全を考えると、そして弟達のことを考えると、閨で寵愛を得ていた方がいいのではないか。  グルグルと悩みながら、シルフィリアは、隣の男を起こさないように、そっと寝台を離れた。  備え付けの風呂場に向かい、鏡で自らの鎖骨を見ると、赤い跡がついている。  シルフィリアは、羞恥で瞬時に体温を上げてしまったが、必死に気を落ち着けて、似たような跡をいくつか体に付けていった。  最初は難しく感じたが、段々と手付きが慣れていく。  最後に、全体を鏡で確認しようとしたところで、シルフィリアは視界が歪んで、鏡の中の自分が見えないことに気がついた。 「……ふ、……ううっ……」  一度あふれた心は、もはや止めることができなかった。  シルフィリアはこの夜、国を亡くしてから初めて泣いた。  声を押し殺しながら、止まらない涙に、全てを諦めて身を委ねる。  その密やかな声に、寝台でレイファスが薄く目を開けたけれども、そのままゆっくりと目を閉じた。
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