5 無力な姫君

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5 無力な姫君

「ナギ村が襲われた」  その凶報をシルフィリア達に告げたのは、国王である父ザキエル=シグネリアだった。  手には文が握られており、その傍らにはその文を運んだのであろう、小さな鳥の形をした召喚獣が控えている。  文を国王に渡すという使命を既に果たしたそれは、与えられた魔石のかけらをついばみ、存在を維持していた。おそらく、返事となる新たな文を受け取ることまでを使命として召喚されたのであろう。  その一報を受けた国王ザキエルは、着手していた業務を中断し、即座に官僚達を集め、情報収集と対策検討を指示。  会議の準備と共に、家族に――王妃と子ども達にこの事態を伝え、国王の執務室に集まるよう命を下した。  そうして、この場はできあがったのだ。  場所は国王の執務室、その場にいるのは、父ザキエル、母ソランジュ、十七歳の第一王女シルフィリア、十二歳の第一王子ジルクリフ、第二王女サヴィリア、第三王女スーシェリア、第四王女セリティア。  なお、この中で燃えるような緋色の瞳を持つのは、シルフィリア一人である。  シルフィリアは、一報を受け取った時点で、すべてを理解した。  父ザキエルは、目立った功績のある王ではない。  亜麻色の髪に碧眼という柔らかい色味と同様に、顔かたちも心根も柔らかく、小国であるシグネリア王国がただ続いていくことができるように、目立たぬよう、目を付けられぬよう、静かに事を進めてきた。  才覚に優れるわけではなく、ただそこにあるものを活かすことを得意としてきた王だった。  だからきっと、大国から一方的に戦を仕掛けられるという凶事に、まともに対応することはできない。  そして、この考えはシルフィリアだけでなく、家族も――何よりも、父ザキエル自身が――そのように感じていたことだったようだ。  国王専用の執務室に家族を集め、今回の凶報について、血の気の引いた顔で切り出した父王は、諦観を湛えた瞳でただ沈み込んでいた。  三人の妹達が父王の言葉にざわめく中、長女のシルフィリアは血の気が引いた顔で、青い顔をしている父母を見つめる。 「敵は」  嫡男のジルクリフの言葉に、母は目を伏せた。 「ラグナ王国」  うなだれる父に、ジルクリフは固まる。妹達は三人とも泣き出し、母は暗い顔をして、目を伏せた。  シルフィリアも、目の前が真っ暗になるような感覚を覚えた。  ラグナ王国。今、世界で一番大きく、強く、暴虐な国といわれる、獣人の国。  かの国に目をつけられて、生き残ることができる国は、いくつあるだろうか。  少なくとも、数少ない只人の国である小国シグネリア単独の力でどうにかなる話ではないのは確かだ。 「もう終わりよ」  シルフィリアが声の方を振り向くと、怯えた紫色の瞳と視線がかち合った。  第二王女サヴィリアである。  シルフィリアと同様に、母譲りの金髪を持つ彼女は、緋色の一族の血の後押しが足りなかったようで、緋色と父王の碧眼が混ざったような独特の紫色の瞳を有していた。 「サヴィリア」 「だって、姉様。こんなの、勝てっこない。あのラグナよ。こんな小国に、どうして」 「サヴィリア、落ち着いて」 「お父様達は何をしていたの! こんなことになる前に、予兆ぐらい――」 「全くなかった」  うなだれる父の言葉に、第二王女サヴィリアは目を見開く。 「何もなかったんだ。私がそのことだけに注力して、国王を務めていたことは、みんな知っているだろう」  そう言われてしまうと、家族は何も言うことができない。  父の言うとおりだからだ。  彼が誰よりも、何よりも優先してきたことが何か、家族が一番よく知っている。  だから、今回の事態は失敗というより、彼の能力をはるかに超えていたというべきなのだろう。  静まり返った執務室の中、口開いたのは第一王子のジルクリフだ。 「諜報員はなんと」 「……」 「父上」 「誰か、王子が王をそそのかしたと」  父曰く、その王子が誰のことを指すのかまでは分からなかったらしい。  ラグナ王国の国王ラザック=ヴィオ=ラグナには、四人の王子がいる。  賭け狂いな第一王子ライアス、残虐な第二王子リチャード、暴食の第三王子ルーカス、暴虐の第四王子レイファス。  どの王子がそそのかしたにせよ、それがいい目的のものとはとても思えない。 「他国に援助を求めましょう」 「ジルクリフ」 「大国の、ゲルテリア帝国はどうですか。テアルード王国は」 「ジルクリフ、無理だ」 「緋色の瞳を、治癒の力を貸すと、言質を取られてもかまわない。今から起こるであろう惨劇を回避することが優先です。他国に援助を」 「無理なんだ」 「無理でもなんでもいい! このままでは、国が滅びてしまう!」  ジルクリフは、父王をきつく見据えた。同じ色の瞳が交差し、すぐに視線を外したのは、父王である。 「それでも、無理だ」 「父上!」 「ラグナは止まらない。他国に伝令を送っても、間に合わないんだ。ナギ村が襲われたのは今朝のことだ。そして夜になる前に、この王都に奴らの凶刃が届くだろう。奴らは、只人の我々には想像もつかないほど、強く、速い」  言葉を失うジルクリフに、父ザキエルはふと笑みをこぼした。 「私が行って、時間を稼ぐ」 「……父上」 「お前たちは、逃げなさい。緋色の一族が、王族としての庇護をなくし、戦禍の中に放り出されたとき、どのように扱われるかわかっているだろう」  ざあっと血の気の引いた顔をする妹達に、シルフィリアは己の手を握りしめる。  逃げると言われても、どこに逃げるというのだ。  只人の国は少ない。  今、世界を席巻するのは、獣人の作った野蛮な国々だ。  前者は弱い国であるが故に、入国審査が厳しく、誼があったとしても、火種となりかねない人物の入国は難しい。  後者では、只人の扱いは悪く、職が見つからなければ奴隷とされる。緋色の一族とわかったあかつきには、さらにひどい扱いを受けることとなるだろう。  緋色の一族には、何者かの庇護が必要なのだ。  そうでなれば、生き残ることができない。 (少なくとも、緋色の瞳を持つ私は、逃げられない)  握った手がさらに震えて、シルフィリアはそれを隠すように、もう片方の手を添える。  そうして、思案に揺れる彼女の耳に届いたのは、母の声だ。 「わたくしも行きます」 「……お母様」  顔を上げると、母ソランジュが穏やかな笑みを浮かべてシルフィリアを見ていた。  シグネリア王国の国王は父だ。  しかし、目の前に居る透けるような金髪に焦げ茶色の瞳のその人こそが、シグネリアの王家の直系の血を引く者なのである。  娘しか生まれなかった先代国王の長女。  遠縁の公爵家令息ザキエルを夫として迎え、自らは国王とはならなかったものの、この国を支えるべく尽力してきた。 「わたくしには、緋色の瞳はないわ。けれど、緋色の瞳を持つ父から生まれ、緋色の瞳を持つ娘を生んだ。この王家の血を繋いできた者として、わたくしは最後まで戦います。お前達はお逃げなさい」  母ソランジュの言葉に、父ザキエルも柔らかく微笑んでいる。  父は、母の意向を知っている様子だ。  子ども達がこの場に集まる前に、話をしていたのか――いや、そのような暇はなかったはずだ。きっと、今回の事態に関係なく、国の危機が訪れた際にどうするのか、夫婦として決めていたのだろう。  両親の達観した姿を見て、シルフィリアは唇をかみしめた。  どうやら、父と母は、終わりに向けて動いているらしい。  そしてその方針に、シルフィリアは追従することができない。  思案するようにして動かないシルフィリアの隣で、弟のジルクリフは、「くそっ」と舌打ちして床を踏みつけた。  そして、三人の妹達は、すがるような目線をジルクリフとシルフィリアに向けた。
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