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「姉さん、どう思う」
「ジル」
父と母が出立した後、シルフィリアは、弟のジルクリフと共に、二人で国王の執務室の協議机の傍に立っていた。
執務室の机の上には、地図と、敵味方の軍の配置がわかるよう、駒が並べられている。
シルフィリア達は先ほどまで、軍師を含め、官僚達と共に戦の攻勢を分析していたのだ。
父ザキエルの言っていたとおり、今回の戦の発端は、今朝方のナギ村の襲撃。
現在は昼間で、国境近くにあるかの村が襲われたと、斥候から魔法文で報告があったときから、六時間が経過している。
人族の戦ベースで考えると、たったの六時間。
しかし、相手は獣人の国だ。
しかも、近隣で最も獣の血を強く引いていると噂されるラグナ王国。
父王が懸念したとおり、国内の三分の一の村や町は制圧されているようだった。
それも、報告が上がってきている分だけの話だ。魔法文を飛ばす暇もなく制圧された村も、数多く存在していることだろう。
「姉さん」
十四歳の弟の言葉に、シルフィリアは思考に沈んだ意識を引き上げ、弟に向けて頷いた。
「敵は、私達を逃がすつもりはないようね」
ラグナ王国は、かの王国のある北側からのみ攻めてきたわけではなかった。
西に、東に、南に、潜伏させた軍を配置し、北側のナギ村への一撃を加えた数時間後、シグネリア王国の軍が北側に向けて動き出した辺りで、各方面からの進行を開始。
手薄な各地の要所を効率よく落としていき、王都から他国への逃げ道となる主要箇所にはすべてラグナ王国軍が配置されている状態だ。
「本当に、よく調べている……」
「執着を感じるね」
「ええ」
眉根を寄せ、暗い顔をしている弟に、シルフィリアは頷いた。長く美しい金糸が揺れ、地図に触れたので、彼女はそれをかきあげるようにして肩の後ろに払う。
ラグナ王国軍は、周到に用意された動きをみせていた。シグネリア王国が防衛に疎いとはいえ、ここまで効率よく数時間で侵攻を進めることができるのは、相当に調査の手を入れていた証拠だ。とても、王子の甘言による気まぐれで攻め入ったとは思えない。
「狙いはなんだと思う」
「緋色の瞳」
「他には」
「国土は狭い。財力はない。資源もない。細工が特別上手いわけでも、発明の才に富んでいるわけでもない」
「よくもまあ、それだけ自国の悪口を言えたもんだ」
「船を理解せずして、船頭は務まらないでしょう」
「治癒の力が目的だとすると、僕達にとっては最悪なんだけど」
「でも、他にうちの国に売りはないわ」
「お人好しで、柔和な国民性……」
「それ、侵攻してきた国にとってメリットかしら」
「メリットさ。攻め落とした後も、おとなしく税を納めてくれるだろうよ!」
ふわふわの金髪をぐしゃぐしゃにしながら、ジルクリフは勢いよく椅子に腰かけた。シルフィリアも、優雅な仕草で椅子に腰かけた。
協議机の上の水を手に取り、一口飲んだ後、ジルクリフはため息を吐く。
「僕達は捕虜にされる」
「そうでしょうね」
「飼い殺しだ」
「ええ」
「そんなことになるくらいなら、討ち死にした方がましだろうね」
「それは最後の手段。先に、まずは逃げ延びることを考えるべきよ」
「そんなことができると?」
「やるしかないわ。ジル、あなた、サヴィー達に死ねと言えるの」
厳しい顔をするシルフィリアに、ジルクリフは嗤う。
「言えるさ。飼われて、ただ産む道具にされる前に、僕が殺してやるってな!」
泣きそうな顔のジルクリフに、シルフィリアは息を吞んだ後、「ごめんなさい」と呟いた。
「……ごめん。姉さんが悪いわけじゃない」
「ジル」
「だけど、僕だって、わかんないんだ。どうしたらいいか、わからないよ」
「……」
「なんで、父上も母上も、あんなふうでいられるんだ」
「ジル」
「無責任にもほどがある。だって、親なら、最後まで子ども達のことも考えるべきだろ!」
弟の悲痛な叫びに、シルフィリアは目を伏せた。
両親は、国王と王妃という立場でありながら、楽観的で、詰めが甘く、諦めの早いところがあった。
柔和で優しく、真面目で、先見の明がなく、相手の立場に配慮することが不得手であった両親。
シルフィリアとジルクリフはそれを理解していて、官僚達もそのことを知っていたので、少しずつ政治のことを、父王と王妃ではなく、第一王女シルフィリアと第一王子ジルクリフに確認するようになってきており、シルフィリアも少しずつ、両親の権限を自分達に移譲するべく根回しをしていたのだ。
しかし、まさかこのような事態になるとは、さしものシルフィリアにも想定外であった。
諜報員からの報告を聞き逃したのか、はたまた理解が甘かったのか。
国王夫妻である両親と違い、すべてを把握しているわけではないシルフィリアには今更知る由もないが、おそらく両親の采配や理解の甘さもあったのだろうとは思う。
でなければ、このように周到な用意を持って、シグネリア王国に攻め入ることができようか。
シグネリア王国に興味を持ち、誰にも気づかれぬように調査を行い、攻め入る機会を虎視眈々と狙っている王子がいたのであれば話は別だが、そのような王子が獣人の国ラグナにいたとは到底思えない。
そう思うと、父母への負の感情が胸の中で熱く燃え上がりそうだったけれども、シルフィリアは胸元で手を握り、その苛烈な炎をなんとか鎮めていく。
「あの人達のことを責めても、しょうがないわ」
「でも!」
「できることをやりましょう。そして、今できることのうちに、あの人達をどうにかすることは含まれていないでしょう」
「姉さんは腹が立たないのか」
ジルクリフのいぶかるような碧い瞳に、シルフィリアは失笑する。ともすれば彼女をも突き放すようなその視線の奥には、見解を異にする姉に傷ついた弟の姿が見えるようであった。
「腹は立つけれど……」
シルフィリアは思案するように目線を下げ、その後、炎の色に燃えるその緋色の瞳で、最愛の弟を見据える。
「だから、あの人たちには緋色が宿らなかったでしょう」
息を呑む金髪碧眼の王子に、シルフィリアはふわりとほほ笑む。
「目の前のことを優先する。お人好しで、過度に情に流される。考えが足りない。だから、緋色はあの人達には近寄らない」
「姉、さん……」
「――理解できない者は、治癒の力を持つことはできない。持たせてはならない」
ふと、執務室に響いた低い声に、シルフィリアとジルクリフは扉の方を振り返る。
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