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「おや、あまりご機嫌がよくないようで」
廊下で井出に話しかけてきたのは、桜井だった。
桜井は元々は週刊誌の記者だったが、現在はWebでの記事投稿が主となっている。この授賞式も取材の名目で入っているのだろうと井出は考えた。
そんなに機嫌が悪そうだったろうかと井出は左手で顎のあたりをさすった。
「主演女優賞は残念でしたね。似たタイプのヒロインが同じ年に出てこなければ獲れたと私は思いますよ」
その桜井の言葉は井出にとってなんの慰めにもならなかった。
全く「似ていないヒロイン」ならともかく、「似たヒロイン」を起用した作品同士で選ばれなかったということは、井出自身が劣っていたようにも思えてくるからだった。
「ちょっと耳にしたのですが、遠藤七海は、井出さんとこでもリストにあがってたらしいですね」
なぜそんなことを知っているんだ? と言いかけて井出はやめた。スタッフ全員の口を塞ぐことはできないと、彼は経験上、知っていた。
「そうだな。リストにはあがっていた」
「なぜ起用しなかったんですか?」
「原作者からの縛りで『身長170センチ以上』っていう条件があったんだよ。仕方ないだろう」
「おや? 遠藤は170を超えているでしょう?」
「いや、あの子は実際はー」
言いかけた言葉を井出は飲み込む。
しかし、桜井には井出の言わんとしたことは伝わったらしく、桜井は不敵な笑みを浮かべていた。
「まぁ公称詐欺なんてよくある話ですよね」
桜井が言った。実際は170を超えていないということは桜井も察したのだと井出はわかった。
「井出さんの作品で昔、遠藤七海は出てましたよね?」
「『光のラビリンス』でな」
「あの古代を舞台にしたやつですよね。なるほど。あのときに遠藤が170を超えていないことは知ってたんですね」
「あの頃で19歳だったからな。そこから身長が何センチも伸びるなんてことはないだろう」
「まぁそうでしょうね」
「だろう?」
「170センチを超えるヒロインという設定があるのに違っていた……そこを井出さんは守ったのに、偽りのヒロインが主演女優賞を持ってくなんて癪ですね」
「仕方ない。あっちは制約がない映画だったんだろう。もう終わったことだ」
あまり言っても負け惜しみにしか聞こえないと思った井出は淡々と述べ、この会話を終わらせた。
この会話が新たな騒動を巻き起こすことを、このときの井出は知る由もなかった。
翌週になり、井出はスタッフから言われて、あるウェブ記事を知った。
『偽りのヒロイン!? 原作とは異なる身長で主演女優賞?』
この見出しのリンクの先には、遠藤七海の公称170センチは偽りではないかという記事が書かれていた。記事の元となったのは桜井のブログ情報ということになっていた。
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