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最初に感じたのは、身辺整理ではないかということだった。プリントした写真のうち、仕事関係のものはまとめて箱にしまっていた。プライベート、その殆どは有希子やアレンを写したものだが、懐かしそうに眺めると『アレンお迎え』『有希子卒業』などのタグを付けたり記入して、大部分をアルバムに貼っている。残ったものは額に入れているが、誕生日のアレンを挟んで甲斐と有希子が並んだものもあった。
時が移り、内ポケットから出した水性ペンでカレンダーに予定を書き込む甲斐は、必ず生きて戻ると自分に言い聞かせているようだった。法事、両親の命日、アレンの誕生日……。丸印に有希子誕生日と書き込む甲斐は泣いていた。
「一斗!目を覚まして、お願い!」
有希子の叫び声が遠くに聞こえ、自分が倒れていることに初めて気づいた。
「有希子さん……」
「良かった……。大丈夫?吐き気とか目眩は無い?」
一斗を抱き締めた有希子は泣きじゃくっていた。
「自分は平気です。倒れたりしてだらしないですね」
甲斐の記憶のまま涙を流していることに気づき、頬を拭った。
「だらしなくなんかないよ! いつもこんな辛い思いしているのに、自分は平気だって言って……」
壁を背にして並んで座ると、有希子が抱き寄せてくれた。
「甲斐さん、カレンダーの有希子さんの誕生日に印を付けながら泣いていました。多分亡くなる少し前の気がします。その頃には、自分の命が危ないことに気づいていたのかもしれません。たった一人の妹の誕生祝いさえさせなかった連中を、自分は絶対に許すつもりはありません。必ず真相をこの目で確かめます」
「無理することないよ。私は一斗が無事ならそれで十分。今のままだと、一斗まで私の前から消えちゃいそうで怖いんだ」
「自分は消えたりしません。絶対に、です。それに、甲斐さんがそれなりの危機感と覚悟を持っていたのなら、必ず保険になる手懸かりを残しているはずです」
一斗は有希子に手を差し伸べると、一緒に立ち上がった。
「行きましょう。仁木さんと合流できれば、反撃の目も出てきます」
写真立ての中の精悍な甲斐と目が合った。ほんの僅かだが、甲斐の声を聞いた気がする一斗に迷いは無かった。
今夜中には帰れると思うが、念のためアレンのトイレ二カ所のペットシーツを交換し、水も二カ所に用意する。有希子に操作方法を聞いて、餌は自動給餌器をセットしておいた。
万が一侵入者が入ってきたとしても、繋がれていないアレンは脅威になるだろう。
「夜には帰るからちょっと待っててな」
アレンは昼間の留守番には慣れているのか、首筋を撫でてやると尻尾をパタパタさせて素直にソファーに寝そべった。
必要になるか分からないが、有希子が化粧をしている間にノートパソコンや資料をまとめバックに詰めておく。スマートフォンに財布、目薬やセロテープなどはボディバッグだ。
「お待たせ」
有希子が支度を終えて出てきた。動きやすそうな細身のパンツにプルオーバーを引っ掛けているだけだが、百七十センチ近い長身に良く似合っている。
家を出ると、一斗は持ってきたセロテープをドアや窓の目立たない場所に張り付けた。侵入者があった場合、開けた場所のテープが剥がれる安上がりで原始的な侵入検知システムだ。
「相変わらずそういうところは気が回るよね」
感心している有希子から車の鍵を預かると、助手席のドアを開けた。
「ありがとう」
服が挟まったりしないよう気をつけ「閉めますよ」と声をかけると、そっとドアを閉める。自分は運転席に乗り込んだ。
「これ、兄貴が使っていたサングラス。予備だけどね。特注で射撃用の耐衝撃レンズを入れたって自慢してたから、瞳の保護にも良いと思うよ。良かったら使って。」
差し出されたPOLICEのサングラスを手に取った。メタルフレームに薄いグレーのグラデーションのレンズが入っている。もしかしたら、同じ物を掛けていたため甲斐の瞳は無傷だったのかもしれない。
「警官がPOLICEのサングラスなんて笑っちゃうでしょ」
甲斐の愛用品ということもあり僅かに緊張したが、掛けてみると思いの外快適だった。心配していた頭痛も起きない。
「変じゃないですか?」
助手席の有希子に聞いてみた。
「格好良いよ。すごく似合ってる」
「お世辞でも嬉しいです。じゃあ、早速高牧駅に行きますか」
一斗はゆっくりと発進させた。
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