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生き残ること
「ここからが肝心なところですが、ランジェリーショップは角地にあって、出入りが二面からできます。片方から出るとすぐに東口改札ですから、上りの高牧線が発車するギリギリのタイミングでショップを出ます。ダッシュで上り列車に乗り込んだら一駅で降りて、タクシーで駐車場に戻りましょう」
「いつの間にそんなことを調べたの?」
「今朝、有希子さんがお化粧をしている間です」
今はスマートフォンですぐに調べられる。
「駐車場に見張りがいたらどうするつもり?」
有希子は不安そうだ。
「問題ないですね。車で追尾してくるでしょうから、撒いたところでGPS発信機を外せば振り切れます。ちょっと荒っぽい運転になるかもしれませんが」
仁木と同じような運転が出来るか自信はなかったが、安心して協力して貰えるようあえて断言した。
「そういえば有希子さん、交通系のカードかアプリはありますか?」
一斗は通学用の定期とは別にチャージ済みのSuicaを財布に入れているが、有希子が持っていなければ作戦を練り直す必要がある。
「たまにしか使わないけれど、スマホケースに入っているはずよ」
有希子はスマートフォンを操作する振りをしてケースを確認した。
「大丈夫、入ってるわ」
うなずいた一斗は自分のスマートフォンで高牧線の時刻表をから時間を逆算する。今のところ遅延や運休の情報はない。
「行きましょう」
有希子の食事が済んでいることを確かめ、席を立った。
再び有希子が腕を組んできた。ほぼ同じ身長なので耳元や首筋の位置が近く、フルーティーな香りが微かに鼻腔をくすぐる。僅かに花の香りも混じっているようだ。
「どうかした?」
「いえ、なんでも……」
朝から気にはなっていたが、いい匂いがするなどと言ったら引かれそうだ。
「もしかしたら香水かな?めったに付けないから」
有希子が持ち前の勘を披露した。
「お姉さんは何でもお見通しですね。何を付けているんですか?」
「フルーティーフローラルノートよ。仲の良い同僚からのプレゼントで、好きな人ができたら使いなさいって。香水の名前は秘密」
有希子がいたずらっぽく笑った。
「同僚って女の人ですか?」
「ひょっとして、焼き餅を焼いてくれてるの?女の子だから心配しなくても大丈夫よ」
反射的に聞いてしまい、自己嫌悪に陥りそうになった。
三分ほど歩くと目当てのランジェリーショップに着いた。通路に面したディスプレイには、ごく普通のブラやショーツが並んでいるが、店舗の奥に行くにつれ過激なデザインの物が多くなった。単品もあるが、上下セットの商品が多い。布の面積から考えると、ぼったくりとしか思えない価格のブランド品もある。
一斗の腕を引っ張るように、有希子が店内に入って行く。端から見ても、年上の彼女に連れられた若者にしか見えないだろう。本気で勝負下着を選んでいそうな有希子の隣で、ディスプレイの隙間からそっと店の外を見渡した。
流れる人波の中、さりげなく二手に分かれて土産物店の入り口近くに陣取る、商品には興味がなさそうな中年の姿が見える。明らかに感じる異物感と、ちらちらと様子を窺っている様子は尾行者と見て間違いなさそうだ。
上り列車の発車まで三分を切った。有希子を見ると、本当に買い物をしたのかレジで支払いを終えたところだった。
「のんきに買い物している場合じゃないでしょう。あと二十秒したらダッシュで走りますよ」
「平気平気。短距離なら一斗より速いかもよ」
残り時間二分。尾行者からは死角に入っているはずだ。
「行きましょう!」
二人で一気に上りホームを目指し走る。改札でSuicaをタッチしたところで尾行の二人に気づかれた。
残り一分。言うだけのことはあり、有希子は思った以上に俊足だ。階段をかけ降り、閉まりかけているドアから先に飛び乗ると一斗の腕を取り、車内に引っ張り込んだ。二人に続く尾行者がドアに手をかける寸前、警笛をならして列車はホームを後にした。
膝に手を当て息を切らせる一斗を尻目に、有希子は涼しい顔をしている。
「今回私の方が速かったのは、入院生活が長かったからってことにしてあげる」
「はあ…… それはどうも……」
にこっと笑った有希子はランジェリーショップの袋を僅かに開き、レースの付いたブラックとパープルの上下セットを見せると耳元で言った。
「着させたい?それとも脱がせたい?もっとも、二人とも殺されずに解決出来たらの話だけどね」
有希子の誕生日を祝う。香水の名前を教えてもらう。ブラックとパープルの下着を脱がす。生き残らねばならない理由としては、十分過ぎるだろう。
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