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逃走
高牧駅から一駅、一斗のアパートもある蔵野駅で下車した一斗と有希子は、駅前のタクシー乗り場に向かう。いつも利用している駅なので、客待ちのタクシーが常時二、三台は暇そうにしているのを知っていた。
先頭で客待ちしているタクシーに乗り運転手に行き先を告げると、この後のルートをシミュレートする。仁木の指定した場所までのルートは数パターン記憶しているが、交通状況や尾行に合わせて臨機応変に変更する必要があるだろう。
有希子の車を駐めたコインパーキングの近くでタクシーを降りると、周囲を確認しながら車に近づいた。
「ちょっとここで待っていてください。あと、鏡を持っていたら貸してもらえますか」
万が一を考え有希子を少し離れた場所で待機させると、車に細工がされていないか点検する。ドアやハッチに貼ったセロテープに異変は無い。続いて有希子から借りた手鏡で車体の下を覗いた。見える範囲で異常は見受けられなかった。
再び車から離れると、リモコンキーのアンロックスイッチを押す。仁木のベンツが爆破されたことが頭をよぎったが、何事もなくハザードランプが点滅し、ロックが解除された。車に戻り緊張しながらスタートボタンを押すと、一斗の心配など無視するように呆気なくエンジンが始動した。
「大丈夫です」
ほっとした一斗は有希子を呼び戻し、助手席に乗せるとコインパーキングから出庫させる。
「自分は仁木さんと違って見抜くことはできないかもしれませんが、尾行がつくのを前提で向かいます。途中、信号が変わりかけの交差点を通過したり、周りよりゆっくり走ることがありますが、無理はしないので安心していてください」
自分の言葉に説得力がないのを承知で言った。
「大丈夫、信用してるよ。一斗と一緒なら怖くない」
仁木の指定した場所まで、普通に走れば三十分もかからない。だが、尾行を撒いてGPS発信器を外すことを考えると一時間はみた方が良いだろう。
午後三時過ぎの高牧市内は比較的車の流れは良い。ナビが『この先Nシステムです』と音声案内するたびに脇道に入る。途中の信号では、後ろから煽られてもゆっくり走り、信号が赤に変わりかけるのを見極めて突っ切った。
三十分ほど走らせると、同じようにNシステムを避ける後続車を見つけた。信号手前でブレーキを踏んでスピードを落とさせ、自分だけ通過しようとするブレーキトリックも通用しなかった。すでに隠れて尾行する気はなさそうで、このままでは振り切れない。仕方なく一斗は、シミュレーションの中から最も危険なプランを選んだ。
交通量の多い国道を横切る高牧線の踏切、それも駅に近い開かずの踏切に近いところへ車を向けた。
二ヶ所の踏切はタイミングが合わず通過してしまったが、三ヶ所目の踏切で丁度良く踏切信号が点滅を始めた。スピードを落とすと踏切手前で遮断機が降りてくる。列車の進行方向を示す矢印は上り下りの両方が点灯しており、踏切の先は空いていた。
「突っ切ります」
「えっ?」
言うと同時に左右を見ながら遮断棒を折って踏切に進入し、踏切内で一時停止した。列車が数百メートル先に見え、警笛が激しく鳴らされる。ステアリングを握る手に脂汗が滲み、恐怖に心拍が跳ね上がった。
「一斗!」
有希子が叫び声を上げ両手で顔を覆うのを見ない振りをして、後続の尾行車が絶対に入れないタイミングまで待ってから急発進し踏切を抜ける。直後、悲鳴のようなブレーキ音と共に列車が速度を落として停止、踏切を塞ぐのがバックミラー越しに見えた。
乗客として列車に乗っていた時の経験から考えると、踏切内に緊急停止した列車が安全確認を済ませて運転再開するまで短くて五分、長くても十分程度だ。その間にできるだけ差を広げ、GPS発信器を取り外す。
一斗はスピードを上げると、Nシステムを避けながら高牧市から伊勢崎市に向かう。
途中、道路左側にあるコンビニの駐車場に、工事業者と思われる平ボディのトラックが止まっているのを見つけた。車内や喫煙スペースに運転手の姿は見えない。躊躇なく駐車場に乗り入れると、トラックに横付けした。
「GPS発信器を外すから、トラックの運転手が出てこないか見張っていて下さい」
有希子に声をかけ、リアバンパー裏からGPS発信器を外すと、トラックの荷台に積まれた脚立や作業工具の隙間に隠した。
「来たよ!」
有希子がコンビニ入り口に視線を向けたまま合図をしてきた。
うなずいた一斗は急いで車に戻り発進させる。トラックの運転手に気づかれた様子はない。この後しばらくは、見当違いの位置情報を送り続けてくれるはずだ。
目立たないよう流れに乗って走らせる一斗の横で、緊張から解放された有希子がぼそっと言った。
「吐きそう……」
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