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短命
「本当に会いに行くの?」
通勤経路にあるコンビニの駐車場で、助手席の有希子が心配そうに一斗を覗き込む。有希子を送ったあとは、マキの家に行って坊主頭と会えないか頼むつもりだった。
「実際に会えるかさえわからないから、今から心配しても仕方ないですよ。有希子さんこそ、今日一日くらい有給を使って休めば良いのに」
「本当はそうしたいけれど、リハビリは担当する患者さんと時間が二週間先まで決まっているから、ちょっと休みにくいんだよね。でも現場に出ちゃえば少しは気が紛れるかな」
たった二日間で有希子をめぐる状況は一変している。特に仁木が後藤組襲撃の犯人とされ逮捕状が出たことや、自宅に侵入されたことは相当堪えているはずだ。普段はアレンが乗る後部座席に置かれた、侵入者の千切れた指が入ったままの手袋も気持ち悪いだろう。
もっとも手袋は、このあと淑華の部下が取りに来るので、手書きのメッセージが書かれた淑華の名刺と交換に渡せば良いと仁木から指示されている。
約束の時間ぴったりに、腹に響くような排気音を響かせた大型バイクが横付けしてきた。タイトなジーンズに革ジャン、フルフェイスのヘルメットを身に着けた小柄なライダーに、サイドウインドウをノックされる。
バイクで来るとは予想していなかったため一瞬面食らったが、パワーウインドウを十五センチくらい下げた。
ヘルメットのシールドを上げた先から一斗を見据える視線は鋭いものの、まだ若く高校生くらいにしか見えない。アーモンド形の瞳は淑華と瓜二つだ。
ライダーは革ジャンのポケットから出した名刺を、一斗に向けてピシッと投げてきた。
「母の使いで来た。荷物を預かる」
一斗は名刺を確認すると、手袋を入れた包みを渡した。保冷剤を多めに入れてあるので、包みはまだ冷たい。
「母の言う通りだな。あんた、短命の相が出てるよ」
「心配には及ばない。既に一回死んでいるんだ。それに、絶対先には逝かないって約束しているからね」
ライダーは助手席の有希子をチラリと見て、納得したように頷いた。
「チューニィーハォユィン」
ぶっきらぼうに言い、背中に回したボディバッグに包みを仕舞う。ヘルメットのシールドを下げるとアクセルを一捻りし、あっという間に去っていった。
不安の種を一つ手放すと、有希子の勤める総合病院へと車を走らせた。
「彼女、母の使いって言ってたよね?」
「ええ、淑華さんの子供でしょう。瞳がそっくりでした」
まさか自分の子供を使いに寄越すとは思わなかったが、確かに一番信頼出きる部下だろう。見方を変えれば、仁木をそれだけ信用しているということだ。
「ずいぶん不吉なことを言っていたけれど、最後は何て言っていたかわかる?」
「北京語に似ていたから、たぶん台湾華語ですね。グッドラックみたいなニュアンスじゃないかな」
台湾の公用語が台湾華語で、ベースとなった中国公用語の北京語と共通点はあるものの、漢字や表現、発音など異なる点も多い。より歴史の古い台湾語も存在しているが、台湾南部で使われることのある話し言葉であり、今では使えない台湾人の方が多いらしい。
「一斗、大学で中国語も取っていたの?」
「覚えていないのですが、家に教科書や辞書はあるから、もしかしたら第二外国語か何かで選択をしていたかもしれません」
自分の記憶が戻らないもどかしさはあるが、今は甲斐の記憶を求める気持ちの方が強い。その方が結果的に早く自分の記憶にたどり着けると思っているし、何より生き残らないことには意味がない。
手袋の受け渡しの時間を長めに見積もって早めに家を出たためか、有希子の勤める病院の職員駐車場は空いていた。
「気をつけてね。少しでも危ないと思ったら無理しちゃ駄目だよ。必ず六時に迎えに来てくれるって信じてるから」
助手席から降りて通用口に向かいかけた有希子が立ち止まり、一斗を振り返ると早足で戻ってきた。サイドウインドウを下げた一斗の頬に有希子の両手が添えられ、唇が触れる。
「無事に帰ってくるおまじない。私がサボりたくなる前に行って」
そう言って笑う有希子に見送られ、一斗は病院を後にした。
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