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淑華
「兄ちゃんは何のことだと思う?」
スマートフォンや財布を返してくれた若頭に、質問を質問で返された。腹の探り合い。それだけアイコウには触れられたくないのか。だが、一斗側には心当たりが全くない。しかしそれを気取られたら軽くあしらわれて返される恐れがある。シャツの中に、じんわりと脂汗が滲んだ。
「人の名前、あるいは企業名。例えばですが、相原工業とか、会田浩二とかの略称や愛称の可能性も高いと思っています」
スマートフォンにチラリと目をやり、財布などと別のポケットにしまいながら、一斗は恐る恐る踏み出した。どこかで的はずれなことを言えば、そこで話はおしまいだ。
「なるほどな。それで?」
若頭と真田の表情で、大きく外していないのを確信した。
「二年前の事件、拳銃押収の不正に絡んでいるのは間違いないのに、仁木さんはアイコウを知らなかった。つまりフロント企業や便箋的に足を洗った組関係者ではないということです」
無言で続きを促される。
「後藤組長は警察の動きを明らかに恐れていて、仁木さんに取り引きを持ちかけています。その直後に殺されたのは警察内部による口封じ。今更アイコウや二年前のことについて喋られては困るからと考えて間違いないでしょう。おそらく二年前までは、アイコウ、警察の一部、そして後藤組の関係は良好だったのではないでしょうか?言い方を変えれば持ちつ持たれつです」
アイコウは警察や後藤組と関係があり、当然警察はそれを知られたくない。そして二年後の今までアイコウの名は出なかったし、仁木も知らなかった。ここ数日で、一斗なりに考え導きだした答えだ。
「さすがに楊の女狐が後ろ楯に付いているだけのことはあるな。頭は切れるし一人で乗り込んでくる度胸もある。続きを聞かせてくれ」
一斗は頷いた。続く綱渡りに軽い吐き気を覚える。
「アイコウが組関係でないとすると、金か女でがんじがらめにされた会社です。そして今は廃業している。これだけ条件が揃えば、時間は掛かっても特定は難しくない。問題はアイコウの役割と、二年前なぜ協力関係に問題が生じたかですね。さらに不思議なのは、警察官二人が亡くなる事件を起こしていながら、警察が後藤組を潰さなかったことです。警察官を殺されたら、警察は黙っていないと聞きました。ただ、それは口止め料だとしたら納得がいきます。今、警察は別の組織と手を組み、アイコウの代わりも見つけているのでは?」
若頭がタバコを咥え、すかさず真田がライターの火を差し出した。
「兄ちゃん。頭が切れるのはいいが、切れすぎるのはまずいな」
殺意のこもった三白眼が一斗を見つめる。ここまでの推理が当たっていたがゆえ、少し踏み込みすぎたのか。確かに組員を殺されているのに警察から口止め料代わりのお目こぼしを貰っていたと知れれば、他の組から笑い者になるかもしれない。ヤクザにとってメンツは飯の種だ。
「自分を殺したら、楊家と抗争になりますよ」
手の内を読まれぬよう、少しでも甲斐の力を借りたくてサングラスを掛けた。切り札はまだこちらにある。
「死体が出なけりゃあやのつけようもねえよな」
にたっと笑う若頭に、一斗はスマートフォンを見せた。
「これを返してもらってから、ずっと通話モードになっています。相手は誰だかわかりますよね」
若頭と真田の顔から瞬時に血の気が引いた。
一斗はスマートフォンをスピーカーモードに変える。
『表、見てみな』
淑華の声がスピーカーから響いた。
パンチパーマとスキンヘッドがブラインドの隙間から階下を覗いて血相を変えた。
「台湾の奴らに、車二十台くらいで囲まれています! 最低でも五十人はいやがる……。今何人かビルに入って来ました!」
『うちは本気だよ。お前んとこの本家とも話はつけてある。その子に傷が一つ付いたらお前の指一本。二つ付いたら腕をもらう。三つ付いたらお前の家族全員を殺す。台湾流のおもてなしでね。四つ目は言わなくてもわかるだろう』
「アイコウとその役割、二年前に何があって協力関係が崩れたのか教えてください」
淑華の本気に屈した若頭に改めて聞いた。
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