淑華

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 後藤組の事務所を出てエレベーターで一階に降りた一斗を、三台の高級車が待っていた。先程までビルを取り囲んでいた多くの車は既に立ち去ったようだ。キャバクラ店横の自動ドアを出ると同時に、スマートフォンに淑華から着信が入った。 「真ん中のベンツに乗って。リアシートよ。あなたの車はうちの者が乗っていくから、鍵を渡してあげてね」  ボディーガードが乗っていると思われる前後を固めたBMWから、一人の若者が降りてくる。頭を下げ、礼を言ってから鍵を渡した。 「メイグァンシー(気にすんなよ)」  人懐っこい笑顔を見せて若者は、有希子から借りているコンパクトカーに向かった。  指示されたベンツGクラスAMGのリアドアを開け体を滑り込ませると、リアシート中央には淑華、右側には仁木が座っていた。大丈夫だろうとは思いつつも、襲撃を避けるため素早くドアを閉める。  多くのヤクザが有り難がる高級ミニバンの電動スライドドアに比べ、ヒンジタイプのドアは閉める時間が圧倒的に短くて済み襲撃を躱しやすい。また、万が一銃撃戦になった場合も、頼りないとはいえドアを盾に使える。常に危険と隣り合わせなのに電動スライドドアのミニバンを選ぶのが、一斗には理解できない。 「先程はありがとうございました。まさかこれほどのバックアップを頂けるとは思っていなかったです。淑華さんに迷惑が掛からなければ良いのですが。仁木さんも出歩いて大丈夫ですか?」 「私はやると決めたらとことんやりたくなるの。性格だから気にしないで大丈夫よ。それに、必要経費は達哉に体で払って貰うからね」  ドライバーに車を出すように命じ、淑華は笑った。 「しかしお前、あそこまで分かっていたのに、何で言わなかったんだよ。少しは手助け出来たかもしれないのに」  淑華と一緒に聞いていたのだろう、仁木が不満気な表情を見せた。 「素人の推理で仁木さんに手間を掛けさせたら悪いと思って……。すみません、次からはちゃんと事前に話します」 「まあ、アイコウが何なのかはわかったし、二年前までの後藤組の役割もある程度は聞き出せたから、収穫はあったな」  アイコウの正体は、県内の自動車メーカーなどから発注された試作部品の製造を行う町工場、正式名称は田精密業。知ってしまえば謎でも何でもない、ただの工場だった。取引先からも愛工さんと呼ばれていたらしい。  3Dプリンターによる小ロットの試作品の製造が主力で、業績も悪くはなかったようだ。転落のきっかけは、それまでの樹脂3Dプリンターに加え金属3Dプリンターを導入したことだった。  一台九千万円以上するバインダージェット本体に加え、不活性ガスの供給や排出装置、防塵防爆対策などの高額な投資も負担になった。また、材料やガスなどのコストや保守費用も経営を圧迫したらしい。  それに加え社長の愛田にはギャンブル癖があり、日頃から後藤組の息が掛かった違法カジノ店に入り浸っていた。素人がヤクザのカジノで勝ち続けられるはずもなく、工場の運転資金はギャンブルに消えていく。やがて銀行からの融資も断られるようになった頃、違法カジノに警察の手入れが入り、愛田も常習賭博罪で逮捕された。そして会社が倒産したのが逮捕から数年後の、Dメッセでの事件直後。  若頭が愛田について知っているのはここまでのようで、逮捕後の後藤組や警察との関連は、後藤も身内にすら漏らさなかったようだ。  ただし、違法カジノ摘発後に後藤から命じられた新しいシノギが始まり、後藤組のフロント企業がフィリピンに設立されたと若頭は言っていた。 『フィリピンには観光客向けの射撃場があるだろ?そこでぶっ放された使用済みの弾丸と薬莢を仕入れてアクセサリーを作るって話だったが、仕入値がただ同然とはいえ、そんな儲かる話じゃねえよな。だが、二年前まで毎年五百発分以上は持ち込まれていたはずだ。組長(オヤジ)が死んじまった今となっては、真相は藪の中だがな』  一斗は若頭の話を反芻していた。3Dプリンターで試作品を作る町工場と使用済みの弾丸に薬莢。拳銃の不正摘発にどう繋がるのかわからない。 「パクられた愛田って、最初から狙われていたんじゃない?」 「俺もそう思う。そんな都合良く利用できそうな奴を、偶然パクれるはずは無いからな」  淑華と仁木は裏社会を知り尽くしているだけあり、読みは一致している。 「俺は違法カジノの摘発に関わった奴と、愛田が今どこで何をしているか探ってみる。あとは愛田と同じような業種でヤクザに絡め取られている会社があるかだな」 「大丈夫ですか? 仁木さん、逮捕状が出ているでしょう?」  先程の後藤組での騒ぎもいずれ警察の耳に入る。下手に動けば追手が来るのは必至だ。 「今月は銃器押収強化月間でな。自分用に二丁確保してあるから、それを交換条件にすれば代わりに動く奴はいくらでもいる。心配しなくていいから、お前は甲斐が隠したIDとパスワードの解析を頼む」  もう一つの難題だが、これに関しては甲斐が絶対にヒントを残しているはずだ。亡くなった時点で甲斐は自分のことを知らないのだから、有希子に託してあるのは間違いない。既に目にしているが、単に見落としているだけの可能性もあるだろう。解析前に口座が凍結されたらアウト、時間はそれほど残っていないかもしれない。  
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