マイクロチップ

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マイクロチップ

 十五桁の番号を考える一斗の脳裏に、昨日のスーパーでの記憶がよぎった。JANと呼ばれる十三桁の商品識別コード。パスワードの十五桁の数字も、やはり何かの識別コードなのかもしれない。  そして、その数字は有希子かアレンに関係しているのは間違いないだろう。パスワードに十五桁の数字を必要としていたのなら、それには必然性があるはずだ。単にいくつかの情報を組み合わせたということは考えられない。  集中し直すためコーヒーでも入れて少し休憩しようかと立ち上がったその時、ドアベルの金属音が響くと、半開きにしていたドアからアレンが入ってきた。甲斐の椅子に座る一斗を見て、寂しそうに尻尾を振っている。もしかしたら甲斐の部屋での物音に、亡き主の帰宅を期待したのかもしれない。 「期待させて悪かったな、アレン」  椅子を降り床に座ると、体を擦り寄せてきたアレンを撫でてやる。  首筋を撫でたとき違和感を感じた。同時に昨夜自分の首筋にある黒子の出っ張りに、何か引っ掛かりを覚えたことを思い出す。  気になるのは首の後ろの突出物か。違和感の正体を探るよう、再度アレンの首筋をそっと撫でてみる。首の後ろの左側に、イボや脂肪の塊とは感触が明らかに違うほんの僅かな膨らみを感じた。  自分でも何が気になるのかわからない。だが、違和感の正体は首の後ろ左側の膨らみに間違いない。    試しにパソコンで『犬 首の後ろの膨らみ』と検索をした。  数分後、一斗の心臓が早鐘を打ち、脈拍が跳ね上がるのを自覚する。見つけた。少なくとも十五桁のパスワードについては、これだという自信がある。  だが、今の段階では、それもに過ぎず、具体的な数字を確かめるには、有希子に話を聞かなければならない。  時計を見るとまだ昼前だ。今からメールをすれば、お昼休みには返事をもらえるだろう。  確認事項は三点。アレンにはマイクロチップが埋め込まれているか。埋め込まれたならそれはいつか。登録証明書はあるか。それだけを簡潔に送った。  十二時を回ってすぐに有希子からの返信があった。  『お疲れさま。マイクロチップは埋め込まれているよ。時期は二年前の一月か二月。ただ、登録証明書は、届いてすぐに行方不明になって見つからない。何か分かったの?』  返事の内容は、一斗の予想通りのものだった。 『忙しいのにごめん。迎えに行ったときに話します。それまでは仁木さんにも内緒で、このメールも削除して下さい。返事ありがとう』  送り返した一斗は、自分のメールも削除した。念のため、入力の学習機能もリセットする。  令和年四月から、ブリーダーや犬猫販売業者が取得した犬や猫には、世界唯一の個体識別番号のデータが入ったマイクロチップの埋め込みと、その個体識別番号、犬猫や飼い主に関する情報の登録が義務化されていた。  きっかけの一つは東日本大震災。飼い主とはぐれた犬猫が多かったが、当時任意だったマイクロチップを埋め込まれていた犬猫の約七割は飼い主の元に戻ることができた。マイクロチップの個体識別番号を読み取れば、データベースに登録されている飼い主の情報がわかるからだ。  以来、天災や盗難、事故などによってはぐれた犬猫を飼い主の元に戻すことや、飼育放棄防止を目的に法制化が進められた。  また、義務化以前に取得していた場合や既に飼っている犬猫に関しては努力義務だが、アレンには埋め込まれている感触があった。マクロチップを埋め込む場所は決まっており、そこは首の後ろ左側だ。一斗が感じた僅かな膨らみは、形状や大きさからマイクロチップのものだと思われた。  そして埋め込みが義務化以前のアレンに、二年前埋め込まれた理由。それはマイクロチップに記録された、十五桁と決められている世界唯一の個体識別番号を、オンラインストレージサービスのパスワードに使うためだろう。登録証明書を確認するか、獣医師などに専用コードリーダーで読み取ってもらう以外、知る方法はない。十五桁の数字の組み合わせは四百兆通りで、他の犬猫と番号が被ることはあり得なかった。  そして、登録証明書には個体識別番号のほかに、飼い主の氏名や住所、電話番号、犬の名前や品種に毛色コード、狂犬病予防法の登録番号が記載されている。登録証明書が無いのは、情報を知られてくない甲斐が早々に処分したのではないか。  動物に詳しくなければ、一歳でお迎えした犬を四年飼ったあとにマイクロチップを埋め込んだとは思わないだろう。しかも時期的には努力義務化以前なのだ。登録証明書を処分すれば、他人にはわからないパスワードが手に入る。  十五桁の個体識別番号は有希子も覚えてはいないだろうから動物病院で読み取ってもらうことになる。他の情報は有希子が覚えていなければ再交付の申請をするしかないが、登録証明書の暗証記号と狂犬病予防法の登録番号以外は忘れるような内容ではない。  それに、パスワードに識別番号を使ってるのなら、推測されにくいようIDは番号系を避けるのではないか。ただし、英数混じりの縛りがある以上一個以上の数字は必要だ。  一斗は昼食を買い置きのカップ麺で手早くすませると、ヒントになる情報を求めて写真を確かめ始めた。  有希子や甲斐が学生時代の頃など、古い写真は除外しても良さそうだが、一応表裏を確かめて関係ないと判断したものについてはアルバムに戻した。  もしかしたら写っている被写体の中にそれらしきものが無いかと考えたが、見当もつかない。  いずれにせよ五時前には有希子を迎えに行かなければならない。また侵入者が無いとも限らないので、出掛ける前に写真は片付けた方が良いだろう。  諦めて一度アルバムに戻そうとした一斗は、一枚の写真が気になり手に取った。今の一斗とあまり変わらない年齢に見える有希子が、顔付きに幼さの残るアレンを抱き抱えている。  だが、気になったのは表面ではなく、裏に書かれたコメントだ。他の写真では日付とイベント、それに対するコメントの順で記入されていたが、これはアレンお迎えと短く事務的に記入されているだけだった。  この一枚がIDに繋がる保証はないが、侵入者に備えどこかに隠しておきたい。考えた末、冷蔵庫の冷凍室にある脱臭剤の中身を捨て、ビニール袋に入れた写真をその中に隠した。  
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