解明へ

3/3
前へ
/74ページ
次へ
 翌朝、一斗は五時過ぎに目覚めた。フローリングに直接、しかも不自然な体勢で眠ったせいか体のあちこちが強ばっている。いつの間にかアレンはソファの上に移動しており、隣で寝ている有希子の毛布がはだけていた。  有希子に毛布を掛け直して、一斗はキッチンでコーヒーを入れるとリビングに戻り、壁に寄りかかってカップを口に運ぶ。  甲斐は亡くなる前、有希子とゆっくりと話せただろうか。穏やかな寝顔を見ることができただろうか。  無理なことだとはわかっていても、せめて甲斐から貰った瞳が、有希子とアレンを記憶に焼き付けてくれることを願った。 ※ ※ ※  午後四時五十分。アレンを連れた一斗はいつもの職員駐車場に車を止めると、すでに有希子が待っていた。理学療法士のユニフォームを着た同僚らしき女性と話をしている。 「ごめん、待たせちゃったかな?」 「大丈夫、いま来たところ。彼女がね、最近迎えに来ている一斗を見るのが条件だって言うから」  恥ずかしそうな有希子に無言で促され、一斗は車から降りて挨拶をした。 「柊木一斗です。今日は勤務を代わっていただきありがとうございます」 「市川美沙です」  有希子とは対照的にイケイケな印象だが、性格は悪くなさそうだ。興味津々といった体で、車から降りた一斗を観察している。 「合格。でも、有希子(ユッコ)を泣かせたら承知しないから。けど、まさかユッコが年下と付き合うとはね。キミ、まだ大学生でしょう。どこの大学?」  悪気はないのだろうが、少々押しが強い。反応が想像できるのであまり言いたくはないが、有希子の仕事を代わってもらった手前、正直に言わざるを得ない。 「マジ?県内一の難関じゃん。偏差値七十五以上でイケメンって、ちょっとズルくない?」 「自分は文系だから、そんなに良くないですよ」 「まあ、ユッコが変な男に引っ掛かってないのがわかって良かったわ。一斗クンだっけ、こんないい女は他にいないから、逃がしちゃだめだぞ」  言いたいことを言って気が済んだのか、美沙は仕事に戻っていった。 「ごめんね、一斗。美沙に悪気はないんだけど、ああいう性格だから」  助手席に乗り込みながら有希子が謝った。 「気にしてないですよ。裏表が無さそうな良い人じゃないですか。もしかしたら、いつかの香水は彼女から貰ったのですか?」  一斗は駐車場から車を出しながら聞いた。 「うん。美沙は恋愛経験豊富だから、いろいろ詳しいんだよね。患者さんやドクターからも人気あるし」 「自分は有希子さんが先生や同僚に狙われないかの方が心配ですけどね」  もうすぐ真相のへの鍵が手に入る。緊張を和らげるよう、たわいもない話をしているうちにアレンの掛かりつけの動物病院に着いた。  短いリードで繋ぎ、アレンをリアゲートから降ろす。予防接種の他、肛門嚢などのケアで動物病院に慣れているアレンは暴れたり吠えたりすることもない。  有希子が予約を入れてるし、マイクロチップの読み取りだけなので時間はかからない。今回はオンラインでの再交付にしたので、識別番号を読み取りと本人確認番号の記載されたメール送付の依頼をした。帰宅後に登録証明書をダウンロードし、必要事項の入力とクレジットカードでの再交付手数料三百円を決済すれば、PDFドキュメントの登録証明書が登録したメールアドレス宛に送付されるはずだ。  目的の識別番号を手にすると、帰宅を急ぐ。ジャーマンシェパードはどうしても日々の運動が不可欠なので、早く帰って散歩と食事を済ませたらIDとパスワードを試したい。  アレンの散歩をすると、今日も手早く夕食を済ませるため冷凍のピザをオーブンで焼いた。  緊張感から、二人とも言葉少なに黙々とピザを口に運ぶ。  簡単に食事を済ませると、まずは有希子のパソコンから登録証明書再交付の申請をした。二十四時間対応なので、十分程度で申請作業は終わり、PDFドキュメントが送られてくる。一部だけプリントすると、ドキュメントにはロックを掛けクラウドに保存した。  次は甲斐の契約していたオンラインストレージサービスへのアクセスだ。こちらは有希子の許可をもらって、一斗のパソコンを使うことにした。 「いよいよですね」  緊張で指先が汗ばんでくるのを自覚した。甲斐を始め三人もの命を奪うことになった事件の真相に、もうすぐ手が届くかもしれない。 「そうだね。一斗が現れるまで、こんな日が来るなんて思っていなかったよ」 「まだどうなるかわかりませんけどね。間違えてロックが掛かったら最悪だから、とりあえず四回だけトライしてみましょう」    一斗は自分のパソコンから『OnlineStorageService StorageGear』にアクセスした。 簡素なトップ画面から【IDをお持ちの方】をクリックすると、IDとパスワードを要求する画面に切り替わる。  IDにFebruary42と入力すると、動物病院で読み取ってもらった識別番号を入力する。国コードの392、ペットを意味する14、チップの販売会社コード80、そいて個体識別番号の2131○624と十五桁の識別番号を打ち込み、エンターキーを押す。 【IDかパスワードが正しくありません】  一発で開くとは思っていなかったが、自然と溜め息が漏れた。  ついでパスワードはそのまま、IDに42Februaryと入力、これも弾かれる。ここまでは想定内でもあった。  今度はBlackTan28。これも弾かれた。  四回目、組み合わせを変え28BlackTan。お迎え日と毛色、一斗はこれが一番可能性が高いと思っている。エンターキーを押す指がわずかに震えた。  次の瞬間、一斗の緊張など無視するようにあっけなく画面が切り替わる。  ログイン。運命の扉が開いた。隣で見ていた有希子が息を飲む音が聞こえた気がする。  画面左側にメニューが並び、中央はファイル表示、右側にはアップロードやダウンロードのショートカットメニュー。  全てのファイルを選択すると、画像や動画、音声ファイルが現れた。  甲斐が保存していた証拠は、一斗の想像を遥かに越えていた。正直に言って、こんなものが公表できるとは思えない。これを公表するくらいなら、警察はためらうことなく一斗たちを殺すだろう。  どう生き延びるか。現役の刑事だった甲斐でさえ不可能だったことが、一斗に求められていた。  
/74ページ

最初のコメントを投稿しよう!

67人が本棚に入れています
本棚に追加