前夜

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前夜

 東京から戻った一斗は、自分名義の『OnlineStorageService StorageGear』にアクセスした。  前回アクセスした時、ファイルを開くと自分のメインアドレスで契約しているクラウドに転送されるよう設定していたが、問題なくファイルを受け取れることが確認できたので、転送先を二ヶ所設定し転送条件の変更をしておく。  一ヶ所はもちろん笹原が詰める立川警察署の特別捜査本部、もう一ヶ所は、日本外国特派員協会(F C C J)だ。  日本外国特派員協会は海外のマスコミやジャーナリストらによって設立されており、各国の大統領など海外の要人も訪れているため、確証は無いが国内のマスコミより圧力を受けにくいのではと思われた。  ただし、特別捜査本部にはファイルを開くと同時に転送されるよう設定したが、日本外国特派員協会へは四十八時間の猶予を設定した。  笹原が一斗たちの救出に成功したにもかかわらず、同時に全く同じ情報がマスコミに流れたら彼の顔に泥を塗ることになるから、その場合には転送を中止する時間が欲しかった。言い換えれば、日本外国特派員協会に転送された時点で一斗と有希子は生きてはいないことになる。握り潰されることなく報道されることを祈るのみだ。  また、本来であれば二ヶ所とも甲斐のIDから直接転送させたかったが、ファイルに手を加えれば事実かどうか疑われる可能性があるため、あえてそのまま残しておいた。  一斗が掛けることのできた保険はこの二つ。万が一の時にどれだけ役に立つか少々心許ないが、限られた時間でやれるだけのことはやった。  もっとも、仁木が残された証拠を使って裏共済組合と甲斐を殺した真犯人を突き止めてくれれば、全ては杞憂に終わるし、それが一番だ。  問題は笹原と約束した弾丸。本当に甲斐が持ち出していたのなら、やはり何らかの手掛かりを残しているだろう。  約束を果たすためにも、今日、明日中には命の綱である弾丸を見つける必要がある。藁にもすがる思いの一斗は、手掛かりを求め甲斐の部屋へ向かった。甲斐が導いてくれているのか、道に迷ったときの原点はこの部屋だという思いは常にある。  尻尾を振りながら付いてくるアレンと一緒に部屋のドアを開けると、ドアベルが乾いた金属音で出迎えてくれた。  壁のカレンダーやクローゼット、机など何度か確認しているが、どこかに見落としがあるかもしれない。  現場百回。どこかで聞いた覚えのある言葉を胸にカレンダーから調べ始める一斗の後ろから、アレンが鼻を持ち上げながら机に向かった。前足を机に掛けると、アレンを挟んで有希子と甲斐が収まった写真立ての匂いを嗅いでいる。鼻先が写真立てに当たり、パタリと倒れた。  この写真立てはしばらく勤務先の病院に置いていたという話だったから、有希子の服に付着した病院特有の匂いと同じものを感じ取ったのかもしれない。 「夕方には迎えに行くから、もうすぐ会えるよ」  アレンの肩から首を撫でながら、倒れた写真立てを手に取った。  有希子の顔を見る限り、写真が撮られたのは三、四年前か。家の回りではなさそうだが、何となく見覚えがある。  遠くに見える山並み、枝を広く張った椚。芝生とウッドチップ……。次の瞬間、瞳の奥がフラッシュを焚いたように明滅し、コマ送りの記憶が光を伴って爆ぜた。  幸い拒絶反応のような激しい頭痛は起きず、倒れることもなかった。しばらくアレンを抱いてると心拍も落ち着いてくる。車の運転も問題は無いだろう。やはり甲斐の記憶とのシンクロは着実に進んでいるように思えた。 「迎えに行ってくるから、ちょっと待っててな」  アレンに声を掛けると病院へと車を走らせる。仁木が抑えてくれているのか、最近は尾行の様子は無いのが却って不気味だ。  職員駐車場で待っていると、先日一斗を見に来た美沙と一緒に通用口から姿を現した。一斗の姿を見つけた美沙が両手で大きく手を振ると、有希子の背中をふざけて押している。 「お疲れさま」  一斗は助手席のドアを開けて有希子を出迎えると、運転席に戻り車を出した。 「ありがとう。東京はどうだった?」  院内の売店で買ってきたのか、トートバッグから缶コーヒーを出しながら聞いてきた。 「いただきます。まあまあ上手くいったかな。思ったより話が通じる人でした」  運転しながら笹原とのやり取りを話した。 「こっちの情報もある程度出したし、早ければ今日中、遅くても明日には自分たちの身元は知られると思います。携帯の位置情報をオンにしておけばどこにいるか把握できるから、もしもの時には駆けつけてもらえるでしょう。まあ、間に合うかどうかは別問題ですが」 「勝手に動いたりされない?」 「その辺は念を押しておいたから大丈夫だと思います。それより、実際に危ない状況になった時の方が心配ですね。警視庁から群馬県警に話しは通さなきゃならないから、時間との勝負になるかもしれません。でも、これは最悪の状況になった時の話です。あれだけのデータが残っているのだから、仁木さんが上手く追い込んでくれると思いますよ」  有希子にはあまり心配を掛けたくはない。自分の不安が伝わらないよう、できる限り明るい声で話した。 「それより、明後日までお休みですよね。疲れていなければ、明日は久しぶりにドッグランでアレンを走らせてあげませんか?仁木さんには明後日連絡しますから」  一斗の態度から何かを感じ取ったのか、有希子は不安を繕うような作り笑いを見せた。 「私は平気よ。じゃあ、明日は朝からドッグランに行って、晩御飯は手抜きをして買って帰ろうか。そしたら夜は一斗とセックスする」  シフトレバーに置いた一斗の手に重ねた、有希子の掌はわずかに震えていた。やはり恐怖心はあるのだろう。仁木が裏切ったら甲斐と同じ運命をたどりかねないのだ。 「明日の夜だけじゃない。今夜も明後日も、その後もずっとです。自分が絶対守るから」
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