後編

1/1
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

後編

 そしてパレードの日。  沿道にはたくさんの人が集まっていた。  少佐に万が一見られてしまう可能性を考えると前の方に行くことは出来なかったので、建物と建物の隙間の路地に隠れるようにして立った。  パレードの開催を告げるファンファーレが鳴り響くと、空からは紙吹雪が舞い、人々の歓声が沸き起こる。最初は騎馬隊の行進。そして……。  この日のために造られたらしいパレード用のオープンカーから、スノービル少佐の姿が見えた。  少々物憂げな表情をしているが、民衆に向けて手を振っている。人々は彼の姿を見てさらに熱狂の声を上げた。  軍にいた頃も、それ以前だって人の目を惹きつけて離さない人だった。  背筋を伸ばした凛とした姿も、式典用の黒い軍服を見事に着こなしているところも、少しの乱れも無く整えられた銀色の髪の毛も、精悍な顔立ちも――全てが。  ルーカスの瞳に眩しく映る。強い光を見つめた時のように目を細めた。  少佐……。  知らずのうちに、ルーカスはふらふらと前に向かって歩いていたらしい。  気が付いた時には前の男にぶつかっていた。そしてその弾みで被っていたフードが外れてしまう。 「化け物っ!」  フードの外れたルーカスの顔を見て、誰かが叫んだ。  辺りが騒然とする。何事だ、と警備に当たっていた軍人が叫ぶ。あそこに化け物が、と誰かがルーカスを指さして、パレードの行進が止まる。  ルーカスは恐ろしくなって、その瞬間に背を向けて走り出した。  背中に向かって石が投げつけられる。  したたかに背中をうつ石の痛みに顔をしかめながら、胸には後悔の念が溢れだした。  ああ、やはりここに来てはいけなかった。  今の自分の姿でこのような場所に現れてはいけなかったのだ。  パレードを止めて少佐の足を引っ張ることしかできない。そのことを強く実感する。  約束を破って近づこうとしてしまったから罰が当たった。  はぁはぁと息を切らせながら教会の前までたどり着く。追手は来なかった。教会の壁に背を預けるようにしてルーカスはずるずると座り込んだ。もうこれ以上動けそうになかった。  空を見上げると鉛色の重たい雲からは今にも雪が降りだしそうだった。  うずくまって長いこと目を閉じていたら、いつの間にか雪が降りだしていたらしい。ルーカスの身に纏っていた外套にはうっすらと雪が降り積もっており、辺りは暗くなっていた。  いつもならいるはずの路上の仲間達も姿は見えなかった。  お祭り騒ぎの街中へと繰り出しているに違いない。  その時。  教会の扉が開いて、中から1人の子供が出てきた。ルーカスの姿を見るとぺこりと頭を下げてくる。  その子は以前ルーカスが病に倒れていたところを助けた子供だった。 「君は……」  話を聞けば体が回復したあの後、教会で保護してもらえたのだという。戦災孤児全てが保護してもらえるわけではないから、この子はとても幸運だったのだ。  良かったねと微笑むルーカスに子供はホットワインを差し出した。 「あの時はありがとうございました。これをどうぞ」  冷え切ったルーカスの手が、ホットワインの入ったカップによって温まるのを感じた。 「こんなことをしたら君が怒られてしまうだろうに……でも、ありがとう。もう少しだけここでお祈りをしたら離れるから、それまでは許してもらえるかい」 「はい、もちろんです。ごゆっくりどうぞ」  教会の中へと戻っていく子の背中を見送る。  それからホットワインをひと口いただいた。りんごとシナモンの匂いがふわりと香る。  つー、とルーカスの頬を涙が零れ落ちた。  浮浪者に勝手に施しなどしたら怒られるというのに、あの子のやさしさが胸に染みたのだ。  辛い目にあって悲しい思いもしたけれど、助けた子供の無事が分かって、少佐の顔も見ることができた。  何て素晴らしい聖夜祭なのだろう。もうこれ以上思い残すことは何もないように思えた……。  ホットワインのお陰で体が温まってきた。  ルーカスは荷物の中からハーモニカを取り出して演奏を始めた。指先が温まったから最期に少佐と合奏した曲を吹きたいと思ったのだ。  神様、神様どうかお願いです。  あの人が幸せでありますように。  少佐の幸せを願い、夢中になって長いことハーモニカを吹いていたルーカスの目の前で、コツっと靴音が止まった。ピカピカに磨かれた軍靴が視界に映る。  まさか……。 「ルーカス……」  震えて、掠れ切った声がルーカスの名を呼ぶ。  ひゅっとルーカスは息を呑んだ。  焦がれて止まなかったスノービル少佐が、たった今、目の前に現れたのだ。  しかしどうして今更会うことなどできるだろう。  ルーカスはすでに死んだ。  スノービル少佐の耳にもそう伝わっているはずだ。  このまま名乗ることもせず、知らんぷりしていれば気付かれずに済む。 「ルーカスなんだろう……?」  少佐の声が訝し気なものに変わる。  そうだ、と言いたい気持ちを押し込めてルーカスは視線を地面に落としたままふるふると首を横に振った。 「声が出せないのかい? それともそういう振りをしている? どうして私を知らない振りなどするんだ……」  少佐の辛そうな声をこれ以上聞いていられなくて、ルーカスはゆっくりと立ち上がった。  彼から背を向けて歩き出す。 「待ってくれ!」  しかし数歩も歩かぬうちに少佐に肩を掴まれて歩みを止めざるを得なかった。離してもらえる気配が無くて、仕方なく振り返って目深に被ったフードをそっとずらした。  少佐から火傷を負って爛れた右側の顔だけが見えるように。  その上で、違う、人違いだと首を横に振った。この姿を見せればまさか自分がルーカスだとは少佐も思わないだろう。  ルーカスはもう死にました。  どうかこのまま立ち去ってください。  こんな醜い姿であなたの前にいたくないのです……。 「ああ……」  少佐の声が震える。  目の前の男が醜くて、さぞ驚いているのだろうな……。  そう思っていたのに、ルーカスはどういう訳か息もできないほどにぎゅっときつく抱き締められた。 「君は、私を甘く見すぎているよ。火傷の跡があるから分からないとでも思っているのかい。やっぱり君じゃないか……ルーカス」 「あ…、ど、どうして……」 「どうしては私のセリフだよ。何故声を出せない振りなどしていたんだ」 「こんな姿であなたの前に姿を現すことなんて……。このまま死んだと思っていて欲しかった……」  くしゃっと少佐の顔が泣き出しそうに歪む。 「姿が変わったから私が嫌になるとでも思ったのかい。馬鹿だよ、君は…本当に…。私がどれほど君を……」  雨ではないものがぽつん、とルーカスの外套のフードに落ちた。 「私はね、君が死んだと知らされたし実際それを信じていた。でもね、後からそれが家令のついた嘘だったと分かったんだ。何故だと思う?」  不思議そうにしているルーカスの顔を見つめて少佐はくすっと笑った。 「引かないで聞いて欲しいんだけど……。君を失ったと知って失意の底に沈んだ私は正気を無くしていたんだろう。気が付いたら墓を暴いていた。君の骨を抱いて海に入ろうと思ったんだ。だけど驚いたよ、墓には何も埋まっていなかったのだから。そこで家令を問い詰めて君が生きているという真実を知った。私はどんな姿になっていてもかまわないんだよ、君が生きてさえいてくれるのなら」 「………」 「それとも君は、怪我を負わせてしまった私を許せないと思っているのだろうか。あの時のことを後悔していて、2度と顔を合わせたくないと……」  少佐の言葉にルーカスは弾かれたように顔を上げる。 「違います! 後悔なんてしていません。あなたを助けることができて良かった……」 「君はそう言ってくれるんだね。随分痩せてしまったし、体も冷え切っている。おいで。屋敷へ戻ろう」 「でも……」 「家令のことを気にしているのかい。けれど心配はいらない。彼はもうあの屋敷にはいないのだから。私達を引き離そうとする者は誰も……」  ルーカスを抱き締めたまま、耳元で囁かれた少佐の声がどことなく仄暗く響いた。  それからルーカスのすっかり軽くなってしまった体がスノービル少佐の手によってあっという間に抱えられる。驚いてしがみつくようにして抱き着きながらも、ルーカスにはこれが本当に現実のことなのか分からなくなっていた。 「これは夢、なのかな。もしかしたらお迎えが来たのかも……」  聖夜の奇跡。これは死ぬ前のルーカスに神様が見せてくれた幸せな夢なのかもしれない。  天使が少佐の姿に変えて現れた。そういうことなのかも。  ぽつんとつぶやいたルーカスの言葉を聞いて、少佐の表情が少し怒ったものに変わる。 「そんなことを言わないで。どうか私に君を失う苦しみを2度も与えないで欲しい」  驚くほど間近で改めて視線が合い、ルーカスは怯えた。  少佐がそんなことをするはずがないと分かっていても、石を投げられたこと、化け物だと言われたこと、顔を見た者が怯えたように視線を逸らす姿を思い出して辛くなったのだ。 「かわいそうに。随分辛い思いをさせてしまった……」  震えながら怯えるルーカスの体をケヴィンは抱き締めた。安心させるように。    ケヴィンがこれまで行方の分からないルーカスを探したいと思いながらも軍に留まっていたのは今日のこの軍事パレードのためだった。  もしかしたらルーカスが自分の姿を見に来てくれるかもしれないという期待があったから。そしてそれは目論見通りだった。  パレードの最中に騒ぎに気付き、そちらへと視線を向けた時に逃げ出したルーカスの後姿を見つけた。化け物だと罵られて石を投げられている姿。  ルーカスの受けた仕打ちを考えると、ケヴィンの胸に沸々と怒りが湧いてくる。  ルーカスの墓を暴き、そこに何も埋まっていないことを知ると家令を問い詰めた。彼はケヴィンがどこかの令嬢と結婚して伯爵家をさらに繁栄させるべきだと、そのためにルーカスが邪魔だったのだと答えた。だからこそ彼が死んだと嘘と付いた。  それを聞いた時、感情のままに行動してはならない、決して下の者に暴力をふるってはならない―そんな教えは頭から消え去ってケヴィンは怒りの衝動で家令を殴りつけていた。  自身でも驚いていた。こんな風に怒りをコントロールできなかったのは初めてで。  家令の男はもうずっと前から知っていたのかもしれない。  ケヴィンがルーカスに寄せる自身ですら気付かなかった思いを。  だからこそ二人を引き離そうとしていた。  結局その嘘のせいでケヴィンは自身の気持ちを強く自覚してしまったのだから、彼の行動は裏目に出たと言えよう。家令の男は即座に伯爵家から解雇し、今や伯爵家に残るのはルーカスを傷つける恐れのない者だけとなった。  私からルーカスを引き離す者は誰であっても許さない。  ルーカスを化け物と罵った民衆に対して。  二人の仲を裂こうとした家令に。  退役した者のことは放っておけという軍の者に。  ルーカスを守ることのできなかった自分自身に対してさえ怒りは募る。  ぎゅっとさらにルーカスを強く抱き締めた。  「私の命令を破ってしまった君に罰を与えなければならない」  ルーカスがこちらを恐る恐るという感じで見上げてくる。  どんな罰が与えられるのだろうとびくびくしている様子が伝わってくる。  ケヴィンの怒りは、屋敷から出て自分の元から離れて行こうとしたルーカスに対しても向けられていた。だからこそ、思い知らせなければいけない。  戦場に戻って来るなという命令を破って怪我を負ってしまったルーカスに。 「これから先、勝手に私の傍を離れてはならない。死んで骨になってもだ」  ひゅっとルーカスが息を呑む。 「しょ、少佐、それは一体……?」  意味を図りかねているルーカスに対して言葉を続ける。 「ちなみにこれは少佐としてではなく、ケヴィン・スノービル個人としての命令だ。私は先程軍を退役してしまったからね。これから先私と共に生きて欲しいというプロポーズだ」 「少佐、そんな、でも……」 「これは命令だから、残念ながら君に断る権利などないよ」 「少佐。あなたはこの国にとって無くてはならない人。それなのに軍を辞めてしまうなんて」 「これまで国には十分尽くしたさ。これからの人生を好きなことをしてのんびり過ごしたって罰は当たらない」  ケヴィンはもうこれ以上国のために働くつもりはなかった。  国のためにこれまで戦い怪我を負ったルーカスを排除する民衆など、滅んでしまえとまでは思わないけれど、どうでもいいと思っている。  これまで貴族としての務めを果たすため清廉潔白であろうと生きてきた。そのはずだったのに、ルーカスを失ったと思った日からケヴィンの胸には常に消えない怒りの炎が燻り続けている。  仄暗い感情が消えないのだ。  こんな自分ではもう国のために生きることなどできそうにない。 「君の体が元気になったら私と共に孤島へ行こう。そこで2人だけで暮らして…いつか骨になったら一緒に海へ入るんだ。そうして共に眠ろう」 「嬉しいです。僕も、そうしたい……」  2人だけで誰にも邪魔されることなく暮らす。この案はとても悪くないように思えた。  引かれて怯えさせてしまうかと思ったケヴィンの提案を、ルーカスは頬をほんのりと赤く染めて受け入れてくれた。  彼もまたそう望んでくれているのだ。  ルーカスに顔を寄せてすっかり冷えてしまった顔の火傷跡に唇を落とした。今度は怯えられたり震えられたりはしなかった。 「愛しているよ、ルーカス」  そう告げると残った綺麗な左目が驚いたように何度かパチパチと瞬きを繰り返し、頬がさらに赤みを増していった。 「わ……。少佐はとても情熱的な人だったんですね。ちっとも知らなかった……」 「ふふ、私も今まで知らなかった。自分でも驚いている」  ルーカスと顔を見合わせて笑い合う。  2人を引き裂いた嘘は到底許せないけれども、これほどまでに誰かを愛することができたのも、幸せに気付くことができたのも、全てはあの家令の男のお陰だと思えば少しぐらいは感謝してもいいかもしれない。 「僕も、あなたのことを愛しています。ずっと、ずっと前から」  いっぱいいっぱいになりながら、一生懸命紡いでくれた言葉。  ずっと前からケヴィンのことを愛してるとルーカスは言った。  貴族として女性と結婚し子を残していくという義務がケヴィンの頭にこびりついていたからかもしれない。男であるルーカスは初めから恋愛対象外だったのだ。だから本当の自分の気持ちもルーカスの気持ちからも無意識に目を背けていた。  本当は気付いていたのに、かつては受け取ることができなかったルーカスの愛。でも今は違う。  「愛している」というその言葉はケヴィンの心を温かくして、泣き出してしまいそうなほど震わせる。 「ありがとう。これまでもらった中で1番の聖夜の贈り物だ。ああ……でももう1つだけもらってもいいかな?」  何を、とは問われなかった。  ルーカスがそっと残った左目を閉じたので、冷たくて柔らかい唇に己のものを重ねた。  ルーカスと交わす初めての口付けだった。  1857年に大陸を2つに分けた戦争を終結に導いたと言われているケヴィン・スノービル少佐の活躍について書かれた新聞記事は多い。しかしながら戦後の彼の行方に関する記事は皆無と言っていいほどだ。  何故なら彼は後に行われた軍事パレードの日を境に表舞台から煙のように忽然と姿を消してしまったからだ。  当時は様々な憶測が飛び交った。  パレードの日に暗殺されたとか、戦後患った病が元で亡くなったなど様々なことが噂されている。中でも有力なものは仮面をつけた人物に国外へと拉致されたというものだ。  私は真偽を確かめるため噂の出所を追った。  ある港町にてスノービル少佐らしき姿を見かけたという者達の話を聞いた。証言によると仮面を被った不気味な人物が少佐の傍に寄り添うように佇んでいたという。フードを目深に被っているため性別も国籍も不明。少佐ほどの人物が黙ってついていくとは思えないから銃の類で脅されていたのかもしれない。  何故それほどまでに怪しい仮面の人物を見逃してしまったのかという私の問いに彼らはこう答えた。  「2人があまりにも幸せそうで声を掛けられなかった」と。                 ―――ある新聞記者の手記より――― END
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!