第一章「リスタート」

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 キッチンカウンター越しに見える憧れの人は、居心地が悪そうに小さくなっていた。ソファに浅く腰かけ、テレビを眺めている。時折こちらをチラチラ気にしているのが面白い。  明日も試合なので、あまりのんびりはしていられない。身体を休めるのも、プロ選手の立派な仕事だ。  ご飯はタイマーで既に炊き上がっていて、あとは食材を刻んでいくだけ。刻んだオクラに一口大にカットしたアボカド、納豆にとろろ。それらをどんぶりによそったご飯にのせていく。同時進行で作った豆腐とワカメの味噌汁も、いいタイミングで完成した。 「先輩、お待たせしました」 「ありがと。おお、すげー」 「刻んでのせただけなので。簡単ですよ」 「でもごめんな、わざわざ」 「今日は元々ネバネバ丼にする予定だったので。一人分も二人分も変わらないです。さ、食べましょうか」  最近、暑さがより厳しくなってきたから、今日は元々食べやすさ重視のメニューにする予定だった。  美澄が手を合わせると、要もそれに続く。いただきます、と二つの声が重なった。  要は納豆ととろろの境い目をスプーンで慎重にすくって大きな口で頬張ると、ふにゃりと相好を崩した。美味しいですか? と聞くと、何度も首肯する。口に合ったようで何よりだ。 「うめぇ」 「それはよかったです。ちなみにキムチも刻んだので、味変の時はご自由にどうぞ」 「俺、辛いの苦手……」 「あー、甘党でしたっけ」 「そ。辛いのもだけど苦いのも無理」 「このあと、コーヒーいれようと思ってたんですけどお茶にしますね」 「牛乳入ってれば大丈夫」 「何対何です?」 「九対一」 「牛乳が九?」 「うん。あと甘くしてほしい」 「お茶いれるの、全然手間じゃないですよ?」 「コーヒー牛乳は好きなんだよ、俺」  それはもはやコーヒー牛乳ではなく牛乳コーヒーでは、と思ったが、口には出さなかった。「好き」を語る要は、いい顔をしている。 「もしかして、今もスタベの新作飲みに行ってるんですか?」 「いや、身体の為にもあまり行ってない。甘いもの食べていい日は決めてて、三ヶ月に一回くらいにしてる」 「俺、要先輩が寮の食堂ではちみつ飲んだの、いまだに覚えてますよ」 「あの時の美澄のドン引き顔、俺も覚えてるわ……」  要が極度の甘いもの好きだと知ったのは、美澄が高校に入学し、バッテリーを組んで間もない頃だった。スタベの新作フラッペが発売されるたび付き合わされるのだと、当時の最上級生が教えてくれたのだ。  何だか不思議な気分だ。嫌われてしまって、もう二度と会えないと思っていた要が、美澄の家で、美澄の作った料理を食べながら、想い出話に花を咲かせている。  夢かもしれない。逃げた野球に再び目を向けて、センチメンタルになった心が見せた幸せな夢。でも、それでもいいや。
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