第一章「リスタート」

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 要との約束を守る為、休日の夕食時にテレビのチャンネルを野球中継に合わせた。  懐かしいダイヤモンドに、テレビ越しでも圧倒的されそうな大歓声。いつもこの中でプレーしているのかと感心すると同時に、心臓が拒否反応を示して早鐘を打つ。この胸の痛みは病的なものではなく、精神的なものだと分かっている。過去から目を背けるのが上手くなっただけで、ちっとも乗り越えられてなんかいない。  スタメン発表のアナウンスと同時に、打順が画面に映し出される。五番・キャッチャー、間宮。本当にプロ野球選手なんだなぁ、と今になって実感する。  今日の先発投手である若槻真尋(わかつき まひろ)という選手は、若干二十歳にして球団のエースピッチャーらしい。美澄より三つも年下だ。  すごいなぁ、と一人呟きながら、近所のスーパーで安かった鯛の切り身で作ったアクアパッツァを頬張った。  彼女いない歴イコール年齢。一緒に出かけるような友人もいない美澄にとって、料理は数少ない趣味だ。  ホームゲームの為、スワンズは後攻。これから始まるのは一回の表なので、要たちはそれぞれの守備位置についている。試合開始を前にリズム良くボール回しをする選手一人一人がアップになって、簡単な紹介が読み上げられていく。  スタメンマスクはもちろんこの男。常勝スワンズの扇の要を任される若き天才、間宮要――実況アナウンサーの軽快な声に合わせて画面いっぱいに映し出された甘いかんばせ。  甲子園出場よりもずっと狭き門であるプロの世界で、「天才」と評されるほど凄い選手だったのか。たしかに学生時代、プロのスカウトが何人も練習や試合を視察しにくるような人ではあったけれども。  体つきはプロらしくなったけれど、マウンドに立つ投手へ声をかける時の表情は少しも変わらない。ピンチでも決して動じない、自信たっぷりでいたずらっ子のような笑顔。基本お調子者な人なので、よくこちらをからかってくる時は正直ムカつくけれど、野球をしている間は不思議なくらい安心するのだ。  マウンドに立った先発投手の若槻真尋は、エースらしい、気の強そうな目をしていた。  主審によってプレイボールが告げられ、試合が始まる。ゆっくりと上げた左足を大きく前へ踏み出し、投じた第一球。スピンの効いた白球は糸を引くように要の構えたミットに吸い込まれ、パァンと画面越しでもよく分かる乾いた音を立てた。  ボールを投げ返す何気ない仕草に、ノスタルジーを感じずにはいられなかった。今でも鮮明に思い出せる青春の日々と、手が届かないくらい遠くへ行ってしまった現実。対極にある二つの感情が、美澄の心を締め付ける。
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