第一章 王子様のプロポーズ

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 二十三階のフロアには誰もいなかった。もしも誰かがいたら、使う言い訳は考えてある。 『ちょっと忘れ物しちゃって。ああ、そうだ、佐伯さんに提出するメールを送り忘れていました! これだけ送ってもいいですか?』  たいてい、佐伯さんの名前を出すとみんな同情して許してくれる。佐伯さんの営業事務は一番きついと言われているけれど、こういう時ありがたい。  もしも残っていたのが佐伯さんならこの言い訳は通用しないし、諦めて帰らないといけないけれど、佐伯さんは遅くまで残業するタイプではないので、これまで鉢合わせたことはない。  誰もいなくなったオフィス内でパソコンを起動させる。電気をつけると警備員さんにいることが気付かれて面倒くさいので、あえていつも薄暗いまま仕事をしている。  視力が下がりそうだけど、そんなことも言っていられない。とにかくやり残した分を片付けなければ。  個人情報に厳しいので、会社のパソコンを外に持ち出すことはできない。営業は認められているけれど、事務職は禁止されている。  薄暗く静かなオフィス内の中で、存在を消すようになるべく音を出さずにタイピングを打つ。  誰にも邪魔されることなく適度な緊張感を持って仕事できるので、日中の勤務時間以上に集中して量をこなすことができた。  ふと、顔を見上げ時計を見ると、時刻は二十三時五十分。ああ、もう日付が変わってしまう。  その時だった。
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