序章 そうだ、離婚しよう

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序章 そうだ、離婚しよう

「ねぇ、そろそろ離婚しない?」 ふと、思い出したように顔を上げて、『そうだ、買い物にでも一緒に行かない?』的な軽いノリで離婚を口にした。  いきなりの重いワードを投げかけられた我が夫は、飲んでいたコーヒーを拭き出しそうになっていた。  最上階のペントハウスは見晴らしが良く、爽やかな朝日がリビングに差し込んでいる。  我が身に突然舞い降りてきた幸運で極上な暮らしに、不満などない。  漆黒の大理石が重厚感を醸し出しているシステムキッチンで、食洗器にお皿を入れながら離婚を口にしたけれど、夫が手伝わずに新聞を読みながら優雅にコーヒーを飲んでいた姿に苛ついたわけではない。  小さい時から家事をやるのは私の仕事だった。継母や継娘がネイルをしながら談笑している側で、私はあかぎれの指に血を滲ませながら、冷たい水でお皿を洗っていた。  料理を作ることだって苦ではないのに、夫は料理も作ってくれることがあるし、食器も片付けてくれる。気遣いをしてもらったことが初めてだったので驚き過ぎて恐縮したくらいだ。  週末の掃除はハウスキーピングのプロの方がやってくれるから、家はいつでも綺麗だし、私がこの家で課せられた任務は「妻」であることだけ。  妻の仕事は求められておらず、肩書のみを必要とされている。 「いつ離婚するの?」  朝から何を言っているんだこの女は、みたいな目で睨みつけてくる夫。私はその目を一心に見つめて、真面目に聞いているのと目で語る。  すると夫は、気まずそうに目を逸らして、 「また今度な」  と言ってコーヒーを啜った。 また今度ってなんだろう。今度話し合いしようという意味なのか、今度暇ができたら離婚しようという意味なのか。  私が抗議の声を上げようにも、夫は私から目を逸らして新聞を読むことに逃げている。  この話題についてもう話すことはないらしい。 この人は本当に私と離婚する気があるのだろうか。 大丈夫だろうか、私はちゃんと離婚できるのだろうか。 離婚前提の結婚だったはずなのに、離婚する気配がないってどういうことだ。 何を考えているのかわからない美しく整った夫の顔を見ながら、我が人生の先行きを案じてため息が漏れた。  そんな私の姿を横目で見て、夫が傷付いていることなんて知る由もないまま。  
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