第4話 錯綜にざわめく葉擦れの音(4)

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第4話 錯綜にざわめく葉擦れの音(4)

 時は、少し遡る――。  まだ陽射しが本領を発揮する前の、爽やかな朝の時刻。今日ばかりはと早起きをしたルイフォンは、ミンウェイに案内され、ヘイシャオの研究室に向かっていた。  ふたりの乗る車を運転しているのは――エルファン。  勿論、ルイフォンは一度、断った。何も、次期総帥自らが調査に出向かなくてもよいだろう、と。  しかしエルファンは、まだ傷の癒えていないルイフォンが途中で倒れたら、彼を担ぐための男手が必要であること。そもそも見知らぬ場所に赴くにあたり、充分な戦力を有した者を伴わないのは不用心であることを挙げてきた。  その説明の中に、同行者が次期総帥である必要性はまったく入っていない。けれど、ルイフォンは「助かる」と言って、素直に頭を下げた。  エルファンは、ヘイシャオの住んでいた場所を見たいのだろう。  双子のように育った従弟であり、親友でもあるヘイシャオが、一族を抜けたあと、どのように暮らしていたのか。  そして、叶うことなら知りたいのだろう。  ヘイシャオは何故、妻の死後、十数年も経ってから、今更のように『死』を求めてエルファンの前に現れたのか……。 「ここです」  緊張を帯びたミンウェイの声で、車は止まった。  周りに他の建物のない、郊外の一軒家だった。錆びついた鉄格子の門を押し開けると、ぎぎいと大きな音が鳴る。  アプローチの先には、古びた家。  邸宅と呼んでも支障なさそうな立派な家構えであるが、壁という壁を蔦が這い、見るからに廃屋だった。しかし、大掛かりな研究装置を収める建物だけに、頑丈な造りであるのだろう。十数年も手入れをしていないにも関わらず、崩れ落ちるような気配はない。  ミンウェイは、音もなくアプローチに踏み出した。  すらりと背筋を伸ばした足運びには一片の迷いもなく、颯爽と滑るように進んでいく。やがて、玄関扉にたどり着くと、彼女は凪いだ瞳で家全体を見渡した。  ――しばらく、ミンウェイをひとりにしておくべきなのだろうか?  ルイフォンは戸惑う。  ここは、彼女の過去が詰まった場所だ。彼女の古い思い出も、これから(あば)こうとしている、彼女の生まれる前の真実も……。  ちらりと、隣を見やれば、エルファンが無表情にミンウェイの背中を見つめていた。彼の顔から感情を読み解くのは難しいが、おそらく彼も、思い惑っているのだろう。  そのとき。 「早く、行きましょう?」  波打つ黒髪を豪奢になびかせ、ミンウェイが振り返った。光沢のある緋色の衣服が朝日を跳ね返し、きらりと輝く。  彼女は、足を止めたままのルイフォンたちのもとへ、軽やかに戻ってきた。その歩みと共に、ふわりとした優しい草の香りが漂う。 「私なら、心配要らないわよ?」  ルイフォンはきっと、呆けた顔をしていたのだろう。くすくすとした笑いながら、ミンウェイの拳が彼の額を小突いた。 「(いて)っ!」  見た目よりもずっと骨に響いた一撃に、ルイフォンは思わず声を上げる。 「……本当はね、ここに来るまでは不安だったわ」  恨みがましい目で額を押さえるルイフォンを横目に、ミンウェイは綺麗に紅の引かれた唇をすっと上げる。 「でも、実際に来てみると、ああ、もう、こんなに何もかもが古ぼけちゃうくらい、昔のことだったんだなぁって……思った」  絶世の美貌が、緩やかに大輪の華を咲かせた。  その身にすべてを受け止め、あらゆるものを吸い込んで養分としたかのように、彼女は深みのある色彩で笑う。 「勿論、忘れたわけじゃないわ。いろんなことを、ちゃんと覚えている。私の中には相変わらず、卑屈でいじけた女の子がいるのも分かっている」 「……」 「でも、そんな意気地なしには、リュイセンを救えないでしょ? だったら私は、全部、抱えたままで前に進むわ。――別に気にすることも、今更、傷つく必要もないでしょ? だって、この家にあるのは、とっくの昔の過去だもの」  蔦に覆われた、かつての我が家を再び振り返り、彼女は小さく微笑む。 「――そう……思えてきたわ……」 「ミンウェイ……」  ルイフォンは、なんと言ったらよいか分からず、ただ彼女の名を呼んだ。 「……少し前にね、リュイセンが、お父様とお母様のお墓参りに連れて行ってくれたの。――あのときは、まだ気持ちがぐちゃぐちゃで、リュイセンに悪いことしちゃった。彼は、お父様を過去のものにしようとしてくれていたのにね。今、やっと分かったわ……」  そしてミンウェイは、ルイフォンに一歩、近づく。 「ルイフォン、私はリュイセンに会いたい。――だから、お願い。リュイセンを助けて」  切れ長の瞳がルイフォンを捕らえる。  ルイフォンは猫の目をにやりと歪め、好戦的に口角を上げた。 「当たり前だろ。俺だって、あいつに会いたい。あいつに会って、メイシアをさらった落とし前として、きっちり殴り倒してやる」  彼の返答に、ミンウェイもまた口元をほころばせた。
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