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第4話 錯綜にざわめく葉擦れの音(8)
「――――――!」
刹那。
ルイフォンの全身の血の気が引いた。
「消せ! 今すぐ消去しろ!」
鋭いテノールが発せられる。
だが、そこには迫力の欠片もなく、代わりに、彼がとうの昔に無くしたはずの羞恥心らしきものが、ちょこんと可愛らしく載っていた。
「……ったく、スーリンの奴!」
くしゃくしゃと前髪を掻き上げると、頭の中に昨日の悪夢が蘇る。
『ルイリン』とは、ルイフォンの女装姿につけられた名前である。
携帯端末を受け取りに来たタオロンが『馴染みの女』に逢いにきたという設定だったので、調子に乗ったシャオリエとスーリンが、ルイフォンを『ルイリン』にしたのだ。
そしてそのとき、ルイフォンは不覚にもスーリンに写真を撮られてしまったのである。
――『あれ』をメイシアに見られた……。
先ほど引いた血の気が、にわかに戻ってきて、今度は彼の顔を真っ赤に染める。
もしも、今の通話が画像付きのものであったら、メイシアは『ルイリン』以上に貴重なものを見ることができたのかもしれない。しかし、画像は通信負荷を増やし、音質を著しく落としてしまうため、残念ながら音声のみの通話であった。
『……やっぱり……、消さなきゃ駄目、よね……?』
今まで弾んでいたメイシアの声が、急にしぼんだ。
『……ごめんなさい。ルイフォンは嫌だったのよね。私の作戦のせいで無理矢理に、だもの……。ごめんなさい。……写真に浮かれていて……ごめんなさい』
「え……?」
スーリンからとんでもないものが送られてきて、メイシアは困惑しているのだとルイフォンは考えていた。彼女は、彼に隠しごとをするのはいけないことだと思っている。だから、きちんと報告をしているだけだと――。
「メイシア……、お前……。……もしかして、その写真――」
考えたくない。実に、考えたくない。
だが、しかし――。
彼女が申し訳なさそうに我儘を言うときの、少し恥ずかしそうな上目遣いの顔が脳裏に浮かぶ。それは、つまり、彼女はその写真を……。
「――ひょっとして、気に入っている……?」
『うん! 凄く、素敵』
しおれていた花が生気を取り戻し、柔らかにほころんでいくかのように、彼女の声が華やいだ。
思わず聞き惚れてしまいそうな心地の良い声。しかし、ルイフォンは反論せずにはいられない。
「どこがだよ!?」
『ルイフォンは格好いいだけじゃなくて、綺麗でもあったんだなぁ、って』
「はぁ?」
不気味なだけだろ! と、続けて叫ぼうとした彼を遮り、彼女はうっとりと呟く。
『そんな人が私のそばにいてくれるなんて、嬉しいというか、誇らしいというか……、凄く幸せだと思ったの。――あ、あのっ、ごめんなさい。勿論、外見だけじゃなくて、中身が好きだからこそで……』
メイシアは慌てふためくが、どこか的外れだった。
しかも、いつもなら絶対に口にしないような言葉をぽろぽろと漏らしている。電話だけのやり取りになってから、彼女は少し大胆だ。
ルイフォンの心がじわりと温かくなり、先ほどとは別の、薄く淡い色合いで頬が染まった。
「……っ」
自分が照れているのだと気づき、彼は驚く。
自信過剰な彼は、得意げに胸を張ることはあっても、胸を高鳴らせながら赤面するなどという経験は今までなかった。
信じられないが、新鮮で……悪い気分ではない。
メイシアが上機嫌なのは『ルイリン』――ルイフォンが原因。
それはどう考えても、彼女が彼にべた惚れであるが故の、恋は盲目というやつだ。
――嬉しいじゃねぇか。
自分でも単純な気がするが、喜びに打ち震える。――心の片隅にだけは、どこか釈然としない思いを残しながらも……。
「……消さなくていい」
『ええっ!?』
「お前が、俺の写真を気に入ったというのなら、それは持っていていい」
メイシアが喜んでいるのなら、それはよいことなのだ。
「――けど! 他の奴には、絶対に見せるなよ!」
『いいの!? 嬉しい! ありがとう!』
鈴を振るような声が高らかに響き渡ると、ルイフォンの耳が幸せに包まれた。
何か間違っているような気がしないでもないが、侵入がうまくいかずに苛立っていたルイフォンは、満たされた気持ちになって通話を終えたのだった。
無情なる時は、瞬く間に流れていき、やがて夜が訪れる。
鷹刀一族がルイフォンに言い渡した時間は、三日間。
三日のうちに、リュイセンを解放するための、確たる証拠を手に入れなければならない。
そのうちの一日が、終わろうとしていた。
ルイフォンは、〈七つの大罪〉のデータベースへの侵入に効果的な方策を見いだせないまま、仕事部屋で崩れ落ちるように眠りに落ちた。
メイシアは、ルイフォンの作業の邪魔にならないよう、彼への直接の連絡を避け、ミンウェイに電話で夜食と毛布を頼んだ。
そして、リュイセンは……。
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