第5話 幽明の狭間に落つる慟哭(5)

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第5話 幽明の狭間に落つる慟哭(5)

(ムスカ)〉は満足げに口の端を上げ、喉の奥で冷たく嗤った。 「お忘れですか? そもそも私は、自分の身の安全を確保するために、鷹刀セレイエを探しているのです。もしもミンウェイが生き返るのだとしても、私の命が狙われているような状況では、傍にいる彼女も危険に晒されます。それは望ましくありません」  彼は、できの悪い弟子を諭すかのように雄弁に語る。 「まずは鷹刀セレイエを見つけ出し、私の安全を保証させる。それから、ミンウェイを蘇らせる。この順番を間違えてはいけませんよ」 「……!」 〈(ムスカ)〉の言う通りだった。 〈悪魔〉としての知識のある彼は、〈冥王(プルート)〉に記憶が残されているというメイシアの弁を真っ向から否定しているわけではない。  むしろ、信じている。  その証拠に、幽鬼のようだった頬には赤みが差し、冷酷な瞳の奥は、ぎらつく生気で満たされている。  だが、話は信じても、話に乗ってこなかった……。  メイシアの背中を冷たい汗が滑り落ちる。 「勿論、あなたにも役に立ってもらいますよ。あなたは鷹刀セレイエに対する大事な切り札なのですから」  ねとつくような目線で、〈(ムスカ)〉はメイシアを舐める。 「それよりも素朴な疑問なのですが、あなたは本当に〈天使〉になる覚悟ができていたのですか?」 「……え?」 「どうせ口先だけなのでしょう?」  見透かされていた。  メイシアは無意識に自分の体を掻き(いだ)く。 「別に答えなくて構いませんよ。口でなら、どうとでも言えますからね。――それに、前にも言ったと思いますが、私はあなたを〈天使〉にする気はありません。そんな危険なこと、できるわけがないでしょう?」 「危険……?」  メイシアが目を瞬かせると、〈(ムスカ)〉はやれやれとばかりに、わざとらしい溜め息をつく。 「〈天使〉とは、人を操る化け物です。しかも、濃い王族(フェイラ)の血と、鷹刀セレイエの知識を持つあなたなら、およそ熱暴走とは無縁の『最強の〈天使〉』になるのでしょう? 〈天使〉となったあなたの前には、私などひとたまりもありません」  そこで〈(ムスカ)〉は何を思ったのか、ふっと遠い目をした。 「現に、私の同僚だった〈(スコリピウス)〉という〈悪魔〉は、研究対象だった実験体の〈天使〉に反抗され、殺されています。――そう、鷹刀セレイエとあの子猫の母親ですよ。その後、エルファンが彼女を鷹刀に連れて行き……、巡り巡って、今があるというわけです」  言葉の途中で、〈(ムスカ)〉の顔が寂寥を帯びた。言い終えてから、彼は余計なことを言ったと首を振り、「話を戻しましょう」と告げる。 「あなたの要求は、あの子猫のもとに帰りたい――ですね?」  メイシアは呆然としながらも、こくりと頷く。駆け引きなどとは関係なく、それは間違いなく真実だった。 「ならば、私に協力してください」 「……協力?」 「ええ。私の要求は、初めからずっと同じです。――私を鷹刀セレイエに会わせてください」 「……」 「鷹刀セレイエとの交渉の中で、私は勿論、あなたを切り札として使います。けれど心配しなくとも、最終的には、あなたの身柄は子猫のもとに引き渡されることになるはずですよ」 「……どうして、そう言い切れるのですか?」  か細い声で尋ねるメイシアを〈(ムスカ)〉は鼻で笑う。 「私は鷹刀セレイエ本人には会ったことはありませんが、〈影〉であったホンシュアのことならば知っています」  彼は、ほんの少し前に詰め寄り、言い含めるようにメイシアの顔を見やる。 「いろいろと謀略を巡らせながらも、結局のところ、ホンシュアは甘さが抜けきりませんでした。ならば、『同一人物』である鷹刀セレイエも、同じく甘い性格であるはず。異父弟と恋仲になったあなたを見捨てるわけがありません」  確かに、メイシアの中の『セレイエ』も、情の深い人間だ。  濃い王族(フェイラ)の血を引く者たちの中から、異父弟ルイフォンと共に『ライシェン』を守ってくれそうな娘として選んだメイシアを、大切に思ってくれているのを感じる。  けれど……。 「……セレイエさんは……既に、亡くなっています……」  ぽつりと、メイシアは漏らした。  この情報を明かすのは、吉か、凶か――。  賭けになるが、〈(ムスカ)〉が、交渉の相手はあくまでもセレイエだと言い張り、メイシアに取り合ってくれないのなら、セレイエへの道を閉ざすしかない。 「な……!」 〈(ムスカ)〉は目を見開いた。
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