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第1話 咲き誇りし華の根源(2)
湧き上がる高揚に、知れず全身が上気する。
リュイセンの追放処分を承知していて、あえて『鷹刀の後継者』と口にした。それに対し、イーレオがどんな反応を示すか――。
「〈猫〉」
感情という揺らぎを消し去った、凪いだ海のような声が響いた。ルイフォンの思惑を探るべく、無風を保つ――イーレオの低音は、そんな色合いをしていた。
「リュイセンは、一族から除籍されている。故に、鷹刀とは無関係だ」
「分かっている。だから、リュイセンがことを為したあとで構わない、遡って、追放を取り消せばいい」
当然、来るであろうと思っていた言葉を、用意しておいた台詞で返す。
間髪を容れずのルイフォンに、イーレオは「ふむ……」と呟いた。神妙な顔をしつつも、片頬杖で潰されていないほうの頬が、ぴくりと動く。いい手応えだと、ルイフォンは内心でほくそ笑んだ。
崩した姿勢のままのイーレオは、視線を上げることでルイフォンの顔をじっと見つめ、そして問う。
「つまりお前は、リュイセンが〈蝿〉を討つことを条件に、リュイセンの追放を解いてほしい、と言っているわけか」
「そういうことだ」
「ほう? リュイセンは、お前のメイシアをさらった張本人だぞ。どうして、肩入れをする?」
ルイフォンの思惑を知ったからだろう。イーレオは態度を一変させ、興味津々といった表情を隠しもせずに揶揄混じりの口角を上げた。
「俺だって、初めはリュイセンを絶対に許せねぇと思ったさ。……でも、違うだろ? あいつが好きで俺を裏切るわけがない。そんなことは分かりきっている。何か事情があるんだ。――だったら、俺のほうから手を差し伸べてやるべきだろ?」
猫の目を光らせ、きっぱりと言い切る。そう思えるようになるまでには、それなりの葛藤があったが、もう過去の話だ。
さも当然、といった体のルイフォンに、イーレオが低く嗤う。
「だが、今のリュイセンは『敵』だ。〈蝿〉の部下になっている。そのリュイセンに、どうやって〈蝿〉を討たせるつもりだ?」
「リュイセンは〈蝿〉に脅されて従っているだけだ。だから俺が――〈猫〉が、その原因を取り除いて、あいつを〈蝿〉の束縛から解放すればいい」
鋭く斬り込むような返答。そして、それを皆のざわめきが包み込む。
イーレオにとっても、予想外の宣言だったらしい。総帥たる彼が、驚きに声を揺らす。
「お前は、リュイセンが〈蝿〉に従っている理由を解き明かした――ということか?」
「理由を読み解いた――だ。だから、まだ憶測に過ぎないけどな……」
ルイフォンの口の中に、苦いものが混じる。それまで威勢のよかった口調が急速に力を失い、ぽつりとした呟きに変わる。
「……でも、あいつが俺にすら隠して、すべてを裏切るしかなかった理由なんて、他にあり得ない……」
「ルイフォン! それは、いったい何!?」
弱々しく消えていくテノールの語尾と、弾かれたような草の香りが空中でぶつかり合った。
見れば、ミンウェイがソファーから立ち上がり、波打つ髪をなびかせている。
「ミンウェイ……」
「教えて! リュイセンは、私のために裏切ったんでしょう?」
「あ、ああ……」
ルイフォンは迫力に圧されて思わず頷き、慌てて「でも、お前が悪いわけじゃない!」と、付け加えた。
「俺は――〈猫〉は、リュイセンが〈蝿〉に従った理由をこう考えている。根拠は、メイシアからの情報だ」
聡明なメイシアは、〈蝿〉から重要な情報を聞き出してくれていた。
彼女は、〈蝿〉にこう言われたという。
『リュイセンと私は、〈ベラドンナ〉の『秘密』を共有する同志となったのですよ』
その『秘密』とは、ミンウェイ本人が知らない――ミンウェイが『知りたくもない』ようなものらしい。
つまり、ミンウェイが知れば深く傷つくであろう、重大で、そして非道な『秘密』ということだ。
「リュイセンは、ミンウェイの『秘密』を無理やり聞かされたんだ。そして、『秘密』を知ったことで、あいつは〈蝿〉に従うようになった。――ならば、〈蝿〉が使った脅し文句は、これしかない」
ルイフォンは言葉を切り、〈蝿〉の声色を真似るかのように、一段、低い声を作る。
「『この『秘密』を『ミンウェイ本人』にバラされたくなければ、私に従え』」
――一瞬の沈黙。
それから、誰からともなく、ざわめきの吐息が漏れた。
「なるほど」
皆を代表するかのように、イーレオが相槌を打つ。
「ミンウェイを傷つけるような『秘密』から彼女を守るために、リュイセンは裏切った――ということか。あり得る……いや、それが真実なのだろう。ルイフォンの――〈猫〉の言う通りに」
「――じゃ、じゃあ、リュイセンが〈蝿〉の言いなりになってまで、私から隠したいほどの重大な『秘密』って、なんなの……?」
紅の取れかけた唇を震わせ、ミンウェイが割り込むようにして尋ねた。勢いに反して、その声はか細くかすれており、漠然とした不安に駆られたのか、彼女の顔はみるみるうちに蒼白になる。
それは、当然の質問――予期していた質問だった。
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