6人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ
第1話 咲き誇りし華の根源(3)
ルイフォンは唇を噛み、しかし「すまん」と、はっきりと告げた。
「その答えは少し待ってほしい。勿論、『秘密』に心当たりはある。けど、そこがさっき『憶測に過ぎない』と言っていた部分で、俺の頭の中では理屈は成立しているけど、証拠がない。まだ空論でしかないんだ。だから、証拠を掴むまで――」
「小難しいことを言ってないで、心当たりがあるなら、さっさと教えなさいよ!」
絹を裂くような声が、ルイフォンを遮った。青白い顔で精いっぱいの虚勢を張りながら、ミンウェイは唇を尖らせる。
けれど、ルイフォンも引くわけにはいかなかった。
これは、リュイセンがすべてと引き換えにしてでも、ミンウェイから隠そうとした『秘密』なのだ。憶測の段階で、おいそれと口にしてよいものではないはずだ。
「ミンウェイ、本当にすまない。でも、俺の憶測は、お前を傷つけるものなんだ。俺は自分の考えが正しいと思っているけど、万が一、見当違いだったら申し訳が立たない。――だから、まずは調べたい。そして、証拠を手に入れてから、きちんと説明したい」
「そこまで言っておいて、重要なところで黙るなんて、おかしいわ!」
ミンウェイはルイフォンを睨みつけるように柳眉を逆立て、更に言葉を重ねる。
「だって、ルイフォンは自分の理屈に自信があるんでしょ!? ならば言うべきだわ! 私も、あなたの頭の良さは認めているし、憶測が外れている可能性があることも承知したわ!」
「……っ」
言葉を詰まらせたルイフォンに、「〈猫〉」と低い声が掛かった。
「お前はさっき、『リュイセンが〈蝿〉に脅されている原因を取り除いて、あいつを〈蝿〉の束縛から解放する』と言ったな」
「あ、ああ」
「それはつまり、ミンウェイが『秘密』を知ることで、『秘密』を『秘密』でなくする。そして、リュイセンが〈蝿〉に従う理由を失わせる。――ということだな?」
「……そうだ」
「だったら、ミンウェイに教えなければ意味がないだろう?」
押さえつけるようなイーレオの物言いに、ルイフォンは猫の目を尖らせる。
「だから! きちんと証拠を手に入れてから、だ! 〈猫〉は、いい加減な情報でミンウェイを翻弄させるような真似はしたくない」
ルイフォンが正面から対峙すると、イーレオは表情の読めない美貌で畳み掛けた。
「では、その証拠はどこにあると踏んでいる?」
「生前のヘイシャオが〈七つの大罪〉に提出した研究報告書に載っていると思う。ヘイシャオの研究室を家探しするか、〈七つの大罪〉に侵入をかけるかで手に入れる」
答えながら、説得力に欠けるな、とルイフォンは奥歯を噛んだ。案の定、イーレオが鼻で笑った。
「だったら、なおのこと、ミンウェイに憶測とやらを話して協力を願うべきだろう。ヘイシャオの研究室は、ミンウェイが昔、住んでいた家にあるんだからな」
「…………」
ルイフォンの溜め息が、虚空に溶けた。
ミンウェイに『秘密』を隠したまま、この作戦を認めてもらうのは無理だろうと、初めから分かっていた。だが、言いたくなかったのだ。……せめて、証拠を掴むまでは。
それは、ケジメのようなもので、リュイセンへの義理立てのような感情だ。
何故なら、ミンウェイに『秘密』を教えることは、リュイセンがすべてを裏切り、失うことを対価に守ろうとした、ミンウェイの心の安寧を奪い去ることになるからだ。すなわち、リュイセンの愛を踏みにじる行為なのだから……。
うなだれたルイフォンに、イーレオの低音が落とされる。
「鷹刀の総帥として、『対等な協力者』である〈猫〉に要請する。お前の憶測を詳しく話せ」
「……『要請』じゃなくて『命令』――だろ」
王者の傲然たる美貌を見上げ、ルイフォンは、うそぶく。だが彼自身、自分のほうが道理が通っていないのは分かりきっていた。
彼は観念したように力なく姿勢を正し、ゆっくりと口を開く。
「ミンウェイの『秘密』――それは、ミンウェイが『健康であること』だ」
「……なっ!? 私の健康が、どうして『秘密』なのよ!?」
詰め寄るミンウェイに、しかしルイフォンは、彼女から逃げるように顔をそむけた。そして、『彼女以外の三人』に向かって問いかける。
「親父、エルファン、チャオラウ……。古い時代の鷹刀を知っている者なら、不思議に思っていたんじゃないのか……? 病弱な母親から生まれたミンウェイが、何故、健康なのだろう――って」
彼らは皆、一様にびくりと体を震わせた。
予想通りの反応など、まるで嬉しくなかった。ルイフォンは小さく息を吐き、無表情の〈猫〉の顔となって、イーレオを捕らえる。
「親父……、生前のヘイシャオとの最後の電話――あれは、ミンウェイが生まれるよりも前だよな? 内容……ちゃんと覚えているか?」
刹那――。
イーレオは頬杖の手から顔を浮かせ、凶賊の総帥らしからぬ動揺をあらわにした。
「そういう……ことか…………!」
「……ああ。ずっと言っている通り、憶測に過ぎないけどな。……でも、それしか考えられないだろ?」
ミンウェイが『健康であること』に秘密があるのではないかと疑ったのは、ルイフォンがシュアンと話したときのことだった。
シュアンは、〈蝿〉は『ミンウェイの命』を盾にリュイセンを脅したに違いない、と主張していた。『〈蝿〉の持っている薬を投与しなければ、ミンウェイが死ぬ』といった類の嘘に乗せられ、リュイセンはありもしない薬を得るために裏切ったのだと。
だが、リュイセンに嘘は通用しないのだ。
大局的に本質を見抜く、天性の勘を持った兄貴分は、それが嘘なら絶対に騙されない。彼が信じたのなら、それは真実なのだ。『抗いようもない事実』を提示され、リュイセンは身動きを取れなくなったのだ。
では、『抗いようもない事実』とは何か――?
そう考えたとき、リュイセンの兄、レイウェンの憂い顔が蘇った。古い時代の鷹刀を知る、最後の直系である彼は、育たなかった兄弟たちのことを今でも悼み続けていた。
鷹刀一族にとって『健康であること』は尊く、そして『稀有』。
「この『秘密』は、ミンウェイ本人は知らないだろう。そして、ヘイシャオの記憶を持つ〈蝿〉なら知っている。――メイシアが聞き出した〈蝿〉の言葉とも、辻褄が合う」
「……なるほどな」
深い溜め息と共に、イーレオがソファーに身を投げ出した。頭を抱えるように髪を掻き上げると、はらはらと落ちる黒髪が美貌に影を落とす。
「ルイフォン? ど……、どういうことよ!? ――お祖父様……! どういう意味でしょうか!」
ミンウェイが声を張り上げた。
だが、打ちひしがれたようなイーレオの姿は変わらず、ならばと、彼女はエルファンとチャオラウに救いを求めて視線を送るが、彼らもイーレオと同様の顔で押し黙ったままだった。
「ちょっ、ちょっと……ルイフォン! 私だけが置いてきぼりだわ!」
彼女は声を尖らせ、ぎろりと彼を睨みつける。――が、その唇は心細げに、わなないていた。
「き、きちんと説明しなさい!」
「あ、ああ……。すまん……、……っ」
ルイフォンは、ミンウェイの一族そのものの美貌と向き合い、しかし、言いよどむ。
「ルイフォン!」
ミンウェイは高い鼻梁をつんと上に向け、歯切れの悪い彼に畳み掛けるように続けようとして……そこで一度、息を止める。陶器のような白い喉が、こくりと動いた。
それから、意を決したように――問う。
「つまり……、私の健康は作られたものだった、ってこと……? リュイセンは、それを秘密にしておくために〈蝿〉に従ったというの!?」
鮮やかな緋色の衣服が、炎のように見えた。
烈火をまとうミンウェイは、絶対に引かぬと艶やかに咲き誇った。
最初のコメントを投稿しよう!