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第1話 咲き誇りし華の根源(5)
「緋扇さん!」
ミンウェイの声が喜色を帯びた。
からかわれているのは承知していても、シュアンは何かと親身になってくれる人物だ。現在、孤立無援の彼女にしてみれば、味方を得た気分だっただろう。
「イーレオさん、遅れてすみません」
皆の注目を充分に集めてから、取ってつけたようにシュアンは会釈した。とはいえ、制帽を身に着けているときの癖なのか、自分のぼさぼさ頭に軽く手を触れただけの、非常に彼らしいぞんざいな仕草である。
「ああ、いや。忙しいところ呼び立てしてすまなかった」
「いえいえ。囚われのメイシア嬢と連絡が取れて、ルイフォンから提案があると聞かされれば、そりゃあ飛んできますよ」
シュアンは軽い口調で話しながら、当然のようにミンウェイの隣に腰掛ける。
「――で、詳しい話はあとでミンウェイに聞いておきますから、かいつまんで方針だけ教えて下さいよ。ああ、そもそも、その案、鷹刀としては採用ですか?」
無遠慮な三白眼が、ぎょろりとイーレオを捕らえた。
対してイーレオは、シュアンを一蹴するかのような傲然とした笑みを浮かべ、力強い王者の声で決定を下す。
「採用だ。〈猫〉がリュイセンを解放し、リュイセンに〈蝿〉を討ち取らせる」
「親父……」
ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。
不協和音が聞こえてきそうな、妙に緊迫したこの状況。どのような態度を取るのが吉なのか、彼は惑う。そのため、提案を受け入れてくれた感謝を述べるべきところで、彼は押し黙ってしまった。
「ほぉ……」
ルイフォンとは対象的に、シュアンが甲高い声を上げる。彼独特の響きは、感嘆にも揶揄にも聞こえた。
「〈猫〉がリュイセンを解放――ということは、リュイセンが脅されたネタを〈猫〉は割り出したのか。ふむ、さすがは噂に名高い〈猫〉だ。実に見事、実に素晴らしい!」
にたにたと品のない嗤いを浮かべながら、シュアンは両手を打ち鳴らした。その意図が読めず、ルイフォンは不審げに……不快げに眉をひそめる。
そこで急に、シュアンの拍手がぴたりと止まった。
「――はて? 無事に作戦が決まって、実にめでたい状況だと思うんですが、なんでミンウェイは美女を台無しにして怒っているんですかね?」
ぐっと顎を上げ、シュアンはルイフォンを見やる。本職の凶賊よりも、よほど凶賊らしい凶相が凄みを増した。
そして、決して低い声質ではないくせに、怖気が走るような、どすの利いた声で迫る。
「今回の作戦の立案者にして、立役者の〈猫〉。――どうして、あんたが、捨て猫のような惨めったらしい顔をしているんだ?」
「――!」
侮辱された、と。反射的に思った。
作戦は認められたものの、ミンウェイとの言い争いの最中であったため、確かに、ルイフォンは嬉しそうな顔をしていなかっただろう。しかし、だからといって、情けない顔もしていないはずだ。
「シュアン……!」
「ま、ミンウェイの顔と、あんたの顔と、それから『リュイセンの解放』と来れば、訊かなくたって状況は理解できるけどよ」
拳を握りしめ、言葉を返そうとしたルイフォンを遮り、シュアンが鼻で笑う。
「この期に及んでなお、あんたは『リュイセンが脅されたネタ』をミンウェイに言えないでいるんだろう? ――そいつを言えば、ミンウェイが傷つくからな」
「……っ」
ずばりと言い当てられ、ルイフォンは思わず顔色を変える。――と同時に、ミンウェイが驚きの声を上げた。
「緋扇さん!? どうして分かるんですか!?」
「そりゃ、見たまんまだからだ」
「説明になっていません!」
噛み付いてきたミンウェイに、シュアンは、おどけた顔で苦笑し、大げさな仕草で肩をすくめる。
「つまり、だ。――〈蝿〉の使った脅しのネタは、あのリュイセンを言いなりにしちまうくらい、とんでもなく碌でもないもんである、と。それなら、ルイフォンが口にするのをビビっちまうのも仕方ねぇなぁ、と俺は納得したわけだ」
「――っ!」
清々しいまでに軽薄な口調に、ルイフォンは猫の目を釣り上げた。
シュアンなんかに、好き勝手、言われる筋合いはない――!
ルイフォンは膨らみかけた憎悪を努めて押さえ、冷静な〈猫〉の顔で告げる。
「シュアン。お前の言う『脅しのネタ』は、裏付けとなる証拠を手に入れた上でミンウェイに説明すると、先ほど鷹刀の総帥と決定したところだ」
その瞬間、耳障りなシュアンの声が鼓膜を突き抜けた。
「はぁ? 当事者であるミンウェイには、こそこそ隠すだと? あんたら、ミンウェイを馬鹿にしてんのか?」
「なんだと!?」
挑発するシュアンを、ルイフォンは睨みつける。だが、シュアンは、まるで気にすることなくルイフォンから目線を外し、ぐるりと部屋を見渡した。
「どうせ、ミンウェイを傷つけないように――なんて考えているんだろ? まったく、鷹刀の連中は、どいつもこいつもミンウェイに対して過保護だ。端から見ている俺としては、気持ち悪いくらいさ」
シュアンは、イーレオの美貌の上で目を止め、ここぞとばかりに吐き出した。
「皆でミンウェイを守ってやろうってのは、血族の愛とやらなのかもしれませんが、過保護も過ぎれば、立派な虐待ですよ。――ま、ミンウェイのほうも遠慮ばかりだから、仕方ないですかね?」
薄笑いと共に、シュアンは、わざとらしい溜め息をついた。
「緋扇さん……」
シュアンの隣で、ミンウェイが困惑したように草の香を揺らす。そんな彼女に、しかし、彼は一瞬ぎょろりと眼球を寄せただけで、すぐに無視した。
それからシュアンは、ぼさぼさ頭を傾け、ルイフォンの顔を覗き込む。
狂犬と呼ばれた彼の血走った三白眼が、猫の目を捕らえる。
赤く濁った瞳は、それまでの彼の人生を物語るように汚れきっており、醜かった。
「守ってやろうなんて感情は、傲慢じゃねぇのか?」
皮肉げな響きを含んだ声が、挑発的に語尾を上げる。
見下すような目線が、癪に障った。
けれど、シュアンの言葉は――……。
「ルイフォン、あんたの情報ってやつは、俺の弾丸とは違う。俺は一発、ズドンと当てちまえば、それは不可逆だ。けど、あんたが傷つけたところで、ミンウェイならそのうち立ち直るはずだ。――信じてやれ」
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