第9話 猛き狼の啼哭(8)

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第9話 猛き狼の啼哭(8)

『今、タオロンさんが来て、リュイセンが目を覚ましたと知らせてくれたの。傷は浅くはないけれど、とりあえず大丈夫だって。それで、リュイセンが『鷹刀と話をしたい』と言っていると――』  メイシアからの連絡に、執務室が沸き立った。 「そうか、分かった」  ルイフォンは短く返し、受話器をぐっと握りしめる。  事態は二転三転し、予断を許さない状況が続いていたが、ようやくここまでたどり着いた。しかも、リュイセンのほうから対話を求めてきた。  あと、もうひと息だ。  リュイセンはまだ、ルイフォンがミンウェイの『秘密』を(あば)いたことを知らない。彼女が『母親』のクローンであったという事実を受け入れたことを知らない。  それを知ったとき、リュイセンはどう思うのか。  鼓動が高鳴る。緊張に体が強張る。次の指示を出さなければと思っているのに、喉が詰まって声にならない。  そんなルイフォンの様子は、最愛のメイシアにはお見通しなのだろう。彼女の声が、そっと寄り添い、彼に覇気を吹き込んだ。 『ルイフォン。リュイセンは大丈夫』 「……ああ。――あいつなら、大丈夫だな」  彼女に導かれ、重ねるように唱えた。すると、(たかぶ)る鼓動に変わりはないのに、不思議と思考が明瞭になる。  ルイフォンは穏やかに微笑み、メイシアに告げた。 「互いに顔が見えたほうがいいよな? 会議システムに切り替えるから、メイシアも準備してくれ」 『はい』  そして、一度、メイシアとの通話を切る。   そのとき、シュアンが唐突に「便所に行ってくる」と立ち上がった。 「晩に食った弁当が、どうも古かったみたいでな。さっきから腹が痛くてたまらないのさ」  当分、帰ってくるつもりはないと暗に言う。  無論、腹痛は席を外すための方便だろう。リュイセンに蛇蝎の如く嫌われている彼の姿が見えれば、まとまる話もまとまらなくなると、気を遣ってくれたのだ。 「緋扇さん……」  ミンウェイが申し訳なさそうな顔で見上げると、シュアンは口元を緩めた。笑い掛けたつもりなのだろうが、歪んだ口の端と細められた三白眼は、どこまでも悪人面でしかない。  彼は、ひょいとかがんで、ミンウェイの膝に置き去りにされていた、警察隊の制帽を取り上げた。その際に彼女の肩に手を載せて、ルイフォンが準備しているモニタ画面のほうへと、そっと押し出す。――まるで送り出すかのように。 「あとは頼んだぞ」  わざとらしく腹をさすりながら身を翻し、制帽を載せたぼさぼさ頭は執務室から消えていった。  そして――。  切れかけた絆を結ぶように、回線が繋がる……。  その瞬間、スピーカーを低く震わせたのは、内に静かな高温を秘めた、熱した(はがね)のようなリュイセンの謝罪だった。 『ルイフォン、メイシア。お前たちに深く詫びる。ルイフォンに刃を向け、メイシアを〈(ムスカ)〉のもとへさらっていき、すまなかった』  罪を口にして、頭が下げられた。肩を()いだ黒髪が綺麗に(そろ)ったまま、モニタ画面の中で静止する。本当は、床に手を付こうとしていたのだが、動いては傷に障ると血相を変えたメイシアに止められたのだ。  まっすぐな姿勢に、ルイフォンは面食らった。  彼としては、いつの間にか、メイシアと鷹刀一族の連携が取れていることに関して、まずは詰問されると思っていた。しかし、よく考えれば、あらゆる情報を手に入れていたルイフォンとは違い、閉ざされた空間にいたリュイセンは、いまだ決別したあの時点に取り残されたままだったのだ。 「……」  ルイフォンは、リュイセンの想いを踏みにじるようにミンウェイの『秘密』を(あば)いたが、リュイセンも、ルイフォンの想いを引き裂くようにメイシアを奪っていった。  あのときの絶望は、忘れたわけではない。  リュイセンを取り戻すと決めたあとも、自分を裏切った相手と、いざ再び顔を突き合わせたとき、どんな感情を(いだ)くのか不安に思ったこともある。  本当に、彼を許せるのだろうか――と。 「リュイセン」  長いこと、呼びかけていなかった名前を口にする。  どこまでも律儀で、(かたく)なで、(スジ)を通さねばすまない、頼もしい兄貴分。  本当は、今すぐにでも〈(ムスカ)〉にとどめを刺しに行きたいのだろうに、ルイフォンと連絡がついたからには、きっちりと頭を下げずにはいられなかったのだ。  ――こいつを失うなんて、考えられないだろ……。  ルイフォンは前髪を掻き上げ、猫の目を好戦的に光らせる。その動きに合わせて、背中で金の鈴が跳ねる。 「俺は〈(フェレース)〉。天才クラッカーにして、情報屋だ」  テノールを響かせ、ルイフォンは――〈(フェレース)〉は、不敵な笑みを浮かべる。 「〈(フェレース)〉は、すべてを知っている。お前の身に起きたことの『すべて』を、だ」 『――!?』  リュイセンは反射的に顔を上げ、ルイフォンを凝視した。  驚愕と疑念の混じる兄貴分の双眸に、ルイフォンは不遜なまでの自信過剰を見せつける。それが〈(フェレース)〉だと知らしめる。 「鷹刀の後継者」 『!?』 「情報を共有しよう。――そして、俺の手を取れ!」  時々、雑音の混ざる音質と、揺れて途切れる映像。  不安定な通信を補うように。  千切れそうな絆を()り合わせるように。  情報(言葉)を送り出す――…………――受け止める。
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