第1話 咲き誇りし華の根源(6)

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第1話 咲き誇りし華の根源(6)

「――――」  シュアン――と、声に出したつもりだった。けれど、唇から出たのは短い息だけだった。  ……だが、それで正しかったのだ。  ルイフォンが呼びかけるべき名前は、シュアンではない。 「親父……いや、鷹刀の総帥」  澄んだテノールが、執務室をすっと流れた。 「すまない。前言撤回だ。〈(フェレース)〉は、ミンウェイに『秘密』について説明する」  鋭く息を呑む音が聴こえた。  それはミンウェイのものであり、イーレオのものであり、その場にいた皆のものであった。 「リュイセンのことを思えば、本心では言いたくない。でもそれは、〈(フェレース)〉ではなく、俺の個人の感情だ。……ミンウェイは、ちゃんと憶測だと承知している。なのに応えないのは、彼女に対する侮辱だ。――シュアンの言う通り、信じるべきだ」  穏やかでありながら、決然とした意志が静かに告げられた。 「そうか……。そうだな、頼む」  感情の読めない、けれど魅惑の低音で、イーレオが首肯する。  そして、ルイフォンが口を開こうとした刹那。 「イーレオさん」  ――と。割り込むように、シュアンが呼びかけた。 「は?」  何故、ここで邪魔をする?  出鼻をくじかれたルイフォンは、そのため一瞬、文句が遅れた。その隙に、シュアンが今までの軽薄な口調を返上し、朗々とした深い声を上げる。 「〈(ムスカ)〉は先輩の仇です。だから、俺の手で討ち取りたい。しかし残念ですが、俺に手持ちのカードはありません。俺自身も〈(ムスカ)〉に対するカードとしては心もとない。ならば、適材適所と割り切るべき、というのが俺の見解です」  唐突に話題をねじ曲げ、シュアンは告げる。不可解な彼の言動に、皆が戸惑う。  協調性を欠いた彼は、周りのことなど気にしない。ただ、言いたいことを言うだけだ。 「俺は、この先のことを、ルイフォンの策に――リュイセンの手に託します」 「……!」  シュアンの態度に不快感を覚えながらも、耳朶を打つ強い声に、ルイフォンの心臓は跳ねた。自分の肩に、見えないシュアンの掌を感じる。ずしりと重く、けれど温かい。 「今回の作戦、俺は鷹刀を支持します。よろしくお願いいたします」  ふわりとした残像を描きながら、シュアンのぼさぼさ頭が下げられた。 「シュアン……?」  理解不能なシュアンの行動に、イーレオの語調が揺らぐ。だが、彼はすぐに泰然と構え直し、シュアンの思いを受け取った。 「お前の無念、預かった。――鷹刀への信頼、感謝する」  シュアンは下を向いたまま、安堵の息を吐いた。その表情は誰からも見えない。――彼の心の中にいる、失われた先輩を覗いては……。  そして、ぼさぼさ頭が先ほどと同じ軌跡をたどって戻ると、シュアンは再びルイフォンと向き合った。 「〈(フェレース)〉、あとは任せた。――俺は席を外す」  シュアンらしからぬ、柔らかな角度に口の端を上げ、彼は席を立つ。 「え!?」 「俺は、鷹刀の者じゃない。部外者だ。ミンウェイの『秘密』の話は遠慮するさ」 「ま、待て!」  翻る背中に、ルイフォンは無意識に口走った。  シュアンは構わず、一歩、踏み出し――。 「……おい」  低く、うなるような声を上げる。  シュアンの上着の肩がずるりと落ち、半ば脱げかけていた。それは、彼が着こなしに無頓着だからではなく、ミンウェイが裾を握りしめていたからであった。 「あ……」  振り返ったシュアンと目が合い、ミンウェイは慌てて手を離す。  黙って着崩れを直すシュアンに、イーレオの低音が誘った。 「どうだ、シュアン。乗りかかった船だと思って、この先の話に付き合わないか?」  その声に同意するように、ミンウェイが頭を下げる。 「――」  シュアンの目が見開かれた。  ……わずかな空白のあとに、いつもの皮肉げに細められた三白眼に戻る。 「鷹刀の側がよいというのなら、俺には美女との同席を断る理由はありませんね」  そんな軽口を叩き、シュアンは元の位置に腰を下ろした。  そして、ルイフォンは静かに口を開く――。
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