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 家族には、友達の家に行くと連絡した。勇太も貴奈もそうだ。「急にどうしたの?」母の美子はそんなことを言っていたが、別に不審に思ったわけではなさそうだった。  そして、二人は今、これまでの人生の中で最も高級な場所に足を踏み入れていた。 「さあさ、遠慮しないで。のんびりしていいわよ。」  高級なタワーマンションの一室。アリアに言われても二人は、緊張していた。どこかの倉庫群の一角にでも連れて行かれるかと思ったが、違った。 「とりあえず、今はこれで我慢してくれるかな? あんまり、ご飯前に甘い物を食べると、ご飯が入らなくなるからね。」  千哉が手作りの蒸しパンを持ってきてくれた。湯気がほかほか立っている。干しぶどうが入った蒸しパンはおいしそうだ。 「甘さ控えめにしてあるよ。ちょっと物足りないかもしれないけど。」  勇太や貴奈の家よりお金持ちそうだけど、普通の家庭のようで二人は面食らっていた。子供の写真が棚に飾ってある。 「はい。紅茶もどうぞ。本場のスリランカのお茶よ。」  どこか高級そうな紅茶の香りが漂った。 「あの、頂きます。」  とりあえず、勇太は礼を言って紅茶を一口飲んだ。 「あちっ。」 「ああ、火傷に気をつけて。水を持ってこよう。」  千哉がすぐに冷蔵庫からミネラルウォーターを出してコップに注ぎ、持ってきてくれた。 「すみません。」  勇太は水を飲んだ。 「ほら、斉藤さん、あなたも食べて。」  アリアが皿に載った蒸しパンを勧めた。 「あの…!」  唐突にうつむいていた貴奈が顔を上げた。 「あの…。すみません。」 「いいのよ、話してくれる? 何があったのか。わたし達も知りたいし、現状を把握しておきたいの。」  アリアに言われて貴奈は何か話そうとして、表情が(ゆが)む。堪えようとしたが涙が(あふ)れた。思わず勇太は、蒸しパンをかじろうとしていた手を止めた。 「大丈夫よ。怖かったでしょ?」  二人には車の中で、祥二が事情を説明している。二人も確認をされたりして、(うなず)いたりなんだりしていた。 「あの、リズ先生って何者なんですか? もしかして、スパイですか?」  勇太は貴奈の代わりに聞いた。 「そうだね。スパイというか、まあ、そういう役割もあるようだけど。はっきりは分からないが、おそらく、すでに潜り込ませてあった、暗殺者かスパイか何かというところだろう。たまたま君達の学校にリズ・シェイマンという名の敵のスパイらしき人物がいたんだ。」  千哉の説明に勇太は納得した。 「リズ・シェイマンはおそらく偽名だろう。彼女は斉藤さんを脅した。そうすることで、余計なことを口に出すなという警告か、こちらのリセット日本支部の場所を確かめるためか。とにかく、わざとそういう行動に出たんだと思う。  でも、安心していいよ。そう簡単に向こうにはバレないから。月曜までに何とかするつもりだよ。ご両親にも心配をかけるしね。」  千哉が説明してくれると、なんだか落ち着いて聞けるから不思議だ。初めて会った人達なのに大丈夫だという安心感がある。 「ただいまー。」 「ただいまー。」  その時、玄関から子供の声が二つした。 「おかえりー。」  アリアと千哉が大きな声で返事を返す。ぱたぱたと廊下を走ってくる足音がして、ドアが開かれた。 「ただい…パパ、お客さん?」  まず入ってきたのは小さな男の子。小学一年生か二年生くらいだ。 「ただいま。」  後から、少しお姉さんの女の子が入ってきた。二人とも制服を着ている。この辺では有名な私学の学校だ。 「おかえり、二人とも。お客さんだよ、ご挨拶をして。」  女の子の方は、まずは勇太を見、それから貴奈の方をチラ見して小さく頭を下げた。 「……こんにちは。」 「こんにちは。」  男の子の方は元気に頭を下げてくる。 「こんにちは。」 「こんにちは。お邪魔してます。ごめんね、びっくりさせちゃって。」  貴奈が涙を拭いた目で、にっこり笑ってみせる。 「わたしは斉藤貴奈。こっちは近田勇太。よろしくね。」 「……山岸花月(かづき)です。」 「ぼくは山岸(のぼる)です。ねえ、二人はこい人どうしなの?」  昇が無邪気に聞いてきた。 「違う違う。家が隣同士の幼馴染みなの。」 「ふーん。おさななじみって?」 「えー、そうね、なんて言えばいいんだろ。勇太、あんたも考えなさいよ。分かりやすい説明。」  もくもくと蒸しパンを食べていた勇太は、いきなり話を振られて急いで飲み込んだ。だが、すぐには話せない。水を飲もうとしてむせた。 「げほっ、げほっ。」 「汚い、あんた。あー! こぼしてる! すみません、汚しちゃって!」 「いいよ、いいよ。大丈夫。それくらい。」  千哉が布巾を持ってきて拭いた。 「ねー、ママ、おさななじみって?」  目の前の騒ぎを見ながら昇がアリアに尋ねた。千哉が布巾を持って一度、奥に引っ込む。 「小さい頃からのお友達ってことよ。」 「ふーん。そしたら、昇にもいるよ。るみちゃんときゅーたくん。」 「そうね。」  そんな親子の目の前で、勇太は貴奈に叱られて叩かれていた。アリアもその場面を楽しそうに見守る。
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