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 涼は双眼鏡から目を離した。リセット内にいるスパイから、リセットを繰り返していた高校生達を保護した話は聞いていた。まさか、山岸家に直接連れて来るとは思わなかった。 (やりにくいな。目撃者が増える。)  涼はため息をついた。しかも、山岸家は家族四人で出かけた所だ。人目の多い映画館が行き先だ。一応、ついて歩いている。でも、やるなら確実に家でだろう。盗聴器はしかけていない。そういうことは徹底的に対策をとってある。つけても無駄だ。  下の子のリクエストでアニメ映画を見てから、駅ビルの商業施設で楽しそうにウィンドウショッピングしている。  あまりにも子供が楽しそうで、涼はなんとなく寂しさを覚えた。女の子の方も小生意気なことを言っているが、笑顔を見ると本当はとても嬉しそうだ。涼の子供時代は、ひたすら暗殺者になるための訓練を受けていた。勉強もできなくてはいけないし、体力は一番大事だ。 「ねえ、あの人、カッコ良くない?」 「イケメンだよね?」  女子高生達がヒソヒソ(ささや)き会う声で、涼は我に返った。(はかな)げで甘い顔立ちの涼は男女にもてる。一人苦笑すると、涼は歩き出した。  土曜日の夜。  千哉は映画館から帰ってから、勇太と貴奈のために料理の腕をふるった。といっても、カレーがいいというリクエストだったため、カレーになってしまったが。  本当は豪勢にイタリアンとかいいだろうか、と考えていたのだが、成長期の勇太にはカレーがかなり魅力的のようだった。すっかり、二人に懐いた昇もカレーがいいと言ったので、カレーに決まった。  勇太も貴奈も、家族が前から予定していた映画館に行く日だったと分かり、静かに留守番をしてくれた。二人とも自分達に気を使わずに行ってきて欲しいと言ってくれた。  普通だったら、見知らぬ子を家において出かけるなんてできないが、あの子達なら大丈夫だろうと判断した。それに、マンションの部屋は特別仕様になっているので、簡単に物も盗めないが。  片付けも済んで、花月と昇を先に風呂に入れて寝かせ、一段落がついた頃に(めい)から電話があった。 「もしもし、どうした?」 「あの、千哉さん、分かったんです。例の件。」  千哉は急いで自室に入った。 「うん。それで?」 「誰が情報を流して」  突然、どさっと倒れるような音がして、ガチャンというような(はげ)しい音に、千哉は耳からスマホを離した。 「もしもし? 明? もしもし? どうした? 何かあったのか? もしもし?」  何度も呼びかけたが電話が切れた。嫌な予感がして、急いで電話をかけ直す。 「……この電話は電波の届かない場所にいるか、電源が切れています。」 「そんなわけあるか。」  思わず、千哉はスマホに言ってしまった。たった今まで電話していたのだ。どうしただろうか。仕事場の方に行って、確かめた方がいいだろうか。千哉は迷った。  このマンションの十階のフロアは、昼間と平日に活動することになっている。電力の消費量で所在を突き止められないよう、夜は完全に別の場所で別の部署が活動を引き継いでいる。休みや祝日の日も同じだ。  それでも、一応、本部なので夜の管理部の数名が待機している。昼間とは全く別のメンバーだ。  心配しながら考えていると、スマホのバイブが振動した。明からのメールが入っている。『千哉さん、さっきの話ですが、月曜日に日を改めます。やっぱり直接話そうと思うので。さっきは人が来て、とっさに話をやめました。心配をかけてすみませんでした。』  何も不審な所はない。千哉はほっとしたものの、何か()に落ちなかった。それでも返事が来たし、今は勇太と貴奈がいてすぐには動けない。それ以上は追求しないことにしたのだった。  少し前。  明は夜道を歩きながら確信したことについて、急ぎ、千哉に電話をしていた。周りに気を配りながら電話をかける。伝えなくてはならない。誰がリセット内のスパイかを。  電話が繋がり、ほっとする。 「あの、千哉さん、分かったんです。例の件。」  うん、それで、と千哉の声が聞こえてくる。「スパイが」というと角が立つかなと思い、あえてこう言った。 「誰が情報を流しているか」  そこまでしか言えなかった。何が起きたのか、明は分からないまま地面に倒れた。地面に倒れた時には絶命している。即死だった。  サイレンサーつきのピストルを持った涼は、足下に落ちている薬莢(やっきょう)を拾うと、静かに明の手からスマホを抜き取った。もしもし、という声が聞こえるスマホの電源を切った。  そこにもう一人の人影が立つ。 『さすがね、涼。一瞬で逝ったから、痛くなかったよね?』 『おそらく。痛みなど感じなかったはずだ。痛みなど感じる(ひま)がないように抹殺するのが、俺の仕事だ。せめてそれくれいしないとな。』 『……かわいそうな明。“善人すぎるな、賢すぎるな どうして滅びてよかろう。(コヘレトの言葉7:16)”』 『聖書の一節だな。』 『うん……。』  その人物に涼は明のスマホを差し出した。相手は受け取るとすぐに明のスマホに電源を入れ、メールを打ち始めた。相手は千哉だ。明の言いそうなことを送ったので、千哉は何か訝しがりながらも信じるだろう。 『ごめんね。』  しゃがんで手袋を()めた手で、明の(まぶた)を閉じさせた。 『好きだったのか?』 『好きっていうか……馬が合ったの。気楽にできるし、演じてたミランダの趣味とも合致して。なんで気づいちゃったんだろう。わたしのことを。気づいたのが明じゃなかったら良かったのに。古畑知恵に罪をなすりつけるはずだったのに。』 『……世の中はそんなもんさ。皮肉に満ちている。クリスタル、大丈夫か? ミスるなよ。まだ、仕事は残ってる。』 『分かってるよ、涼。あんたもね。』  ミランダ・ショッターことクリスタル・レベッカ・モースはシャイン・アイズから送られたスパイだ。   『ああ。分かってる。』  こうして、二人は別れて闇夜に消えた。
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