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昼の人間界、それも住宅街を散歩するのは久し振りだ。仕事では夜の僻地へ赴くことが多い。
「おっと!」
電信柱の影に隠れたモノへ前足を伸ばす。ありふれたネズミのかたちをしているが、良くないあやかしだ。すぐに大きくなり、取り返しのつかないことが起きる前に対処しなければ。これこそが私と相方の仕事だ。人間たちへ悪さをするあやかしを監視し、対処する任に就いている。
私はじたばたするソレをひと飲みした。無味かつ食感もなく、煙のように口の中で消えていく。相方がいれば、どんなあやかしでも美味しくできる術を使えるのだが……。
ここにいないものの話をしても仕方がない。それに自分から飛び出してきた手前、力を頼ろうとするのは筋が通らないだろう。
陽の光に透かされた若葉が薄影を落とす道を歩く。季節は夏の入り口だ、風が葉を揺らす音が心地良い。夜に慣れた身には、それらがどことなく居心地悪く感じられた。早く戻れ、と言われているようだった。お前がいるべきはここではないだろう、と。
道に転がる小さな白い花を前足で蹴飛ばしても、八つ当たりと自分で分かっているのだから詮方無い。深く嘆息し顔を上げると、にゃあ、と声が聞こえた。
声はこじんまりとした民家から聞こえてきたようだ。覗いてみると、縁側で三毛猫が丸くなっている。なるほどこのまま昼寝をしたい天気であるのは間違いない。自分の仕事が少しでも役に立ち、彼らが平和に過ごせているのは嬉しいものだ―
「……何が起きた?」
去ろうとした瞬間、にわかには信じがたいことが起きた。かの猫が急に身体を平たくさせたのである。
身体が先ほどの二倍の長さになっている。一体どうしたことだ。骨の隙間を増やしたのか。胴体をジャバラに折り畳んでいたのか。そして姿を変えてもなお、愛らしさを失っていないのはなぜなのか。むしろ先ほどとの対比によりその魅力が増したように見える。無防備かつ無意識の愛嬌! 顔を撫でる、小さな前足の可愛らしさときたら!
あまりの衝撃に動けなくなっているこちらをよそに、かのものは反り、口をぽかりと開き、また長くなった。
私は話をするべく自分へ変化の術をかけた。これで同種の仲間に見えるはずだ。
黒い毛をまとい、縁側へ近づく。
「もし、教えていただきたいのですが」
恐る恐る話しかけると、かの猫は金色の目をくるりと回した。
「今のは何の術でしょうか。その……身体が、長くなったように見えましたが?」
「術? そんなんじゃありませんよう」
かの猫はくふくふと笑った。
「伸びをしたんです。あんまり心地よい風が吹いていたでしょ?」
「伸び……」
食物であればいざ知らず、生物がああも伸びるだろうか。発せられた単語に戸惑ったが、私はまた、別の感情が己の中に湧くのを感じていた。
新しいことに挑戦すれば気分も変わるのではなかろうか。はたまた、愛想がないと言われる私でも愛らしさを獲得できるのではなかろうか。
「それはあなただけに許された業なのでしょうか」
「いいえ、世の中の猫はみな、このように伸びるようですよ」
「……私にも?」
厳密には、私は猫ではないが。あれほど魅力的な姿を見、自分にも―と、思わずにいられようか。
「伸びたいと思えばできますよぅ、誰だって。自分の心のまま、思うまま。私も、ただ、気持ち良いなぁと感じただけです」
「では、私にも教えてはくれませんか。上手な伸び方というものを」
「いいですよぅ、『伸び』を知らない、不思議な黒猫さん」
三毛猫は私の目をじっと見返し、またくふくふと笑った。
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