イノチガケ

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 裏切られた。  こんなに簡単に人は堕ちるのか。  しかも二回もだ。  また、ボロアパートでの生活。  今度こそ終わりだろう。  これは、調子に乗り過ぎた俺への罰だ。 「いらっしゃい! カウンターどうぞ」  ふらふらと、残された金を握りしめて年季の入った居酒屋に入る。 「生一つ。あと枝豆」  六十は超えているであろう大将が、一人で切り盛りしている居酒屋。  今の俺にピッタリだ。いや、ここさえも贅沢かもしれない。  これが最後の晩餐にできたら、どれほど幸せだろうか。 「兄ちゃん、浮かない顔だな」  大将がボーっとしている俺に話をかけてくれる。  俺は苦笑いを作って枝豆を口の中に一粒弾かせた。  大将は手を動かしながら、まるで俺の人生の全てを悟っているかのような言葉をくれる。 「なかなか上手くいかないのが人生ってもんだ。何度失敗したって、笑われたって、何回もやり直したらいい」  目を細めながら、手を動かしている。  渋い大将の声で、激しく感情が動いた。  気づいたら、涙目になっている自分がいる。  そして俺は、貧弱な声でボソッと呟いた。 「……命懸けだったのになぁ」  大将は長方形のフライパンを手にした後に、「生きてるんだからいいじゃねぇか」とニヒルに笑った。  確かに……俺はまだ、生きているのか。 「これ、サービスだ」  艶のある出汁巻き卵が、目の前に置かれる。  今度こそ、涙がこぼれた。 「いただきます」  美味い……フカフカだ。  よく母が作ってくれた出汁巻き卵を思い出す。  母の作る料理が美味しくて、それから食べるのが大好きになった……。 「まだまだ若いんだから、これからさ」  優しい言葉と、優しい味。  勝手に、救われた気分になった。  ここは地獄なんかじゃない。  地に落ちたとしても、まだまだ先は続いていく。  俺はまだ、若いんだ。 〈了〉
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